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義父は日に日にどこを見ているか何を言いたいかわからなくなり食事も取れなくなりました。私たちはまた少しづつ選択をしなければいけなくなりました。今後を決めていく岐路でした。


救急で入院した当初の義父は、医師から

義理の父2-1


と言われました。

その後病状が安定して、別の一般病棟に行った当時も

まだ、手術前は会話も(内容は怪しかったですが)できていました。

その当時の要介護認定は3でした。


義母は面倒がみられないということで、

病院のソーシャルワーカーさんの指導のもと、地域の「特別養護老人ホーム」(略

称:特養)や「介護老人保健施設」(略称:老健)を手分けして探しました。

 

しかしご存知の方も多いと思いますが、

都内の特養に行くとまず空きなどありません。

まず空きなどありません。(くどい)


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今日ここの入所待ちの検索をすると千数百人でした。うひー!


そして前回描きましたが「血栓を取り除く手術」がうまくいかず


義父は日に日に視線が合わなくなり、発語もなくなり、

食事もとれなくなりました。

(嚥下障害による誤嚥もあるので与えられなかったかも。)


つまり「寝たきり」という状態です。


結局胃ろう(胃に直接チューブで栄養を流し込む処置)もすることになりました。


状態が変わったので再度申請した要介護認定は5でした。



片っ端から申請した特別養護老人ホーム(特養)や介護老人保健施設(老健)は

自宅復帰を目標にしていますが、今回はもうそれは考えられなくなったわけで


継続的な医療行為(胃ろう)が必要で、一般病棟や回復期リハビリ病棟から

自宅復帰も施設入所できない「療養病棟」を探すことになりました。


急展開する義父の人生は、やはり父と同様

「ある日突然、2度と家には戻れなくなる」事態に。


しかし考えてみるとそういう人が多いのかもしれません。

私たちも看る側だと何となく思っていますが


いつ突然看られる側になるのか、

いつ突然家に帰られない人生に転じるのか

わかったもんじゃありませんよね。


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