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ゲルハルト・リヒター展 美術館初挑戦レポ

 国立近代美術館のゲルハルト・リヒター展に行ってきました。
 美術館は初めてだったんですが、おもろかった〜!

キッカケ

 美術館とは無縁の私が、なんで急に国立近代美術館の特別展示に行ったかといいますと理由は大きく3つ。

 mirrativで正露丸の匂い嗅いでたころから応援してるvtuber家長むぎが9月9日の配信でオススメしてたうちの一つであること。


 AI作品がコンテストで優勝してしまうなど、AIアートがあまりに急に隆盛してその価値の置き方が問われていること。

 画像生成AIがオープンソースとして公開されたことを受けて、AIアートをテーマにした小説のプロットを慌てて起こしたから。
画像生成AI「Stable Diffusion」がオープンソース化 商用利用もOK

 いっちょモノホンの芸術ってやつをここらで体験しておくべきか! と思い立った次第です。
 このとおり私はあくまでSF物書きであり、かのゲルハルト・リヒター氏をほとんど知らない状態で訪ねています。
 その感想は……いやおもろかった。新鮮な体験でした。

なにがおもろいのか?

 やっぱり想像させられることでしたね!
 リヒター氏、抽象画とか意味深なオブジェとかが中心にド~ンと据えられるタイプの芸術家さんでした。(ご存命の芸術家で、展示の配置などにも関わっておられたようです)

 絵の具のランダム性に何を感じるのか。それは描いてるときもリヒター氏自身、自分の内面を注視していただろうし、完成品を見る私たちにも求められます。
 絵を前にして「自分は何を感じるか?」。抽象的に描かれた巨大なキャンバスは整理されていない生の感情やイメージそのもの。
 常に鑑賞する自分自身の感情を問われる、自己対話の構造は芸術の芸術たる所以を感じた気がしてとてもおもろかったです!

 鏡やガラス、無を象徴するグレイ一色の巨大な絵画など、多彩な表現で鑑賞者自身を写しているように思えて非常に示唆的でした。いやおもろい。リヒター氏の芸術家としてのスタンスが私に合っていたのかもしれません。
 まったくデタラメで私の妄想かも(笑)。それはそれで芸術や美術館のおもしろさかなと思います。
 最初に見に行ったのがこの展示で良かった!

 とはいえリヒター氏はフォトペインティングやカラーチャート、ストライプなどなど、芸術家の芸術家性を拒絶するスタイルを貫いていたように思います。絵画の表現や技法ではなく、モチーフそのもの、テーマ選定そのものに芸術が宿るというような。
 これってAIアートのアート性に通じるものがありませんか? 思わぬところで、しかも本物の芸術家の側からヒントを貰えたようで、めちゃめちゃおもろかったです。

 オイル・オン・フォトは、音声ガイドの受け売りですが、絵の具という具象性と、写真が写しとる奥行きある現実世界との関係を問うものだそうで。絵の具を乗せた写真、そこに感じるものは何なのか、リヒター氏自身の自己対話の軌跡に見えたなあ。
 これまで大型作品をいくつも手掛けてきたリヒター氏がオイル・オン・フォトに関してだけは集大成的な大作がなかったあたりに一種の挫折を見たような気がするね! 私の勘違いかもしれないけど!!
 その先に、展示会場の"行き止まり"に向かって陳列される黒鉛で描かれたドローイングの列。非常に示唆的でおもろかったわ〜。

 出口の横に9月という作品が貼られてるのもよかったですね。入り口のすぐ脇でホロコーストをテーマにした大型作品ビルケナウを展示していたことも合わせて、平和への願いが感じられます。

よくわからん! って人も

 芸術とかよくわからん。抽象画なんて何描いてるのか全然わからん。そんな人が多いかと思います。
 私もよくわからん!
 そもそも現実の貴重なものを扱う博物館ならまだしも、美術館なんざ行ってど〜すんだよ! ってマインドでした。
 そんな私も作品を楽しめたから、わからんと心を閉ざさないのは大事なことだなぁと思ったり思わなかったり。
 なんで分からんのか、分からんなりに想像できるのは何か、絵を前にして自分はどんな感情を引き起こされたのか。自分の内面に目を向けてみるのもいいのではないでしょーか!

 あとやっぱり音声ガイドは本当オススメです。
 製作経緯とか背景とか着眼点とか、いろいろ教えてくれるから鑑賞がグッと楽になります。有料ですけどそんなバカ高いものではないので是非。
 ガイド聞きながら展示を一周して、戻って自分の興味のままもう一回鑑賞するってやったのがおもろかったです。

 最後に、文芸の世界ではテクスト論っていう私の好きな考え方があることを紹介します!
 作者に意図があるとして、それは作品として完成して作者の手を離れた時点で切り離されている。作品は作品単体それ自体のものとして鑑賞していい。
 作品は鑑賞した受け手のものだ、といった感じの考え方です。

 どんな感想を抱いても自由。どんなものであれ、受け取った私達の感情が正解で、その湧き立った感情こそが芸術だって考えていい。
 つまり美術館で何を楽しむかって、展示してある芸術作品ではなくて。「作品を見て自分自身が何を感じるか」を鑑賞する場所なんだ、とそう考えると美術館に行くハードルがグッと下がってくれるんじゃないかなんて思いました。
 私はこの考え方でハードルを下げて臨みました。

 おうおう美術館デビューの鼻垂れがなんか嘯いておるわ!!!!


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