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「明治時代」が面白い

幕府が倒れ、

昨日までちょんまげを結っていた武士たちが、

今度は洋服を着てざんぎり頭で日本という「国家」を作る。

その手作り感がたまらなく面白い。


今、司馬遼太郎の『翔ぶが如く』を読んでいる。

その冒頭は、5人のエリート日本人がフランスに勉強しに行くところから始まる。

彼らのミッションは、フランス・パリの進んだ仕組みを勉強して帰国し、新しい国家建設に役立てること。

こんな壮大なミッションがあるにも関わらず、

まことに滑稽なことに、

5人全員、フランス語全くわからないという笑

でも、みんなめちゃめちゃポジティブで、

「いや、言葉なんてわからなくても大丈夫!武士たるもの、めちゃめちゃ感性を研ぎ澄まして、穴があくように隅から隅まで観察すれば絶対に得るものあるんじゃ!」みたいな感じのノリ。

明治はこの「意味わからんけどとにかく海外に学ばなきゃ!国を作らなきゃ!」っていうモーレツぶりが面白いんですよね。

実際、川路利良はそれを実践するんです。

かれは、日本の警察組織を創るっていうミッションがあって。

パリでは、フランスの進んだ警察組織の仕組みを学んで、帰国後それをそのまま日本で社会実装しなきゃいけなくて。

でも、フランス語わからない。

だから、彼は毎晩、パリの街を出歩いて迷子になるんです!

で、迷子になると当然、パリの「ポリス」が助けに来てくれる。

川路は助けにくるポリスたちを食い入るように観察する。

そうやって、川路はパリのポリスの「真髄」に迫っていきます。言葉がしゃべれないのに!


江戸時代、日本の警察はネチネチした存在でした。

忍者的なノリで、

他人の家に忍び込んでこっそり不正を暴き、こっそり上司に報告、みたいな。

生まれが悪い人がなる感じで、

「良い職業」では決してなかった。

でも、川路はパリのポリスをみて気づきます。

「あ!パリのポリスはなんて紳士なんだ」と!

彼らは、市民の味方で、

迷子の外国人がいたら、親身になって話を聞き、家まで送り届けてくれる。

日本の江戸の警察とは大違いなわけです。

そうやって学んだ警察組織の「真髄」を川路は帰国後日本で実装します。

川路のwikipediaには、

初代大警視(現・警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて詳細に構築した事実上日本の警察の創設者にして、「日本警察の父」とも言われている。

って書いてあるっていう。すごい人、、、!

この「国家の手作り感」がたまらない!!!

『翔ぶが如く』には、もう一つパリ滞在中の川路のエピソードがあります。

川路は夜の街をずっとぶらついていたのですが、

そこで彼は、パリの美しい町並みには「ガス灯」があることに気づきます。

警察のことしか頭にない彼は、思った!

「ガス灯が街を照らしているから、パリの街は夜間の犯罪が少ない!」と。

パリでガス灯を見た二年後、

川路は実際に東京にガス灯を作っちゃうんです。

フランス語わからないけどとりあえずパリに行って、見たこと感じたことをそのまま国家づくりに実装する。

この「国家の手作り感」がたまらないんです。


『翔ぶが如く』の前は、

『新島襄と建学精神』っていうのを読んでいました。

同志社大学には全学部の生徒が必修で受ける授業があるらしく。

その授業は、同志社大学の創始者新島襄について勉強するらしく。

『新島襄と建学精神』はその授業で使われる教科書です。

Rutenのメンバーで同志社の学生がいて、彼からこの教科書をもらって読んだわけです。

これが、めちゃめちゃ面白い!!!!!

明治初期、日本はありとあらゆる国家システムを、

少人数の若者が、海外の見よう見まねで手作りしたわけですが、

もちろん「教育制度」もその一つ。

何が面白いって、

「人=組織」

なんですよ。

当時、「同志社大学」といえば新島襄のことだし、

「京都府」といえば山本覚馬のことだし、

「政府」といえば大久保利通のことだし、

「文部省」といえば田中不二麿のことなわけです。

イメージでいうと、

「テスラ」といえばイーロンマスク

「アップル」といえばスティーブジョブズ

みたいな感じかな。

「日本政府」「同志社大学」「京都府」「文部省」って、

いまでこそ巨大な官僚組織ですけど、

当時はたぶん、ベンチャー企業みたいな感じで。

お金もない、人もいない、めちゃめちゃ小さい組織。

マスの人々(大衆)は「日本政府」とか「同志社大学」とか「京都府」とか「文部省」とかに対して反対しかしないんですよ。おじさんおばさんは特に。

昔からあるお寺、とかがめちゃめちゃ保守的で、

「神聖な京都の町にキリスト教的学校作るとか、けしからん!」的な。

そんな中、一部の若いイノベーター(新島襄とか)がめちゃめちゃ頑張って、手作りで「学校組織」とか「教育制度」とか「国家」を生み出していく。

新島襄って、あのえげつない保守的な江戸時代に、脱国してるんですよ!

すごくないですか?

あの鎖国の時代に。

見つかったら死刑、ですよ。

そこまでして、海の向こうの「アメリカ」にあこがれて。

「日本マジでヤバイって!!」ていう危機感が彼らをそこまでさせたんですよね。

幕末~明治は、狂ってるから面白い。

幕末~明治をみてて、救いなのは、

結局「新しいこと」っていつか正義になるんだなって思えることです。

現代日本を生きる僕らの身の回りは、明治時代に作られた「社会システム」であふれています。

こうやって、「明治の若者たちの頑張り」が正義だったってことを時間が証明してくれてるから、僕らも「今、頑張ろ」と思えるわけです。

どれだけ今批判にさらせれても、何百年後の人たちが自分をめちゃめちゃ称賛してくれるかもしれない。

そんなかすかな光が、僕らを突き動かしてくれるから。

新しいことは、正義だ。


もう一つ、明治時代から学べる重要なポイントは、

「社会って意外と簡単に変えられるんだ」

ってことです。

僕たちは普段、たくさんのルールとか慣習とか法律とかシステムとかに囲まれて暮らしています。

僕たちが当たり前だと信じて疑わないそれらのルールとかは、

起源をさかのぼっていくと、

明治時代、国会ができる前に、

大久保利通とか木戸孝允とかが、

ドタバタのクソ忙しいカオスな時期に

勝手に一存で決めていたりすることもあります。

意外と。

しかも、「正しさ」よりも、

「個人的な利害関係」とか「大人の事情」とか「当時の特殊な状況」とか「外国の事情」とか「各藩の事情」とかに引っ張られて決めたことも少なくない。

必ずしも普遍性があるわけではないってことですね。


僕らが必死で守っている社会の仕組みが、そんな感じで決まったと知ったら、

なんか、変えれそうな気がしてきませんか?

時代って意外と簡単にコロっと変わっていくんだ、

っていうのが学べるのは歴史を学ぶことの重要な面白ポイントの一つですよね!

今の当たり前が、当たり前じゃない時代があったということ。

社会システムは、たくさん上書きされて、書き換えられてきたということ。

うん、明日もがんばろう!

あなたがサポートしてくれると、僕の怠惰な生活が少しだけ改善するかもしれません(保証はできませません)