間違えるのも悪くないネ

降りる駅を乗り過ごした。

はァ、またやってしまった。

酒を飲んだ帰りは日常茶飯事なのだが、今日に限っては昼間だ。

もちろんお酒は入っていない。

というか、1個言い訳をさしてくれ。

"京王線てなんであんなに難しいんですか"

京王電鉄のボスに伝えたいんだけど、京王線て京王新線とか、新宿から乗る時に新線新宿とか新宿とか、特急とか急行とか笹塚行きとか幡ヶ谷行きとか、なんでそんなムズするんですか。

普段電車乗らない僕には難しすぎる。

大江戸線一筋で育ってきた僕は、各停しか知らないし光が丘に行きたいのか都庁前方面なのかっていうシンプルイズベストな電鉄しか知らないんだ。
#大江戸線の遅延のなさは本当に優秀

すみません本題と逸れました。

戻します。

いつも通り新宿から特急に乗り、無事に千歳烏山に到着。

また乗り過ごしたァと逆行きに乗り換えなきゃと移動していたところ、シルバーカーを片手に、もう片方の手は手すりでエッサエッサと、階段を上るおばあちゃんを発見。

カポポか?と思ったが違う。

周りのオトナは通り過ぎる一方で、手伝おうとはしない。

僕の中では助ける選択肢は第1に上がってきたのだが、柔整師という傍らこんな考えにも至る。

「シルバーカーも持ちながらあがった方がバランス取りやすいのかな」

これだ。

左右のバランスをある程度重みのあるシルバーカーを持つことによって保っているなら、僕が階段の上まで持って上がるそれは柔整師として失格だ。

と、言うことで助ける選択肢は残しつつ、おばあちゃんの少し上まで登ってみた。

「うん、これは明らかに重そうなだけだ」

と判断し、瞬時に判断できる程日頃から真面目に柔整師をやってて良かったと心から思った。

人様がどうやってバランスを取っているのか、その荷物があった方が登りやすいのか、なんて素人目には瞬時に深くは判断がつかない。

日頃から真面目にやってきてよかったと報われる瞬間だ。


そしてすかさず声をかけた。

「上まで持ちますよ」

するとおばあちゃんは一瞬キョトン顔からすぐさま状況を把握し、

「ありがとね」

と涙まで浮かべてくれた。

訊くと、老人ホームから久々に外に出てきて新宿で遊んで帰りに八幡山で降りなきゃ行けない所を特急に乗ってしまい客のホームに戻るところだったらしい。

「なんだ、僕と一緒じゃないですか」

「ハハッ馬鹿ですね僕たち」

と和やかな談笑を交わしながら階段上に着いた。

「若いのに親切なのね」

とも言ってくれた。

うん、そうだ。"若いのに"親切なんだ。

この枕詞は本当に嫌いだ。

おばあちゃんが使うことを嫌ってるんじゃない。

若いお前らがこういう長らく日本を支えてくれた先輩方に優しくしない奴が多いから、親切が少数派みたいになってしまってるじゃないか。

逆だろ普通。

親切は多数派で、不親切が少数派だろ。

そうすれば、"若いから"親切だねって言ってくれる方は増えるはずなのに。

(アア、今日は脱線が多い)


困っている人がいたら、助けるなんて人として当然の行為だ。

アンパンマンや仮面ライダー、ルフィが子供の頃から僕にそうやって教えてくれたもん。

おばあちゃん、感謝なんていらないほどだよ。当たり前のことしただけ。

反対に、親切な対応をしても当たり前の顔をうかべる高齢者だって沢山いるんだ。

こういう方は大切にしなくちゃいけない。

別れ際、

「何もお礼出来なくてごめんね」

「いえいえ、お元気でいて下さればそれだけで充分ですよ」

と声をかけ、無事八幡山で降りていった。

うん。

電車も乗り過ごしてみると、たまにはいい出会いもあるもんだな。

また1人笑顔にできた。

今日もいい日だ。

顔も名前も知らない他人には興味は無いけど、手の届く範囲にいて困ってる方はたとえ初対面でも僕は他人とは思わない。

助けるのみだ。


次は"あなた"の街に乗り過ごすかもねッ
#すんなり帰ってください

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