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なかまになりたい、という話

はじめまして、はじめました。

いわゆる会社員というものをやめて1年。

あの頃は、新しい環境に馴染めなくて、ごまかすように毎日お酒を飲み歩いていた。今いっしょに暮らしている恋人とはまだ出会っていなくて、ひとりで立っているには不安定でおぼつかなくて。いつものスタンドで遅くまで飲んでは、次の日にはいつも、お腹をさすりながらポカリスエット片手に梅田行きの電車に揺られていた。

おかしなタイミングなのだけれど、誕生日のまさに当日に、逃げるように会社をやめた。退職の花束を手渡してくれた上司に、実は今日が誕生日なんです、なんて冗談みたいな事実を愛想笑いとセットにして時間を稼ぎ、そそくさとエレベーターの扉の中に逃げ込んだ。

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携帯のメモには「誕生日というものが年々恐ろしくなってくる、1年間の通信簿みたいな気持ちになる」なんてことばがあの日の日付とともに残っている。この気持ちは今も変わらないし、誰かがくれる通信簿が実際にあるのなら、きっと成績はあがってない。けれど、あの頃の自分より今のほうが、少し好きになれているとは思う。

本棚の上でほとんど置物になっていたフィルムカメラをまた持って出かけるようになったし、登録したあと一度も利用していなかったカーシェアでドライブに出かけたりもした。ペペロンチーノをおいしくつくれるようになったし、試作を繰り返したキーマカレーは仲良くしてくれている料理人もお墨付きをくれた。

部屋にはグリーンを置くようになり、くだものも前よりも食べるようになった(このあいだ恋人が買ってきてくれたシャインマスカットはとってもおいしかった)。すっかり仕舞いこんでいたお気に入りの服をクリーニングに出して、また着るようになった。

小学校の校長先生に誘っていただいてボランティアに行って、自分で言うのもなんだけれど生徒の子たちは相当なついてもらえていたと思う(彼ら彼女らはとてもパワフルなのでなつかれるほどに体力を持っていかれる)。学生の頃はたらいていたお店に出戻り、オーナーの誘いで調理師免許の試験を受けて、無事に合格できた。

最近は、ワインエキスパートの資格試験を受けている友人とたまに集まっては、このピノ・ノワールはどうだとかシラーはどうだとか言いながら(実際は詳しくないのでもっぱら教えてもらいながら、ウンウンと頷いて)、映画を見たりしている。

いっしょにカメラを携えて出かけてくれる恋人、料理やお酒に付き合ってくれる友人、気にかけてくれる方たちがいて、そういう「なかま」といっしょだから気付くことができた楽しさや好きを少しずつ拾い集めてきた1年だったと思える。

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そう振り返ると、「なかま」って案外、ふとしたきっかけでなれるのかも知れないことに気がついた。恋人や友人、長年の付き合いみたいななかまもはじまりは他人だった。

「この前読んだ本の内容がきっと好きだと思って」とそれを贈ってくれたあの子だって、最初は偶然となりになって好きな音楽の話をしただけの仲だったし、今では兄のように慕っている先輩も1年半前は知り合ってもいない、まったくの他人だった。たった1歩のことがここまでぼくを運んできたと言ってもいい。

だからぼくは、あなたと「なかま」になりたい。

山登りはなかまがいたほうが、なんて言うけれど、そんな大層なことではなくて、ちょっとした料理屋さんに行くような。ひとりじゃせいぜい2〜3品しか味わえないけれど、3,4人で行けば相当な種類の料理を楽しめるような。

自分をご機嫌にできるのは自分しかいない、なんて思っちゃうこともあるけれど、ひとりで強い必要はきっとなくて、弱くてもなかまと肩を組んで過ごすほうが、楽しかったりすると思う。

前置きがとっても長くなってしまいまったけれど、見つけてくれて、こんな話を聞いてくれた、そこにいるあなたと、ぼくはなかまになりたいのです。

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