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わたしの去年の五月のコミティア

人の熱意がこもっている文章というものは心を動かすものがあると思う。ぼんやりTwitterのTLを追っていたら知人が「去年の五月のコミティアについて」という文章を書いていて私も書きたくなったというか思い出したくなった。二番煎じで申し訳ない。

 去年の四月にごまと「とこの本を出そう」と話し合い、計画を進めた。わたしにできることが文章の推敲と自分の想いをつづることだけで他のことはごまに任せっきりで申し訳なかった。

当日になってごまと待ち合わせに指定した駅の喫茶店でぼんやりアイスティーを啜っていた。その場所にもう数年も会っていない友人がティアのため上京していてわざわざ来てくれ、話をしていた。その子とはメンタル面での話や、同い年の事もあり話がはずみ、向こうは元気そうで安心した。彼女と別れ、ごまと合流して製本作業にかかった。わたし達が出す本に一体どんな反応があるのか、買いに来てくれる人はいるのだろうかと思いながら一冊三十p超える本を折った。途中で製本用のホチキスがだめになり、その場(キンコーズ)で高いホチキスを買った思い出がある。結局、本ができたのはコミティアが閉まる直前の三時近くだった。

作った本をごまがもっている小さなカートにぶち込み、ごまに手を引かれ、今すぐ閉まりそうな電車に飛び乗った瞬間を覚えている。

前日に軽くサークルチェックをしていたわたし達だがサークルを回る暇もなく、駅についた瞬間駆け足で会場に向かった。もう自由に人が行き来できるようになっており、サークルチケットなど見せず自分たちの席へ向かった。

そこには「待っていましたよ」と言わんばかりに知人や、ごまの知り合いがいた。待っていた人がいてくれたのだった……。わたしはめちゃテンパっていたがごまがゆっくりと本を売ってくれた(助かった。)

それから人の打ち上げに勝手に参加し、サイゼでワインのめちゃめちゃ注文してベロベロに酔っ払って帰ったのだがこのことを思い出すと凄く恥ずかしい。だいぶ前から自分はお酒を飲むと人間関係の悪化につながるということを確信したのとノンアルでもテンションぶちあがれる事が発覚したのでお酒を飲むのをやめた今の私としては信じられないのだった。

 それからnoteで売ったZINEの事について書いて、いろいろ反響をいただいた。

去年の五月のコミティアについて、思い出すときがたまにある。なんなら秋にだって、冬にだって思い出していた。あの微妙な夏の匂いや、空気と不安や焦り、楽しかった思い出など様々だけどやはり思い出すのは「彼女」の事だった。

わたしたちが彼女の死を本にして売るということは死というものを使ってお金を稼いでいるのではないか、と言われるのではと本当はすごく不安だった。ZINEを出したときはそういう意見も言われる事を覚悟していた。だが、みなさんはわたし達に優しかった。本を作ってよかった、ごまがいなければあの本は完成しなかっただろう、本当にありがとう。

 その後私は違う人たちとZINEを作ろうとして二度挫折している。寄稿してくれた人もいるのに本を出せていなくて申し訳ないという気持ちとどうにかしなければいけないという気持ちがある。この事はちゃんとしようと思っているのでもう少し待っていてください。

去年の五月のコミティアに行ってからその後「同人即売会」というものに行けなくなってしまった。それはなぜかわたしの中で、「同じところに同じものを好きな人がたくさんいるのがめちゃめちゃ気持ち悪い」という感情があって、アニメ関係のイベントや(そもそも疎いのですが)同人即売会、ライブなどにも行けなくなってしまった。それは八月を過ぎた頃だと思う。なんでそんな感情があったのかもわからない。いや、なんとなくわかるのだが自分の気持を解析するまでに至っていないという感じ。

でも昔から何もないわたしを繋いでいてくれたのは「好きなものがある場所」だったのかもと最近思えてきた。人がたくさん好きなものがあって、それを人に伝えようと頑張っている、そういう姿が私を突き動かしてくれるんだ、と思えるようになった。良かった。

次のコミティアがあったら、「好き」をゆっくり味わいたい。去年のことを思い出し、そう感じた。

P.S コミティアの主催の人へ 見本誌まだ出せていなくてごめんなさい。キンコーズなどが再開したら、送る手配をします。

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