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掌編小説【薔薇喪失】12.薔薇うさぎと波打つ現実

 小屋の褥は薔薇だった。奇妙なことに背が伸びない、赤い薔薇。他の花に例えるならば、その広がり方は芝桜に似ていた。薔薇の花は大きいが、棘がない荊棘が──それは果たして荊棘と言えるのか──蔓と葉を伸ばして横に絡み合い、高貴な織物を機織(はたお)るように、薔薇は編み込まれて咲いていた。美しいけれども、単純に美を感じていい類の美ではない薔薇の存在感だった。厚いベルベットのような花びらの巻かれている間に、何かしらの悪意が挟み込まれている気配の上では、子うさぎが元気に跳ね回っている。
 麗人は薔薇の褥に身を投げて、幸せのことを忘れていた。無心に中空を見上げる長い睫毛は、瞬くことをしない。恍惚と忘却、それに虚無を加えて割ったような麻薬を吸っているかのように、白い美貌はいっそ傲慢なほどに脱力していた。無力な自分という存在を全身で味わう心さえさえ、麗人の美を損ないはしない。麗人はうさぎの餌にでもなったように、子うさぎの集団に群がられていた。餌箱には薔薇の花びらがふわふわと詰め込まれていて、子うさぎたちは薔薇を食んで小さな口をもくもくと動かしている。麗人は毛皮のコートを着たまま眠っているような気分で、ただただ時間を芥に捨てていたのだった。
 うさぎ小屋には、時間を忘れたいときに逃げ込んでいた。麗人には懐かしく偲ぶことができるものがあまりなかった。うさぎは麗人が幼くいることが許された短い平穏だった頃の、象徴だった。そんな事情なんてしらない子うさぎたちは、麗人の周りで薔薇を食べたり、麗人に集っていた。時折、遊んで欲しい子うさぎが、麗人の胸の上に跳び乗ってくる。
 麗人に仕える従者たちは、此処に暮らすうさぎたちを『薔薇うさぎ』と、そう呼んだ。薔薇を餌にして生きていることが一番の理由であるが、餌の薔薇が摂理を歪めたものであるから、従者たちはうさぎたちを憐れんで「薔薇うさぎ」と言うのであった。麗人の管理下でしか、生きることができないうさぎたちは、従者たちにとって気の毒であり、哀れっぽく見なさねばならない存在だったのだ。だがそんなことは、麗人に言わせれば従者たちとて同じなのである。
 小屋の扉が小さく軋む。麗人が我に返って、薔薇の褥から上半身をゆっくりと起こすと、小屋の扉の隙間から、子うさぎが一匹、外へ出ていく丸い後ろ姿が見えた。麗人が声を出す暇はなかった。伸ばした指先は美しいだけで行動に動かず、残酷に捕えたのはうさぎではなく虚無の方であった。外に出た途端に、外気に触れただけで、子うさぎは死んだ。別に、外に猛毒が漂っていたわけではない。子うさぎは脆くも動かなくなった。
 麗人はしばらくの間、無責任な睫毛を半分伏せて、死んだ子うさぎを見つめていた。膝の上に乗っていた数匹の子うさぎたちを抱えて、一匹ずつ薔薇の褥に下ろしてから、やっと立ち上がる。麗人は死んだうさぎを拾いに外へ出た。

「君は悪い子だね」

 口先で咎めながら、麗人は冷たくなった子うさぎを抱いた。麗人の手の中で、子うさぎの亡骸は崩れた。薔薇の塊になったかと思うと、麗人が手のひらを開くとともに散ってしまう。
 麗人は悲しそうな顔をした。役者はこうして感情を作るのだと思考は巡らせたままで、悲しみを演じながら嘆きの台詞を読む声には、潤っているにも拘わらず終わりきった命のような渇きがあった。

「檻の外では、生きていけないんだよ。此処にいれば、君たちはずっと、守られているのに」

 薔薇になって散った子うさぎの死を、別の子うさぎがむしゃむしゃと食べていた。麗人は薔薇の褥から美しく赤い薔薇を一輪摘み取って、子うさぎの頭に飾る真似をして微笑む。

「僕の平穏の象徴を、僕は誰にも穢すことはさせないんだ」

 小屋の薔薇に棘がない理由は、麗人が遺伝子を操作して、摂理を歪めたからであった。薔薇を編んだ絨毯がほしくてつくった。子うさぎたちの餌になっている薔薇は、抗生物質と遺伝子操作によって、摂取したうさぎを脆くすることを目的としている。薔薇を食べて育つうさぎは、管理された小屋の環境下でないと、生きていけないほどに弱く儚くされていた。外気の些細な菌や有害物質への抵抗力を持っていないために、外の空気を浴びただけで死ぬ。子うさぎそのものも、子うさぎのままで一生を終えるように麗人はプログラミングを済ませていた。
 小さなうさぎは、麗人の平穏の象徴ゆえに、誰かに傷をつけられる機会に触れることとなる「外出」をした時点で、誰にも穢されないように死ぬようになっていた。麗人の自閉的な部分は、大切なものが壊れることを極度に嫌った。大切に思うから、自分の所有物を壊されたり他人の指紋をつけられる前に、自分の手で破壊する。
 うさぎの小屋には完璧な支配という不気味が、支配された薔薇から香っていた。麗人は決して死や殺戮を楽しむような悪趣味な人間ではなかった。管理するということに、強烈な固執があった。現実は麗人のものだった。現実は美の奴隷、美の思うがままであった。
 偲べるような過去も思い出も、存在しない夢や虚構のフィクションよりも、麗人は何を失おうとも、今と現実を愛していた。現在という舞台は麗人に全てを与え、現実は麗人に抗う力もなく従って歪み続けるからである。
 麗人は毛繕いをしている子うさぎを一匹抱いて、平和を感じた。そしてまた、幸せを忘れる時間の続きをはじめたのだった。

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