Nahoruru

やりたいこともできずに死ぬならやりたいことだけやって死ぬ

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最近の記事

歌詞(供養

あの季節が来るたびに私を思い出してね 2人歩いた坂道、やわらかな木漏れ日 心に置き去りにした傷跡 もうあなたの声も私は思い出せないや 嫌 どうやって あなたは私のこと「消去」できたかな あの季節が来るたび 私を思い出してね 線香花火、お祭り、2人で行った秘密の場所 傷跡をそっとなぞる ああまだ私結局あなたのこと忘れられないや 思い出すよわたし あの季節が来るたびあなたのことを

    • 歌詞(供養

      ハミングができない あのね 朝起きて歯磨きしてゴミ捨てて電車に飛びのって 人間のふりして毎日を過ごしてる 眠たい目をこすりながら洗濯物をしている 毎日 偉いの いいこなの だ・け・ど ハミングができない! ああ 歌うこと それだけが楽しみなのに あの子のように歌えたらそれだけでいいのに どうしても……… ハミングができない! 君の話 つまらなくても相槌打つよ そろそろ終わりかなって時計を確認したりしないの わざわざ確認しなくても 終わりは必ずくるから ああ 私 君の話

      • シェアハウスのこと

        Phaのパ終(パーティが終わって中年がはじまる)を読んで昔のことを懐かしく思い出していた。シェアハウスのことが書いてあって私もシェアハウスをやっていたので、どこかでそのことについて思い出さねばいけないと思い日記を書いている。 (注意:紛らわしいですがPhaのやってたギークハウスとは違うシェアハウスの話です) 2015年頃、鷺ノ宮という不毛の地でそのシェアハウスはできた。私ふくめイラストレーター、作曲家、当時の恋人、で構成されていた。今では私以外皆売れてしまいどこかで何かしら

        • 歌詞

          ある夏の日 私たちは出会った 運命だったさ でも現実は甘くないね 君は変わった人だ  私のことを「可愛い」だなんて 「ナイフみたいな言葉で人を傷つけてしまうから」って、 本当に君の言葉は私の心に刺さっていて 今でもチクリと痛むのです。 それもまたいいよな、君に浸っていられるよ 歳をとっても忘れないよ 君といたあのときめき! 君は私を忘れられたかな? 私は君を忘れないよ

          ちんちんがほしい

          あのね、男性器がほしいの、単純にいうと。 私は普段は趣味でエロ漫画を嗜む女です。いや、「エロ漫画を読む女」というのはたくさんいる。それは気持ちのいいオナニーをする妄想の道具として読んでいる人が一定数います。 私は小さい頃からオナニーができません、それはなぜだか知らないけど、幼少期男性から受けたトラウマや、 まあいろいろ(話すのが面倒)でオナニーができません。 中学生の頃から精神科の薬の影響で性欲がなくて性に対する興味があったのだけど あるキッカケから成人漫画を人に勧めら

          ちんちんがほしい

          日記

          紙の日記をつけることにした。が、紙に書くだけじゃ物足りないのでnoteもついでにボチボチ書いていくことにする。 私はてにをは?がおかしいので多めに見てほしい。 3月はイベント月でメイドバーイベントをやり、スナック藤を手伝い、4月に無事燃え尽きている。 メイドバーもスナック藤も来てくれた人たちはみんな良い方で、とても嬉しかった。 皆さんありがとうございました。 4月に入ってから「早川さん、就職やっていきましょう」的なことを言われ自己PRを今日はうんうんと考えていた。 あと図

          ピンクとグレー。ときどきブルー

          東京現代という横浜のアートフェアに行ってきた。好きな作家さんたちが作品を出していて、パワーを感じた。 作品というのは『目に見えるもの』で思いを表現して、それが形となり展示されるという事はとても大きな事だなあと思った。 最近自分は目に見えるものや名前にこだわりすぎているのではないか、と考えていたので自分を見直すいいキッカケになった。 それとは別に会場にいて不安になる場面もあった。自分なんかがここにいていいのだろうか、自分以外の人はなんだか皆自信に満ちていてカッコよく見えてし

          ピンクとグレー。ときどきブルー

          忘れない 鮮やかな木々を 

          10年前に感動していたものにできなくなってしまった。ショックで体が固まってしまった。 どうしてあんなに心動かされたはずなのに、わからなくなってしまうんだろう。 私の感受性は徐々に着実に衰えている。と感じた。 私はいつだって何かに刻みつけたい。何もかもを忘れたくない。あたたかいばしょ、かなしい気持ち、いつか忘れてしまう言葉たち。 しかしなぜ刻みつけたのかさえも、忘れてしまうんだろうな。 ああ、ナイフみたいな言葉で自分を傷つけたいけど、それをすると悲しむだろうな。 私は私を傷

