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限りあるもの

気が急くのは、どうしてだろう。
子どもの頃は、そんなことはなかった。

その原因は時間が足りないからだと思った。
では、時間が足りないと思うのはなぜか。

一日のうち、平日は仕事に時間を割いている。
そして、仕事以外では、家事に時間を割いている。
そうすると、それ以外の状態が『時間がある』状態ということなのか。もっと具体的にいうと、私のやりたいことをできる時間が私にとっての『時間』ということなのか。

そう思うと、確かに休日や、たまに一人で過ごすことのできる平日の休みは、途中から気が急くことが多い気がする。
時間がある時に「あれもしたい、これもしたいのに、あぁ、時間が足りない」という気もちになって、落ち着かない。

それもあって、特にやりたいわけでもない仕事や家事に対する逆恨みがつのっているのかもしれないということに気がついた。
仮に『金銭的に余裕があり、働かなくていい状態になればどうなるだろう』ということを考えてみる。『ずっと時間がある』状態だ。そうなると、私は気が急くことはなくなるのだろうか。

そうでもない気がしている。
人は死ぬからだ。
無限に時間が与えられているわけではない。

と、ここまでくると、逆になんだか気が楽になってきた。
たとえ仕事をやめて時間に余裕ができたとしても、ずっとやりたいことをやり続けられるわけではないのだ。そうしたら、私はまた気が急くのか?と思ったらおかしくなってきた。

人は生まれてから死ぬまで時間を与えられる。
どんな時間を過ごすのかが人生なのかもしれない。いずれにしても、終わりがくるのだ。

人生という限りある時間の中で、私はさらに細切れの時間の区切りを作って苛立っているのだ。
それは、滑稽なことだ。
そして、そもそも『やりたいこと』は、何故やりたいことなのか。
そんなことを考えていると、なんとなく凝り固まった気もちが雲散霧消していた。

私は、自由に生きたいとか、自分の好きなように決めたいとかよく思うけれど、結局、少しものびのびと生きていないなぁ。
それから、物事は未完で終わることもあるし、何も私ひとりで完成させる必要もないのだ。

もう少し、力を抜いて、物事をゆっくり見つめてみる方がいいのかも知れない。