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仙人と私と

仙人になりたいと思っていた頃があった。
…ということを思い出した。
それは、高校生の頃だったと思う。
前段として、小学6年生の頃の出来事が大きい。

私は小学校に上がるまでは、泣き虫でいつも泣きながら帰っていた。一緒に帰る男の子に意地悪されたりして、泣きながら走って祖母のいる家に帰っていた。
それが小学生になると、泣かなくなった。何があったのかは今は思い出せない。
そして4年生で祖母が亡くなったあと、学級委員をするようになったり、割とリーダー的な役割をすることが多くなった。
勉強も運動も習い事も一生懸命にやっていた。

私が通っていた学校は、1学年1クラスの小さな学校で、その中でも私の学年は20人足らずで一番人数が少なかった(今は統合されてその小学校はない)。
私たちの学年は、普段仲良く過ごしていたのだけれど、6年生の時、体育の授業でグループに分かれてリレーをしたことがあった。リレーの後、勝ち負けが決まりそれをきっかけにグループ間で諍いが起きた。
子どものすることなので、無視をするとか、悪口を大声で言うとかのささいなことだったが、その頃の私はひどく衝撃を受けた。
リレーで走る前は仲良くしていた。リレーが終わると敵味方になった。その敵味方も適当に分けられたグループに過ぎない。虚無感とか、無力感とか、何とも言い難いが、私はとにかく嫌になったのだ、全て。

その日宿題だった日記に、そのリレー後の出来事を書いて『こんなことが繰り返されるなら、私は死にたい。生きていたくない。』と書いて先生に提出した。担任が不在で、一ヶ月ほど臨時で来ていた先生だった。私は日記が返ってきたとき、先生がなんと書いてくれているのか、ドキドキしてページをめくった。

結果は、何も書いていなかった。
いつも、マルをつけていたり、何かひとこと書いているのに、何も書いていなかった。
『今日に限って見ていなかったのかな』とか『見て見ぬふりをされたのかな』とか少し考えてみたけれど、何もならないので考えるのをやめた。
今思うと、これが転機だったのかもしれない。
ここで何かを諦めたような気がする。
先生という大人に対して『もういい』と思ってしまったこと。本気で何かを訴えても相手にされないことがあるということ。とてもバカらしくなって、どうでもよくなった。けれど、小学生の間は何に対しても手を抜かず目一杯やった。

卒業して中学生になると変わった。適当になった。原因はある。中学校は1学年7クラスだった。大幅に人数が増えた。『ああ、私がやらなくてもなんとかなるし、なんならやらなくても問題ない』と思ったのだ。
そこから、リーダーのようなこともやらなくなった。勉強も運動もそこそこ。メインの人たちから少し距離を置いたところで、眺めていた。
昭和の終わり頃だったので、ヤンキーも多く、そこからも目をつけられないよう微妙な存在感を保ち続けた。手を抜きつつ、楽しみつつ、目立たないように、と何とも面倒くさい3年間だった。

そして、高校生になった。学力で分けられる学校は高校が初めてだった。
そこで私は全てにおいて、まあまあだった。自然体で過ごして、まあまあだった。
宿題で「あなたの夢を英語の文章で書きなさい」というものがあった。
英語で文章を書くということより「夢」が問題だった。なりたいものとか、こうありたいとか、そういうものが何もなかった。
それは幼稚園の卒園アルバムを作るときにも「将来なりたいもの」を先生に聞かれて、何もなくて困った記憶があるくらいだ。

夢が全くない私は、何もできず宿題をせずに行った。
するとクラスの大半ができていなかった。
夢を持たない生徒の集まりだった。
それはそれで興味深い。

高校生活は、受験勉強は大変だったが、あまり理不尽な出来事はなかった。
それよりも授業で「山月記」や「こころ」を知って、自己というものや人間について考えるようになった。
そのうち、死にたくはないが夢もない。別に人も好きじゃないし、人里離れた山のてっぺんに住む『仙人になりたい』と思うようになった。

それは大学に入っても同じだった。
サークルにも所属せず、アルバイトも最小限。人間関係も限られた人とだけ、だった。
結局、就職浪人もしたので、隠遁生活を何年もしていたようなものだった。

ここまで振り返って、気づいた。
私は、繰り返している。
就職浪人で一番人から遠ざかった後、就職をしたことで、また小学校からの一連の流れを繰り返している。就職して、がむしゃらにやって、理不尽さや人間に失望、絶望感を持ち、適当にやることを心がけるようになり、自分のことを知ろうとしている。
そういうことか…。

けれど、今、私は死にたいとも思わないし、仙人になりたいとも思っていない。
私がやりたいことをやっていきたいだけだ。
繰り返すたび、少しずつ変わってきている。
このサイクルは日常の小さな単位でも繰り返されている。
熱くなり、冷めて、なんだったんだろうと思う。
同じ場所でただぐるぐる回っているだけではないようなので、少しずつ、私の好きな『面白いフィールド』に近づいて行きたい。

仙人には興味があるし、好きになってしまうかもしれないけれど、私はこの俗世でもう少しやれることをやってみたい。今のところは。