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時間の流れ

こんなことをたまに考える。

日々過ごしていると、時の流れの速さを感じる。

これは、

"充実してる時間は早く流れる"からだ。

今僕はやりたいことしかしていない。

常にセロトニンは視床下部などからドバドバでていて、マリオで言うと常にスターを取ってる状態。

朝なんて「今日も起きれたぞ!」から最早楽しい。

でも、

何もこれは今に始まったことではなく、学生時代もそうであった。

更に友達と会い授業を受ける毎日の生活も早かったが、土日や長期休みの方が遥かに時が過ぎるのは早く感じた。

学校が好きだった僕だが、そこには雲泥の差があった。

理由は至極シンプル、

そっちの方が楽しかったからだ。

楽しいという感情が充実を生み出し、時の流れを早く感じさせる。

これは誰しもが経験があるだろう。

一方で、

何かを待ってる時は遅く感じる。

昨日のカフェのトイレの話なんてまさにそれだ。

他にも、

好きな人を待ってる時、明日の遠足が楽しみで寝れない夜、欲しかった車がやっと買えて納車を控えた月日。

これらは来るべき楽しく充実し、時間の流れが早くなる前に必ず訪れる待機時間だ。

だから待ち遠しいとは言うが、待ち近しいという日本語はない。

待つというのは遠いのだ。

でも、

世の理となっているこの本質が崩れる時がある。

締切が迫ってきた日々、寝坊して準備する朝なんかは特に。

これらはその先に"充実"は待っていないのに、時間が過ぎるのが早く感じる。

なんという不条理。

さらに、明確に楽しみが待っていないその時間は僕らを焦らすことすらしてくる。


なんだか、時間に人生のハンドルを握られている気になってくる。

それが時間に対する本質的な考えなのだろうか。

そんなことを考えると、

人生の仕入れにならないようなティックトックを観ているあの深夜に無駄に流れる2時間を愛せる気がする。

待ち遠しくも待ち近しくもなく、その先に待っているのは寝落ち。

こんな時間が愛しいのも人生の醍醐味なんだろうな。



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