東京から離れて1年。僕はベンチャー戦線を降りたのか

現在、22時、県内出張の帰りでほとんど客のいない電車に乗って最寄り駅に帰る途中。ちなみに電車は1時間に一本。夜になるとざらに1時間半に一本くらいのペースになって、戸惑う。

それで、僕の左前にはスーツの50-60代の方が二人、酔って半身になりながら声はまあまあ大なりな感じで話していて、その他の客はいない。市内に戻る途中の道ではwifiは切れるし、外は真っ暗、背もたれは腰痛上等90度に反り返っている。まあ、でもそれが普通の日々がここには流れている。

東京を離れて1年経った。正確には1年2ヶ月が過ぎようとしている。それで、そんな気持ちで久々に文章を書く時間が出来たのだが、フラットな中で思ったのがタイトルの通り。

東京では今も熾烈な戦いが繰り広げられている。セオリーがあって、そのセオリーが唯一の成功への道だと。では、成功とは何か。それは定義できるものではない。とある目的に対するセオリーが確立されていることはあれど、成功(少なくとも個人によって異なるもの)の定義が異なる限り、そのセオリーがいくつかのブラッシュアップされた法則に収れんされることはない。つまり、成功は複数あって、セオリーは単一ではないということだ。

何がいいたいかというと、宮崎に帰ってきて、成功を見つけるのがうまい人が多いなということ。競争の激しい業界、ましてや特定の領域にいると、誰かの成功が自分の成功のベンチマークになってしまいがちである。

果たして、それが僕の幸せなのだろうか。いや、もちろん重複するところはあると思うが、100%シンクロすることなどありえるのか?ないだろう。あったら逆にキモいよな。

つまり、成功の定義を誰かに決められることをなくそう、ってことだ。

だいじなのは誰かを参考にするのでなく、自分で自分の幸せが何なのかを考えること。その結果、人望を集めたいでもいい、お金が十分にあることだっていい、ヒッピーみたいに暮らすでも、伝統野菜を守る農作業をするでもいい、誰にも定義されない自分の成功を考えることは、充足感につながるし、何よりベンチマークとの乖離を気にしなくたっていい。

そう思うことさえ、「考えすぎやっちゃない?」(考えすぎじゃない?)っていう空気が宮崎には流れている。みな、自分の人生に正直だ。そしていろんなことを意に介さない人が多い。

で、結論何をいいたいかというと、宮崎では東京と同じくらいの切磋琢磨を出来る機会は少ないということ。田舎に理想を持ちすぎる人、気をつけようということ。でも、切磋琢磨をできる環境をつくるということに、同じくらいのモチベーションを注げるし、注ぎたくなる環境があるなということ。そして、まち単位で施策の競争とかが走って、楽しいということ。各論好きより総論好きが多いな、今の地方は。でもそれが楽しい、それがベンチャーマインドなのかなと。

ベンチャーはベンチャーマインドがあればベンチャーだとサイバーの藤田社長も言っていたし、そうなるのであれば自治体/まち単位でベンチャーっぽいのが日南市を始めとして宮崎県だよな、と思ってテンションが上っている昨今です。

まだまだベンチャー魂。

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