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昨日みた夢

昨日の夢。
フジファブリックの志村くんの事務所から電話がかかってきて『noteに記事書いてますよね。あれはどういうことですか』と言われた。
"あぁ、まずかったんだな"と思って『どうすればいいですか』と答えたら『志村本人に電話をかけて伝えてください』と言われた。
夢の中では、街角で志村くんを見かけたりしていた。

そこで、目が覚めた。

"志村くんになんて説明したらいいんだろう"と考えながら"そうだ…もう志村くんいないじゃないか…"と気づいて気もちが宙ぶらりんになった。

私はここ数年でフジファブリックを聴くようになった。好きなバンドができると、そればかりエンドレスで聴いてしまうので、以前から存在は知っていたけど聴かなかった。
例えば『茜色の夕日』というタイトルだけでグッとくる。評判もいい。多分聴いてしまったら、夢中になってしまう。そんなよく分からない理由で聴かずにいた。
そうこうしているうちに、志村くんが亡くなってしまったのだ。以前フィッシュマンズの佐藤くんが亡くなったときの衝撃を思い出した。

そして数年が過ぎた。

なんとなく動画を見ていたら、フジファブリックが富士吉田でライブをやった時のものだった。そして『茜色の夕日』だった。
志村くんは、アーティストとしての葛藤と苦悩を、そのままさらけ出してから、歌い始めた。
生まれて初めて聴いた『茜色の夕日』は、私をフジファブリックの世界に連れて行ってしまった。
そして、いろんな曲を聴けば聴くほど志村くんの詩にも引き込まれていった。

もう、この世にはいないかもしれないけれど、こんなにも存在感がある。生きている人々に影響を与え続けている。通勤のときに聴くことが多いので、なんとなく空を見上げてグッと涙をこらえたりすることもある。
その時の自分の表現したいことを、ストイックに極限まで突き詰めて切り取っているから、こんなにも心に迫ってくるのかなぁ。
それを言葉にしきれなくて、つぶやいてみたのが以前のnoteの記事です。まだまだ私の力不足でうまく言えない。それが夢になって現れたのだろうか。

表現することで生きている人というのは厳しい世界にいる。
志村くんの"アーティストとしての自分と、人としての自分"の葛藤の言葉は真実だと思う。
そして、私の人生もぐるぐる回って「さぁ、これからどうするんだ」というところ。そういう時期に来ている。