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はみがきをするとせかいがきれいになる

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会話をするということ

 私は、あまり中身を知らない他人と、会話を続けることが苦手である。  会話は、私にとって、しようと思ってするものである。  私の言葉は勝手に動き出すことがない。  話したい!と思わないと話せない。  そんな面倒なことを、知らない他人に向かってしようと思えないんである。  新しい環境に飛び込んだとき、誰もが期待するであろう出会いに関して、常に前向きでいられる自分がいない、という表現が的確だろう。きっとそういう人間は、私だけではないだろう。  今自分が置かれている人間関係の渦

    • 恋はしてる。 ただ、恋の相手の正体が、ずっとわからないまま 人であるかもわからないし 何か絵を描くとかコトバの羅列とか、そういう表現であるかどうかもわからない 何にも分からないのに、ずっと恋してる気持ち けど一ついえるのは、自分ではないこと。 いうとしても、 自分に陶酔しているという表現で、 自分に恋はしていない はず。 きっと私以外の何かで、それは名詞なのか固有名詞なのか動詞なのかも、全く見当がつかない。

      • 責任がさ

        映画「キリエのうた」に対する批判的なコメントです。 映画の情報を何も確認せずにみにいった。 途中、東日本大震災を想起させるようなシーンがあった。 まさか地震を扱うなんて思ってなかった。 私自身、トラウマになるような辛い出来事があったわけじゃないからそこは大丈夫。 もし生々しい震災時の描写があるということを知った上で見に行ったとしても、私は同じように思うだろう。 その使い方はないだろう… もっと他にいいもんあっただろ… そんなに刺激の強い描写を使うことが、キリエの歌声

        • 椅子をつくる、物語を想像する

          なんだか、寂しいな。 何かあるかなと思って見てみると、 まるで何もない、遊び心が。 ここのどこかに、留まってはいけないんだな 迷惑になるからさ 歩こう歩こう… そんな空間を、置き去りにしたくないと思ったんだ。 留まってもいいじゃないか 止まってもいいじゃないか さあ、どうぞ    お座りください。 ------------------------- 廊下を行き交う人々の、  通るだけ という行為に、抗う椅子を、作りました。 「表現」としての建築を、 (あるいは)

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        会話をするということ

          下北沢の音楽を

          はじめてライブハウスのライブに誘われて、夜の下北沢に行ってみた。  防音のためか、こういうところは地下にあるらしい。 眠っているお宝のような、よくわからないけれどきらきらしているものを、見てきたような気がしている。  下北沢にある私のバイト先には、楽器を持ったお客さんがよく来てくれる。そのたびに「お預かりしますよ」と言って邪魔にならない所に置いておくのだが、楽器に触れるとき、当たり前にカバーがかかった状態でも、触れるのが一瞬でも、すごく緊張する。ほとんどのお客さんは、その

          下北沢の音楽を

          使い切り箱の懐古

          「元気?」 高校の友達から 突然の連絡に、胸が踊る。 高校のときは、これから十人十色の世界に出ていくだろう同級生の、つまりその眩しいくらいのカラフルさが、誇らしくて仕方なかった。 でも今は、なんとなく話したい、 あの頃のままの私たちで。 キラキラな、仲間としての、私たちで。 一番好きだった時間は、 西日の差し込む放課後に、教室で勉強する時間。 私の大好きな人たちと、静寂を共有してた。 肌寒い季節、唯一の息抜きだった。 それから、部活終わりの帰り道も好きだった。 疲

          使い切り箱の懐古

          下ろしたい

          言葉は、弱い。 同じ言語を使う人にしか伝わらないし、頭で咀嚼しないと理解ができない。 画や音は、強い。 身体が、すぐに反応する。 寝ているときでさえも、そういうのが私を起こしにくる。光とか、声とかが。 でも言葉は夢の中でぐるぐる回る。何も見えない宇宙の中で、あるはずのない星をつくっては消してを繰り返すだけで、決して私を起こしにはこない。 だからいつも羨ましかった。 言葉ではない方法で、私の身体の中枢を響かせてくる作品の数々が。 言葉で取り繕うものと出会い、向き合おうとす

          下ろしたい

          出会いはある

          出会いがないんじゃなくて、出会いが始まりの鐘を鳴らしてくれないだけ。 鳴らさずに去っていってしまうだけ。 私は追いかける元気もなく、ぼーっと見送るの。 でも私けっこう、今の自分好きだよ。 また片足突っ込みそうになったけど、 理性を保ったまま身を引くことができた。 いつになったら出会いが出会いとして私に組み込まれてくれるんだろうかって、そういう期待をしながら生きるのはやっぱりだるいから、 今はのほほんとしていたい。 台風とのおいかけっこなんかして遊ぼう。

          出会いはある

          嘘つき

          夏は1人になりたい気分 バイトで怒られた日、怒られたそのときから、集中力が散漫として、ミスを繰り返してしまうこと まあよくある話なんだけど 今日、支離滅裂としている文章を綴った。 途中で何度も思ったんだ、 文字に逃げる私が嫌になりそうだと。 現実に生きていないようで 言葉に表すと楽になれることを知っている私が、ずるをしているようで 文字は、嘘でしかない。 言葉に事実なんてないんだ、 目に見えたものが全てなのだから だから言葉を信じてはいけない。 文章が美しいことや秀

          映画「誰も知らない」

          映画 2004年 是枝監督 明が走る。 汚れた金を差し出されて、逃げた。 走る。 そのシーンの中盤、 カメラは、明よりも速く走っていた。 明を画面に捉えることを忘れて、 私の目の前には、風景だけが走っていた。 それは、知らないということにすれば、はじめから無かったことにできる存在が、映し出された瞬間であった。 その一瞬、ない存在が、確かにみえたのである。 怖かった。 明は、遠くまで走ったあと、後ろを振り返った。 金を差し出した彼女が、追いかけてきていないか、確認

          映画「誰も知らない」

          ごみ

          そんな笑って言わないでよ 私にとっては、わりと思い入れある宝だのに 君はこれをゴミ箱へ案内した。。 「なんやそれごみ?はよ投げてきぃ、」 私も言い返した 「ゴミじゃない、そんなこというあんたの方がごみかすだ」 失笑のような笑い声 ふん、一緒にゴミ箱入っちまえ

          ある日の朝日へ、お祈り。

          私は無宗教です。 こんな勝手なこと言ったら、どこかの人に怒られるかもしれない。 だけどある日の学校に行く電車の中、こんなことをスマホの日記に残していました。 無宗教の私だから、無責任にこんなことが言えるんだろうな これを書いた私は一体、何を思っていたんだろう。 わからないけど、終わりのある世界に、少しずつ、恐怖を持ちはじめたのかも。 みんなよくそんな楽に生きてられるねって思ったりしちゃう。 でもそれが人間なんだなぁ。 私もそうなんだろうな。

          ある日の朝日へ、お祈り。