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芥川龍之介考 # 4

☆トロッコ / 大正11年(1922年)2月脱稿
            同年 3月大観 掲載

主人公の少年 良平が小田原〜熱海間の軽便鉄道敷設工事の現場で砂利運搬の為に往復するだけの人力トロッコに興味を持つのには、少年が鉄道や電車そのものに憧れを抱く感情のせいである。

そのトロッコに興味を持った良平は、それを操る土工になりたいとさえ思う。
実に他愛が無い。

責めて、土工と一緒にトロッコを押したり願わくば、土工と一緒にトロッコに飛び乗り風を切って走ってみたいと思う様になる。
理想的空想から現実的空想へ願望の転移にその精神の在り様が変遷してきた8歳の2月の初旬の或る暮方に、2つ下の弟や弟と同い年の隣の子供らとトロッコの置いてある村はずれへ行き、土工たちがいないのをいいことに三人で力を合わせてトロッコを押した。
ごろり、ごろりとトロッコは走り始め彼此、十間も来ると線路の勾配が急になり出し良平は他の2人に「さあ、乗ろう?」と言うが早いか彼らは一度に手をはなすと、トロッコの上へ飛び乗った。

ここからの芥川のトロッコの走る描写が優れている。

…トロッコは最初おもむろに、それから見る見る勢いよく、一息に線路を下り出した。そのとたんにつき当たりの風景は、たちまち両側へ分かれるように、ずんずん目の前へ展開して来る。
ーーー良平は顔に吹き付ける日の暮れの風を感じながらほとんど有頂天になってしまった…。

傑作の誉れ高いこの作品の中でも、一番生気に溢れて動的な疾走感に少年良平が陶然となる名場面である。
この後、10日ばかり経って今度は人の良さそうな若い土工2人と一緒にトロッコを押したり、一緒に乗ったり…という少年の小さな夢が叶う場面が用意されてはいるのだけれど、そのシーンではそう言った生き生きとした描写では、もう無くなっていて最後は意外なほど暗い結末を迎える。

そして大ラスでは、26歳になった出版社に勤める妻子ある男性へと変貌した良平が何の理由もないのに、その最後の暗い結末の風景を思い出す、という所でこの短編は終わる。

小生がこの短編を読んだのは多分小学校高学年くらいの時だが、やはりずっと記憶に残るっていたのは、あの疾走場面であった。

矢張り、傑作は映像的な描写だとする論評通りだった訳だが、この小説の全てはあの疾走感漲る場面だと言うことなのである。

この小説は芥川が中国旅行を挙行した翌年2月に書かれて翌月には雑誌「大観」に発表される。
4月には田端の自宅書斎の扁額をそれまでの「我鬼窟」から近隣に住む主治医下島勲の書になる「澄江堂」に掛け換えた。
11月に次男多加志が誕生した辺りから体調の著しい変調を訴えていよいよ、人生の終局部に入る頃だったが、この年は年明けから「俊寛」「藪の中」「将軍」「トロッコ」「六の宮の姫君」「お富の貞操」と言う傑作を連発してゆく、身体は疲弊してゆき、作品は研ぎ澄まされて行くという皮肉な人生の秋であった。

この「トロッコ」は大正12年(1923)5月に第六短編集として春陽堂から刊行された「春服」に収められた。
この本は芥川の親友だった画家の小穴隆一の装丁と口絵であり、昭和52年1977年にほるぷ出版から復刻された。
現在では神田の中古屋でも容易に入手できる。

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