2・近況 祖母との別れ

倒れてから2週間ちょっとだったと思う

仕事場にいた私の電話が鳴った。

祖母のことを説明していたのでスマホは机に置いていた。

父からだった、祖母が危ない、と病院から知らせが来たという電話だった。

上司に祖母が危篤です、帰ります!と一言行って、職場をでて外へ走った

病院までどうやって行こうか、と考えた

バス通勤のため、家まで帰って車で…と考えたが

とりあえず次女に電話した

次女は車通勤だ、呼んだ方が早いと思った。

次女はすぐ電話にでて、車で拾うからわかりやすいところで待てといい電話を切った

次女を待つ間の20分程度が特別長く感じた、

次女の車には三女も乗っていて、三姉妹揃って病院へ向かった。

動揺して、道を間違えて

次女は焦りながら、病院へ車を走らせた。

病院に着き、病棟へ上がり

なぜか面会カードを書かされて

祖母の病室へ通された。

面会カードを書かせるということは…もう亡くなったのだろうと悟った。

やはり、間に合わなかった。

心電図のモニターがゼロを表示して

電子音が鳴っていた。

3人で泣き崩れた。

『ごめん、ごめん

間に合わなかった。

1人で逝かせてしまった。

ごめんなさい。』

三女が私達の肩を抱き、私達2人はわんわん泣いた。

三女は現実感がなかったのか

妙に落ち着いていて、涙を流せないでいた。

次女が父に電話した、何度か電話したが

繋がらない。

私は叔父や母に電話した。

『ばあちゃん、着いた時には亡くなって居た。間に合わなかった。』

亡くなったばかりなのに

葬儀屋さんにも連絡を取らなければいけなかった。

叔父に頼むことにして、叔父や母の到着を待った。

その間、ずっと祖母の体をさすり、浮腫んでぱんぱんに腫れてしまった手を握った。

『大好きだよ、大好きだよ。

ばあちゃんのでっかいおにぎりが食べたいよ

福神漬けとかミートボールとか卵焼きとか

変な具のはいった、でっかいおにぎりが食べたいよ』

ずっと頭に浮かんだ思い出を口にだしていた。

祖母が清拭してもらうために別室へ移されていたとき、母や叔父が到着した。

その頃には、私達三姉妹も落ち着き、母と話ができた。

祖母の清拭が終わると、霊安室へ移動した。

ドラマで見たことのあるような霊安室。

本当に、こんなのなんだ…という感想がポロッと零れた。

到着の遅れていた祖父を待ち、しばらく霊安室で祖母の顔をみながら、祖母と話をした。

涙が勝手に溢れてくる。

しばらく待ち、祖父が来た。

父はまた、仕事を抜けられず、来られなかった。

こんな時に、会社は抜けられるように配慮してくれないのか、と父の会社に怒りを感じた。

でも、たぶん、父は、冷たくなった祖母に会う勇気が出せなかったんだと思う。

連絡した葬儀屋さんが到着し、霊柩車に祖母を乗せて

葬儀場へ移動した。

霊柩車には次男である叔父が同乗した。

私達は、各々の車で葬儀場まで向かった。

道中、私は付き合っている彼氏と別れたい話を勇気をだして母に話した。

前々から考えていたことだ。

この話は別記事で書こうと思う。

葬儀場に着くと、祖母は布団に寝かされていた。

本当に寝ている様だったけれど、亡くなると筋肉が弛緩するせいか、顔が違って見えた。

腰を下ろすと、疲労感が押し寄せてきて、力が抜けた。

結局父はその日のうちに来られなかった。

気持ちの整理がつかなかったんだ。

次の日、父が葬儀場へ来た。

祖母の顔をみて、頭を撫でて泣いていた。

とても、辛いだろう。

次女が背中をさすって、一緒に涙を流していた。

私は、疲れからか、頭が働かず、ボーッとしてしまっていた。

3日後に葬儀が決まり、支度をかなり急ぎでこなした。

祖母の棺は桜舞うピンク色のものにした。

祖母の趣味は鉢植えを育てることだった。

ピンクや赤の花を育てていたから、きっと好きだろうと私が選んだ。

送る時くらい綺麗なものを選んであげたいと思ったのは、私の自己満足かもしれないけれど 

次の日の夕方、納棺師さんが来てくれた。

お化粧をしてもらい、棺に寝かせて貰うために。

薄化粧をしてもらい、口紅をさした祖母はとてもかわいかった。

妹と『ばあちゃん、絶対恥ずかしがってるね』と半泣きの笑顔で話をした。

祖母は照れ屋だったから

葬儀の前日、祭壇にお花が飾られた。

淡いピンクと紫、白の花を使ったとても可愛らしいお花を用意してくれた。

とてもとても素敵で、お花屋さんが祖母がピンクが好きなのを聞いて飾ってくれた。

『よかったね、ばあちゃん、よかったね

綺麗なお花だね~!』

と笑顔で祖母に話しかけた。

何となく祖母が

『やぁだ、恥ずかしい!』

と返事をしてくれた気がした。

やっぱり照れ屋だなぁ

その日の日中、私は葬儀場に泊まり込んでいる親類や祖父、叔父にお昼ご飯を作ることになり

1度実家へ戻り、仮眠を取ったあと

唐揚げを作り始めた。

作り始めてすぐ、妹達がお昼ご飯を取りにきた

作るのがすこし遅くなったみたいだ…

唐揚げを揚げていると、唐突に気持ち悪さに襲われ、吐き気目眩を起こした。

体の力が抜ける、オエッとえずきながら、倒れる前に次女に作るのを変わってと頼んだ。

