指摘をどう受け入れるか?
こんにちは、くぎです。
今年も残すところ4日になりました。いかがお過ごしでしょうか?今日、娘といる時間がありまして、娘は宿題を、そして僕はnoteを書いています。
さて、今日は、指摘をどう受け入れるか?
というテーマで、noteを書いていきたいと思います。
なんでこのテーマを書くのかというと、先日、ぐさっとくる指摘を受けました。内容は、割愛しますが、本当に自分が恥ずかしくなることで、2つの感情がうまれた指摘でした。
一つは、「やっぱりそうですよね。」という、諦め
もう一つは、「なんでそれを指摘するんですか」という、怒り
今回、もらった指摘は、自分も知っているし、相手も知っているというものです。
自分も知っている、相手も知っていることを言葉にされるので、認識のずれは少ないです。改善点も見えやすいものです。一方で、そのことが問題になったり、改善できていないのには、原因や、自分の特性が関わっているのかもしれません。
今回僕が、受けた指摘も、長年にわたり言われ続けたことで、もしかしたら努力が足りないのかもしれないけど、なかなか改善できなかったことでした。
素直さ
ここで大事なのは、素直さなんだと思います。
指摘を受けることは、期待の表れだと思いますし、無理な要求ではないのかもしれません。そして乗り越えなければならない壁(かなり言い過ぎ)なのかもしれません。
長年に渡り指摘を受け続けてきたものは、素直に受け取りにくくなっています。僕にはできないんだーという思いだったり、もう言わないでくれという感情だったりいろんなものが混じっています。
それでも、物事を前に進めるためには、「素直さ」が必要です。
指摘を受けた、受けないに限らず、できることは何か、一歩でも前に進めるためにはどうするか?「素直さ」をもって、考えることが大事。
指摘をする時に
相手も知っている、自分も把握している自分の欠点みたいなものを、わざわざ言葉にされることは、正直受ける方としては、本当にしんどい。
指摘を受けた側が、「素直さ」で乗り越えようとするのは、乗り越える必要があると受けた側が感じたら、きっと大事なことなんだと思う。
一方で指摘をする側は、何かできないのだろうか?
僕も、よく指摘をする。
子供達や、親にしたり、他にもきっと、お互いが認知している欠点みたいなものを伝えていると思う。
それは、改善した方がなんらかのメリットがあることなので、伝える側としては伝えている。そして、伝えている方としてもそれが長期間に及んでいると、「なんでこんなに伝えているのに対処しないんだ」という、沸点が低くなったり、過敏に反応したりする。そのせいで、他の人だったらスルーすることも、注視してしまうなんてことも。
指摘をするときは、どうしたらいいんだろう?
結果は違うけど、いつもとは違うアプローチをとってみる
指摘を真ん中に挟んだ、サンドイッチで伝える
行動の先をイメージしてもらう
自ら気づくまで待ってみる
それによって得ているもの・失っているものを考えてもらう。
コーチング的なアプローチは、有効だと思う。
そんなわけで、指摘をする必要があるときは、決して、高圧的にではなく、本人のプライドを尊重しながら、やってみようという姿勢で、望んでみようと思う。
今回指摘を受けて
今回、おっしゃる通りという指摘を受けて、とてもしんどかった。
指摘を受けるのは、しんどいのだ。だからこそ、指摘をする側に立つ時に、指摘ではない方法を探し、その人のリソースでできることから探したいし、できることなら、それをしなくてもいい方法で前に進めるようにしたい。
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