小学校に入ったくらいから、頼んでもいないのに"評価"をされるようになる。
オール3だのなんだの社会に出たら使いもしない知識を頼んでもいないのに勝手に評価され、皆一喜一憂する。
記憶を紐解くと、人と比べるという事は、そもそも脳にプログラミングされてるモノではなく、こういう幼い頃からの評価制度があるからという気にすらなる。
基本的に僕は気に食わない/好きじゃない教科は当時から特段勉強してこなかった。
でも、古典は学年1位だったし、専門時代成績も1位だった。
興味があることは人は勝手に勉強する。
自主的に。
結果今学生時代の成績の悪い教科のせいで困っている事は1ミリたりともない。
むしろ、必要のない教科に時間をかけず、その時間を使って友達を沢山作っといて良かったなァと心から思っている。
ただ、今日言いたいのはそんなことじゃない。
小学生時代の通知表についてだ。
世間様に生まれてから初めて評価されるようになってから、6年間一学期から三学期まで一度も漏れることなく評価されたことがある。
それは、通知表メモ欄(先生からの一言)に
「人の話をよく聞きましょう」
とかき続けられたことだ。
担任が変わろうと、ぼくは人の話を聞かないやつだった。
一つ言いたい。
「ごめんなさい」
うん、これに関してはごめんなさい。
先生の話を聞くよりも、給食の時間が楽しみだったし、昼休みの友達とするサッカーのことしかほぼ考えていなかったのだ。
当時の先生方には苦労かけたと思います。
本当にすみませんでした。
UFOゼリーの真ん中の白玉を噛まずに口に入れて、そのままサッカーしたりしてました。
あの時の白玉とかナタデココを噛みたくなく、味がなくなろうと口に含んで幸せを感じていた頃はアホだけど愛らしいと今でも思う。
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