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いとしのビール

私が初めてビールをおいしいと思ったのは、父と居酒屋で飲んだときだった。
どこにでもあるような駅の近くの居酒屋で瓶ビールをコップに注いでくれた。
勢いよく飲むと、炭酸の強い刺激が心地よく、ビールの苦味がとてもおいしかった。「甘くない炭酸、めちゃくちゃおいしい!!」と思った。そこからビールと私の人生がスタートした。

学生時代、あまり人とつるまなかった私はそんなにお酒を飲む機会がなかった。
たまにゼミの飲み会がある時にはガッツリ飲んでいた。飲み方などは何も知らず、あるものをひたすら飲んでいた。ビール、日本酒、ワインなどなど。
ある時、二次会でゼミの一人がバーに連れて行ってくれた。そこには少し年上のマスターがいて、そこそこ酔っ払っていた私はヘラヘラしながら飲んだことのないカクテルをぐいぐい飲んでいた。
そのうちマスターが「お酒は外国人の方が飲み方がうまいと思うなぁ。一杯のカクテルを会話を楽しみながらゆっくり味わって飲むよ」というようなことを言っていた。
その時の私は何も分からず「えー、そうですかぁ」と言いながらガブガブ飲んでいた。
今ならマスターの言いたいことも少しは分かる。そんな風にやんわりお酒の飲み方を教えてくれた人など後にも先にもマスターだけです…。

マスターのありがたい言葉を活かさずに、私は飲みたい時に飲みたいだけ飲んだ。
今はないけれど、自動販売機で缶ビールが売られていたので散歩途中でも飲みたければ缶ビール片手に飲みながら歩いた。本当に自由に、気ままに飲んでいた。
家族旅行に行っても朝から父がビールを飲み出すと、負けじと私も飲んだ。朝のビールもおいしいものだ。昼もビール。夜もビール。
どんだけ飲むんだろうなと思うけれどビールのない人生なんて考えられなかった。

そのうち働くようになると、職場の飲み会があった。それは何かの捌け口のような場だった。みんなあおるように酒を飲む。大きな声で話し、笑う。それはそれで面白い時もあったけれど、マスターの教えてくれた飲み方とは正反対の飲み方だ。そして、大好きだったビールが憂さ晴らしのために飲まれていた。
私も働くうちに「飲まずにやっていられるか!」という昭和の親父のような飲み方をする時もあった。平成のサラリーマンもきつかったのだ。

週末、金曜の夜と土曜の夜はコンビニで大量のビールとつまみを買い込んで、大好きな本や漫画を読みながら夜中まで飲み続けていた。
凍るほど冷えたきつい炭酸の飲み物。体に良いわけはないけれど、今でも恋しくなるほど魅力的だ。
冷凍庫で冷やしたコップに缶ビールを注ぐ。きれいな黄金色のビールに白い泡が立ち、炭酸の粒がいくつも立ち昇っていく。そしてひと口味わっては、味わい尽くせずもう一度飲む。それでもまだだ。また飲む。すぐになくなる。その繰り返し。

5年ほど前、仕事で心身ともに疲れ果ててしまった私は体質が変わってしまったのか、ビールを飲んだ後、激しい頭痛と吐き気に襲われた。それまでも酷い二日酔いに襲われたことがあったり、何度か経験はあるのだけれど、比べ物にならないほどひどい症状だった。
もうこの苦しみに耐えられない、というくらいきつかった。それから私は全くアルコールを飲まなくなった。以前の私を知っている人たちは、私を見るとすぐにビールの話をしてくるけれど、もう私は飲まないし飲めないのだ。

それでも2年前まではきつい炭酸水をガブガブ飲んでいた。いわばビールがわりだ。けれど今では炭酸水もたくさん飲めなくなってきた。書いていて人生の終焉を迎えているような気もしてきた。
そして、最近またビールの味が恋しくなってきている。でも飲もうとは思わない。アルコールが入っているからだ。
酔いたくてビールを飲む人もいるだろうけれど、私はあのビールというものを味わいたいだけなのだ。

もう一生分、ビールは飲んでしまったのだろう。
私はキンキンに冷えたビールをぐいぐい飲むのが大好きだったけれど、ぬるいビールをゆっくり飲むスタイルもあったのだろう。料理と一緒にゆっくりお酒を楽しむこともできただろう。マスターの言葉が蘇る。そっかぁ、そういうことか…。なるほどな…。

今、私は、常にシラフで日常を生きている。
けれど私を酔わせるものはアルコール以外にもたくさんあるなぁ。ビールを飲まなくなって、それが顕在化してきたかもしれない。
けれどビールよ!私はあなたが大好きでした。そして今も恋しいです。

マスター、こんなお酒の飲み方をしてしまいました。
人生は、いつまで続くか分かりません。
またお酒が飲めることがあれば、今度は違う楽しみ方をしてみたいと思っています。