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結果が予期できたら、コントロールしたくなる
情報からは戦略が生まれる。多分勝手に、頭が動き出す。無意識のうちに、どうすればいいのか考える。
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後悔が多いのは羨ましいことかもしれない。そういうときにしか、客観的に自分を振り返ることはできないと思う。
うまくいかないときの劣等感、今までの基礎部分をはじめて気づくことができる気がする。プライドを折られた(?)様なとき、自分のしていること、他のしていること、その基礎の部分を含めた上で、大きな範囲で捉えられる気がする。前提条件はいつも隠されていて気づくことはできないし、そのことを踏まえて考えているのに、自分はそれを踏まえていることに気づいていないことはよくある。他の人との関わりには齟齬は生まれるし、逆にあるあるネタなんて、そういう所を巧みに切り取っているのですごいことだなと思う。昇華できる道もあるし、新たな捉え直せば、おもしろい世界の見つめ方を得られる。
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疎外感と危機感が頭を冷まし、判断を加速させる。時々は、ゆっくりと考えることも大事だけど。
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何も考えないために、箱を作っておくべきだし、同じコンディションを生み出せる用にしておかないといけない。
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何を感じていたのか。どんな風にすればいいのか。素材は町の方が多いが、撮り方の自由度は田舎の方が高い。
全てを反映しているわけではないのに情報を頼ってしまう。情報に従っていると自らの直感に疑いが持てるようになる。疑いが持てるようになるのはいいことかもしれないけれど、これまで、「確信を得た」という状態にたどり着く過程が、便宜上全体を俯瞰しているから良さそうに見えるけど、実際は、全体を把握しているわけではない。情報と直感で判断するとき、みている世界は本当の世界ではない。役に立たないことが少ないから情報を頼りに判断しているけれど、本当に情報とならない部分が、実際には重要だったら、直感を頼りに判断していた自らは、昔のようにいい感じに判断できるんだろうか。別に情報なんて、堅いことを言わずに、よく似ている前例とか、過学習してしまったような状態とか、強力な力が働くような状況に浸っていると、何にも分からない。
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