小説を書く前に押さえておきたい「小説」の強み

 ときどき確認しているのは「小説」という媒体を選択する意味がちゃんとあるのか? ってことです。
 だってシンプルな話、自分が作っているものが「読みにくいマンガ」「動かない映画」でしかなかったら、あえて小説で読む理由がありません。


 せっかく準備したネタ、最大限の魅力を発揮できるように適した表現媒体を選択するべきです。
 媒体ごとに得意不得意があります。
 そうして選ばれた結果の小説であるならば──きっと病みつきになるような魅力を放つことでしょう。
 小説でなければ決して味わえない、特別な妙味を持つ作品なのですから。

小説は感情移入が得意


 では、小説という媒体が得意としてるものは何か?
 シンプルに言うならば感情移入です。

 主人公の姿を客観的に見ているマンガや映画に比べ、小説は感情移入しやすさで圧倒的に秀でています。
 というのも、主人公の内面にフォーカスを合わせるのがとても得意だからです。


 たとえば「ダイエットしている主人公が、限定のケーキを買うかどうか延々葛藤してる話」を最も面白く描けるのは小説でしょう。
(いや、顔芸という面白さの飛び道具でマンガと競り合いになりそうですが──それは「ストーリーの本筋」ではありませんからね!)

古典文学も感情移入


 歴史的に見てみましょう。
「罪と罰」という──やたらとタイトルだけ引用されることの多い──古典文学が存在します。これは青年が葛藤に七転八倒する様を描いた超分厚い小説です。

 また「若きウェルテルの悩み」という、親友の婚約者に恋した青年の苦悩を描いた小説も有名ですね。これを読んで自殺した人が何人も出たという曰く付き。

 せっかくなので「源氏物語」も挙げましょう。時代も文化も常識も全く異なるこの物語が、今でも現代語訳が出続けているのは、「得られなかった愛を求めて女性遍歴を重ねる光源氏」「源氏に振り回される女性たち」の悲恋が現代にも通じるものがあるからでしょう。

 かように、小説は感情移入という武器一本だけで時代を超えて戦い続けることが可能なわけです。
 少し逸れますが、ピラミッドに「最近の若いもんは」愚痴の有名な逸話。共感しやすいことの強みがとても分かりやすい例だと思います。

「人間の思考=言語」


 もう一つ別の観点から見ます。
 哲学や言語学の学問分野に「人間の思考=言語」という考え方があります。
 言語相対仮説ですね。一部抜粋します。

知覚,概念,推論などを含む思考の諸相は言語によって決定されるという仮説。……(略)……つまり,言語こそがつかみどころのない世界を整理する唯一の手段で,思考は言語と切り離せないと考えたのである。

言語相対仮説(げんごそうたいかせつ)とは−コトバンク(https://kotobank.jp/word/%E8%A8%80%E8%AA%9E%E7%9B%B8%E5%AF%BE%E4%BB%AE%E8%AA%AC-2099732

 全てがそうではないにせよ、「普段使う言葉で考えごとをする」部分は確かにあるんじゃないでしょうか?
 つまり、小説という「言葉を読ませる」行為は、読者の脳に「自分の思考」と同じ回路を発火させているわけです。
 小説の言葉は自分事のように感じる。
 ここからも感情移入がぶっちぎりで小説の強みになることが分かりますね。

「共感さえできればいい」の誤り


 なるほど。共感してもらえばいいんだね!!! といって主人公の日常をくどくど描いた小説を書くと多分つまんないです。
 これにはもう一つカラクリがあります。
 小説を含めたあらゆる媒体には「表現」と「ストーリー」の二つの軸があり、もう一つを満足させられなかったためにつまらない小説になってしまったのです!


 といっても、今では皆さんご存知のことだと思います。
 実写映画化すると駄作になるとか。
 メディアミックスで小説がアニメ化されるとか。
 同じ「ストーリー」を異なる「表現」で描くことをメディアミックスと言い、その味わいの違いを楽しむスタイルは一般的になりましたからね。
(メディア=媒体。つまり、ストーリーを摂取するために利用する「仲介役」が各種表現だ、と認識するとわかりやすいです)


 表題の実践は「小説版には小説版にしかない魅力があるよ!」と言わせる作品作り、となります。
 小説にしか出せない魅力というのが、共感であったり言語だったりするわけです。

 ちなみに。
 上の方では感情移入を「主人公への共感」に限定するかのように書きましたが、正しくは「自由度が他の追随を許さないほど広い」です。

 まるで歴史書のような、共感の欠片もない淡々とした語りであったり。
 主人公よりむしろサブキャラに寄り添い、違った立ち位置から主人公の魅力を際立たせたり。
 主人公を離れ、読者自身に意識を向けさせたり。

 緩急自在、遠近両用、工夫次第で読者の感情を呼び起こせることが小説の得意技と言えるかと思います。
 とはいえ、あらゆる媒体の中で小説が最も心理的距離を近く感じさせられるのは述べたとおりです。(なにせ「思考=言語」仮説ですから)
 近さを活かすことが最も重要な事でしょう。

他にも……


 実は他にも、小説が得意とするものがあります。
 情報です。
 今でも知識を得るためには本や記事などを読みますよね。また動画やテレビでも字幕が表示されることはよくあります。
 文字媒体は情報を伝えるのに適しているのです。


 人間の脳はマルチタスクに向いておらず、高い負荷をかけて無理やり実現している状態です。
 映画やアニメで奥深い設定を見せるのが難しいのは、目で見て、セリフを聞いて、解釈する必要があるからです。脳は五感の処理が忙しくて深い思索に向ける余裕がありません。
 その点、文字媒体では単一情報源を理解しながら読み進めることができるため負荷が小さい。結果的に大量の情報を扱うことができるのです。
 原理や理論といった難しい内容、歴史や世界観など大量の情報を扱うのは小説の得意とするところです。


 まあ、得意なだけで、求められてるかどうかは別ですが……。

 あともう一つ、「雰囲気」を描くのも小説は得意かなと思います。
 形で表せないものは画面に描きにくいですからね。
 ただこれは、アニメ映画ゲームの「音で表現する」とトレードオフな部分があって「完全に優位!」とは評しえないとも思います。

おさらい


 まとめます。
 思いついたネタを小説で表現するなら、小説が得意な部分に力を入れると魅力がぐっと高くなります。
 小説が得意なのは感情移入の扱いです。特に共感しやすさは群を抜いています。
 また、大量の情報を扱いたいときにも文字媒体は有利です。


 せっかく小説を書くならば、小説でしか書けない作品を作りましょう!

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