"鳥のように私も飛べたらなァ"
そんなことを耳にする。
一つ言いたい。
人間の方が飛べるよ?
例えば、ニュージーランドにはカカポという鳥がいる。
こいつは鳥でありながら"世界一飛べない鳥"と言われていて、移動方法は"よたよたと地上を歩く"だ。
もはや、スピードすらシルバーカーのおじいおばあの方が早いほどに。
もっとメジャーな鳥でも、例えば鳩。
鳩はその昔、伝書鳩という通信手段にもなっていた。
この鳩の飛行距離は少ない時で200km、飛ぼうと思えば1,000km程飛ぶ鳩もいるらしい。
ただ、
この程度の距離では日本から飛ぶとなっても辿り着ける海外の国は限られる。
一方人間はと言うと、
羽こそ備え付けられていないもののANAやJALを筆頭とする航空機に乗り込めさえすりゃあ、鳥よりも飛んで移動することが出来る。
世界各国どこへでも行ける。
言いたいことは分かる。
鳥のように飛べたらなァと口にする方は
"飛んでる感覚になりたい"のだろう。
ならオススメはスカイダイビングだ。
一見"落ちてる(下降してる)"ように見えるが、鳥でもあの高さで飛べる鳥は少ない。
飛べる感覚すら(高さですら)、人間の方が上なのだ。
総じて、人間の方が飛べるのだ。
こういう屁理屈とも取れる感覚は、ある意味で自分の世界を広げ、出来ないことを肯定可能にさせてくれる。
物事なんて捉え方一つで全然感じ方が変わるのだ。
そんなことを思うと、人が人である意味が、その人がその人である意味が、理解できるようになると思う。
"鳥のように飛べたらなァ"
という前に、
"おい、俺はお前(鳥)より飛べるぞコラ"
と思おう。
(鳥に喧嘩売る必要はない)
焼き鳥食べたいなァ
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