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遅くて、退屈で、つまらない場所について考える

大変急ですが、noteで運営している月額マガジンのタイトルを「遅くて、退屈で、つまらない場所」に変更し、メンバーシップとも名前を統一しました。両者の違いはこんな感じです。

月額マガジン(680円/月)
①毎月約4本更新される月額マガジンのnoteを購読者限定ゾーン含め読むことができる
②購読した月からの月額マガジン内のnoteを読むことができる(例:2024年1月から購読をはじめると、2024年1月とそれ以降に更新されるnoteが読める)

メンバーシップ(980円/月)
①毎月約4本更新される月額マガジンのnoteを購読者限定ゾーン含め読むことができる
②過去に更新された月額マガジン内のnoteも全て読むことができる
③メンバーシップ掲示板に投稿されている内容も読むことができる
④新たに追加される機能を体験できるかもしれない(現在未定)

「遅くて、退屈で、つまらない場所」という考えが現れたのは、2022年にドクメンタ15とヴェネツィア・ビエンナーレを観にヨーロッパを旅した時でした。

3週間毎日、アートという遅くて退屈でつまらないメディアを観賞していたら、消費サイクルの早い現代においてアートやアートが生み出す空間が存在する意味について考え出したのです。

元々、東京を拠点にブロガー/YouTuberとして死ぬほど早い時間軸の中で20代を過ごした自分にとって、そこから「遅い」美術への転身。バズるワケでも、大きな収入になるワケでもないのに、なぜかこの月額マガジンの運営が6年目にもなるという事実。

様々な仮説を持って「フランス・パリ」が自分にとって重要なのではないと思い、留学して研究を続けているのが今です。

地元を襲った地震について

まずは、亡くなった方へ心よりお悔やみ申し上げます。そして被災地の復興と被災者の安全を遠い地から祈ってます。

「石川県」で括ると地元だけど「能登地方」として見ると微妙に違ったりするので、これが自分の気持ちに絶妙な齟齬を生んで辛い。しかも海外にいるので尚更。

能登に住んでいる友人が金沢に一時避難したり、物資の供給、宿泊施設を運営してる友人が場所を提供したり、募金を呼びかけたり、情報をシェアしてくれたり、あえて普段と変わらない生活を送るetc 色んなカタチでの災害への関わり方があります。自分はと言うと、なまじ地元ということもあり言葉にできない何かがずっと引っかかっており、「とりあえず今はじっとする」ということに努めました。

震災や、いま一番気になってる志賀原発についてオンライン上で言葉にすると、絶妙にそこでも他の人たちとの齟齬を生みそうな気がするし、ファクトチェックのプロフェッショナルでもないし、SNSで余計なことをシェアして本当に困ってる人を混乱させない。疲れさせない。

救援物資を届ける人、発する正義は善意なのか、自己顕示欲や有名になりたい欲望によるものなのか。人はヒト、行動の裏に欲望めいたものがあるのが人間。自分もそうなりそうで、というか自分が震災に対してどうしたいのかその時点では全くわからなかったので、それに対しては「じっとする」ことにし、ただだだ、自分のすべきこと(研究・生活等)をします。

人はじっとすることができない

パリ日本文化大使館の図書館には日本語の本や漫画がけっこうあって最近よく通っているのですが、数年ぶりにデスノートを読み返してました。

久しぶりに読むと、主人公の夜神月は最初から全部間違ってるんだけど、そもそもの行動(犯罪者に裁きを与えて新世界の神になろうとすること)の発端は月もリュークも「退屈だったから」ということに気づく。

昨年読んだ、國分功一郎さんの「暇と退屈の倫理学」を真っ先に思い出し、電子書籍でまた読むことにしました。「毎日退屈で死にそうだ」と感じることは昨日と今日を区別する何か(それは不幸であっても)を欲することに結びつき、日本における正月という最悪なタイミングでそれは発生し、上記に書いたような個人の「正義」に基づいた様々な行動や発言が飛び交う。

つまり、「退屈だからそれやっていませんか?」という疑惑です。「退屈」の反対は「幸福」ではなく「興奮」。

ちなみに同じこと考えている人いるのではないかと思い「デスノート 暇と退屈の倫理学」でググると、以前から拝見していたチェコ好きさんのブログがヒットしました。9年も前に書かれていた。流石…。

「暇と退屈の倫理学」の中で、「消費」の反対は「生産」ではなく「浪費」と綴られてます。「消費」は観念や意味を消費するので、同時に再生産がはじまる。つまり終わりがありません。SNSも同じですね。

片や「浪費」とはネガティブな意味で捉えられがちですが、贅沢するだの条件であり、豊かな生活に欠かせないもの。満足をもたらします。つまり限界があるので必ずストップがかかる。現代人は正しく浪費することができていないのかもしれない。

浪費こそ最善の対応策なのかは正直わかりません。浪費できているのかもわからない。しかし「暇と退屈の倫理学」を読む以前、美術をはじめ、3週間ヨーロッパを旅した中で現れたのが「遅くて、退屈で、つまらない場所」というワードでした。自分の中にある退屈に対して、興奮を求めず、ただただじっとする。

noteのマガジンとメンバーシップの名前を統一したのは、それについて考えるプロジェクトにしたいと思ったからです。

「金がないと恋もできない」 欲望の街で消費を繰り返した友人の告白

少しセンシティブな気がするのでここからは購読者限定ゾーンで。

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