          忘れない 鮮やかな木々を 

          焦がれているよ

          ・死が迫ってきているような気がする。 死はいつも私の隣に居て、「いつになるのか」と問いただしてくる。 私はそれに戸惑いながらも答えたりはしない。 死んだ人の曲を聴いて感傷的になったりすることには意味があるのだろうか。そういう行為自体が私は「死」から逃げているとは思えない。可愛い自分に浸っているだけ。 「いつかくるその時」が早いか遅いかなだけなことに怯えたりする必要あるのだろうか。

          焦がれているよ

          馬鹿な私は歌うだけ

          前は自分なんて何もないし、会ったら失望させたり、相手の期待に応えられなかったり、そもそも何を話したら良いのかわからず人に「私と遊んでください」なんて言えなかった。怖くて。 最近はいろんな人と出会って話したり、褒めてもらったりして嬉しい。 私に興味ある人なんていないと思っていたから。 どこの界隈にいても人間関係を破滅してしまい、ひとりぼっちだったけど そんな事ないんだ、自分で新しい関係を築いていけるかもしれないと希望的な気持ちがあって、嬉しい。 人のことを大切にしたい、そして

          馬鹿な私は歌うだけ

          ナイフみたいな言葉でわたしを傷つけて

          あの子が亡くなってからもう4年が経つ。痛みが薄れていくのではと怖かったがそんなことは無い。あの子を失った時のことをハッキリと今でも思い出せる。それだけは良かった。 でも時間は容赦なく私を置き去りにしていく、 進んでいく人達を見ると私だけが時間の中に置き去りにされているのではとたまに思う。 しかし、私とあなたと何が違うというのだろうか。 自分だけが時に残された存在だと思いつつも、誰かもまた同じように動けずにいたら、と願っている。 *** 選挙に行ってきた。恥ずかしながら最近

          ナイフみたいな言葉でわたしを傷つけて

          奇跡

          毎日が奇跡の連続のようだ。それは殺されない奇跡、車に轢かれない奇跡、人を呪わない奇跡。 実家で新しく来た猫が2年という短さで無くなってしまった。私は奇跡の連続に生かされていたんだなと思い泣いた。この埋め用のない深い穴はもうどうしたって埋められない。 小さな奇跡に毎日生かされている。朝起きれる奇跡、出勤できる奇跡、何もかもが愛おしく、苦しい。 私はこの後どうやっていきていくんだろう。不安でたまらない。

          わたしの去年の五月のコミティア

          人の熱意がこもっている文章というものは心を動かすものがあると思う。ぼんやりTwitterのTLを追っていたら知人が「去年の五月のコミティアについて」という文章を書いていて私も書きたくなったというか思い出したくなった。二番煎じで申し訳ない。  去年の四月にごまと「とこの本を出そう」と話し合い、計画を進めた。わたしにできることが文章の推敲と自分の想いをつづることだけで他のことはごまに任せっきりで申し訳なかった。 当日になってごまと待ち合わせに指定した駅の喫茶店でぼんやりアイス

          わたしの去年の五月のコミティア

          ひとにふれるとき。

          2017年、わたしは絶望していた。働いていたBarの店長がまだ20歳にもならない女の子に手を出し、それをきっかけにわたしと多くの女の子がそのBarをやめた。その後新宿ゴールデン街で働くも夕方17〜0時まで立ちっぱなし、給料の説明もなし 2日でやめた。いつも怒鳴りっぱなしのオーナーのママに耐えきれず怖くて「給料はいらないのでやめさせてください」とメールした。当然給料は払われなかった。ゴールデン街で長く働く知り合いは「この街ではそういう事はしょっちゅうある。」とわたしに話した。

          ひとにふれるとき。

          リハビリ

          猫が死んでからうまく文章が書けなくなって ずっとnoteの更新をやめていた。 リハビリのために少しずつ最近のことを書きたい。 自ら始めて飲んでいる精神科の薬を減らしたいと先生に言った。量の調整があった。嬉しかった。 この季節になると去年亡くなった友人を思い出す、しかし彼女は私の中では亡くなっていなくていつでも会える気がするし、そうしたら何を話そうかいつも考えてる。 だけど夢でもいいからあいたい。 思い出を綺麗な部分だけ切り取って それにすがって生きている自分がいるのに気づ

          リハビリ

          猫が亡くなりました。

          猫が亡くなった。10歳だった。 ソラは昔私が拾った野良猫だ。名前は本当は「ソラーレ」という。外国の言葉で「ひだまり」という意味らしい。母がソラの色がひだまりみたいだ!といって名付けた。 わたしは高校1年のときにいろいろあり、まいっていた。その時は台風が長く上陸していて、家の近くから2日ほど「ミャー」と声が響いていて心配していた。3日目になっても泣いているので「とりあえず外を見に行こう」と自転車置き場を見に行ったら、母猫と子猫6匹ほどが雨宿りをしていた。ソラはそこから1匹少

          猫が亡くなりました。