エゴの考えは「無」であるがゆえに、それを無であると突きつけられることは攻撃と見做される。

ソクラテスの産婆術が嫌われたのは、自我の思考体系が「無」であることを突きつけるからだ。自らが生み出したものには愛着と保護心があるため、ある何かに対する答え/考え方/信念は守りたくなってしまうし、それを変化させることは「攻撃」見なすようになる。
その根底にあるのは恐れである。自らが生成した考えが、真実でも何でもないことを認めたくないからこそ、抵抗するのである。
「勇気とは何か?」「幸せなる政治とは何か?」「どう生きることが善いのか?」……これらは数回までなら詳細に語ることができる。しかし5回、20回と「なぜ?なぜそうなるの?」と問いかけていけば、それは無惨に破綻してゆく。あるいは停止する。
すると「結局何もかもわからなかった」自分が浮き彫りになるので、強さの点からしてもその小ささに耐えられなくなってしまう。

それが無であることは認めたくないがゆえの防衛反応

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