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5ヶ月ぶり! 劇団四季『パリのアメリカ人』 2019.06.26(水)マチネ

開幕直後にシアターオーブで観て以来、5ヶ月ぶりに『パリのアメリカ人』を観てきた。最前列ど真ん中での観劇だ。

ひとことで感想を言うならば、踊りはすごいが芝居はひどい。

最前列だから、芝居としてもそこそこ楽しめるけど、芝居としてきちんと表現できている人が少なすぎる。いわゆる四季的発生(母音法)の悪い面(発声はよく聞こえるが、その分機械的に聞こえてしまう)がモロに出ている。これはひとえに、役者の力量不足だと思う。
もっとも、あれだけの高度な踊りを踊るには、芝居をふだんから訓練している層からでは選べないのだろう。あくまでも出演候補はダンサーから選ぶのだ。しかも四季の外からも連れてきている。それほどまでに高度なバレエだ。つまり「役者の力量不足」以前に、元々「役者」ではないのだ。

バレエという芸能は、観客がそのストーリーを知っていることを前提として、その補助を借りつつ踊りだけで物語を表現する。一方でミュージカルは、ストーリーを知らないお客に対しても筋がわかるように、セリフ(や歌)を交えながら、踊りだけでは説明できない要素を説明していく。
その違いは、思った以上に大きい。バレエダンサーにとって、セリフで展開を伝えることがこんなにも難儀であるとは、彼らも初めて知ったのではなかろうか。

しかし、そんなこんなのマイナスを差し引いても、バレエプレイとしての楽しさは存分にあったと思う。そこは観客がどこまで舞台に優しくなれるかの問題でもある気がする。
私が常々主張している「生の舞台ならではの良いとこ探し」が得意な観客であれば、じゅうぶんに楽しむことも可能な気がする。(もちろん、好みの問題は別に残る。)

そもそもの問題は、作品のテーマだ。リバイバル作品なので時代が古いのは仕方ないのであるが、今、あの時代(戦後すぐ)のフランスの舞台をやって、皆が興味を持てるだろうか?
エリザベートやエビータのように、伝記的な話であればよいのだが、この作あの時代背景での人々の生き様を描いているため、どうしてもその時代への理解、もっと言えば愛着が必要だと思う。現代日本の観客にそこまでのものを求めるのは正直無理があった。それが如実に客入りにも反映されていると思う。

ストーリーや役柄についてほとんど触れていないが、表面的には難しい話ではないし、時代背景さえ多少理解していれば、普通に楽しめる佳作だと思う。恋バナ大好きな私としても、本当は登場人物のあれこれについて語りたいのだが、正直まだそこまで消化できていない。あと何度か観るチャンスがあればよいのだが。

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