妹達はええ…と困惑していて、なに?どしたの?と言っていた。

気を失うまでは行かなかったが、ストレスの発作かと思う

コタツに横になると、身体の芯からゾワゾワと気持ち悪さと目眩が湧いてきた。

吐き気と目眩、脱力感に耐えて何とか軽く眠ることができた。

多分眠ったのではなく、ゆっくりと気絶したんだろうな…

結局、夜まで動けず、情けないなと思いつつ

夜の薬を飲んで、実家で寝た。

仮通夜の日、多少無理をして葬儀場へ行った。

日中、やはり気持ち悪さと脱力感でお茶出しやその他諸々は出来そうもなかった。

車で寝るね、と母の車で仮眠をとった。

夜になり、仮通夜には出席出来た。

大叔母さんのところのお嫁さんが、大丈夫かな?と声をかけてくれた。

ありがたいと思いつつ、長女なのに、何も出来なくて申し訳ないと少し落ち込んだ。

本通夜の日の昼間、葬儀に参加できない方々が訪ねてきた。 

葬儀は感染症の関係で、親類のみで行うので

親類以外の方々はお焼香のみで帰ってもらうことになった。

遠い親類や祖母の友人、町内会の方々がお焼香に並んだ。

短い時間だけれど、皆様心を込めてお焼香してくれた。

私は連日のバタバタで疲れきっていたが

離人を起こしながらも、その日は何とか遠方から来た親類にお茶やお菓子を出したりしていた。

人と話すと離人を起こしてしまうが、やらなければならない。

本通夜の通夜振る舞いも近しい親類のみで行った。

その日は吐き気も多少あったが

折り詰めを食べてお酒も飲んだ。

気晴らしに、すこし、酔いたい気分だった。

缶チューハイ1本で飲むのはやめて

深夜だったが、眠るために実家へ帰った、

次の日は火葬と葬儀なんだな、疲れた

悲しみや喪失感の浸ることもできず

葬儀の日を迎えた。

朝早くに葬儀場へ向かい

お坊さんにお経を頂き、火葬場へ向かった。

火葬場へ着くと、控え室に持ってきたお茶やお菓子を置き

小さな祭壇の置かれた炉前室へ移動した。

もう、祖母の身体は焼かれて灰になってしまうのだ、と何も感じずただ考えていた。

これで最後なんだ、と棺のなかの祖母の顔を見にいくと、涙が出てきた

悲しいのだな、と離人した別の私が泣いている私を見ている気がした。

お坊さんからお経を頂き、全員がお焼香を済ませると

お坊さんのお話を聞いた。

『おばあちゃんはこれから、火葬されますかが

お仏壇やお墓で話しかけると、おばあちゃんには伝わっていますからね』

そんな話を聞いていると

三女が初めて声を上げて泣き出した。

お別れを急に実感したのだろう。

私も本当に祖母は火葬されてしまうのだ、と寂しさや込み上げる様々な感情で頭の中は急に煩くなった。

『火葬されるまえのおばあちゃんに会えるのはこれが最後ですので

もう一度、お顔を見て、お別れをしてください』

お坊さんの言葉で、母と三姉妹で祖母の顔を見にいった。

どうしても離れがたく、ボロボロ泣きながら

嫌だ嫌だと心の中で叫んだ。 

火葬の時間がおすといけないので、私はなんとか泣いている母と妹達に声をかける。

私達が棺から離れると

火葬炉への扉が開き、専用の大きな台車に乗せられた棺は火葬炉へ入っていった。

また、心はスンと平静になり、控え室へ移動した。

お茶やお菓子を用意して、配り

私はお茶よりコーヒーが飲みたいな、と思い探すと

インスタントコーヒーを葬儀場の控え室に忘れて来たらしい。

偶然、一缶あった缶コーヒーを私が飲んでいると

親戚の数人がコーヒーあるの?と聞いてきたので

妹に言うと、コンビニで缶コーヒーを買おうかという話がでた。

20本近くの缶コーヒーをコンビニで買うのは、人生で1度なんじゃないかな、と少し笑えてきた。

1時間半、祖母の火葬が終わり

お骨拾いのため収骨室へ移動して

まだかなりの熱を持っているお骨を長いお箸で拾った。

祖母のお骨は、頭蓋骨に赤く色が付いていて

出血のあとなのではないか、と父や母、大叔母と話した。

お骨を全て拾い、骨壷へ納め終わり

控え室を片付け、葬儀場へ戻る。

途中、実家へ寄って、祖母のお骨と遺影をいつも座っていた椅子へ座らせて

みんなで写真を撮った。

一般的ではないだろうけどどうしても、撮りたかった。

不謹慎かもしてないけれど、私達家族なりの供養なのだ。

遺影の祖母はニコリと笑顔で、暮らしていた家に戻って来れたことに安堵しているような気がした。

写真を撮り終えると、葬儀場へ向かった。

祭壇への中央に遺影と骨壷を置いた。

祖母はやっぱり笑っていて、いい写真選んだねとみんなでうなづいた。

親類みなが揃い、お坊さんが到着して葬儀が始まった。

お経を聞きながら、誰かの鼻を啜る音が聞こえた。

私は流れる涙を拭くこともせず、静かに泣いた。

初七日のお経までを読んでもらったので

少し長くかかった。

葬儀の日に初七日まで済ませてしまうのは

曾祖母の葬儀の時に経験している。

略式のほうが長期間の拘束されることがなくて、助かるな、と現実的なことを考えていた。

葬儀が終わり、早朝5時から家族総出で作った折り詰めを参列した遠方の親類に渡した。 

実家は元々飲食店や仕出し屋をしていたので

父や祖父が折り詰め料理を作った。

その後、他の方が部屋を使うためすこし急いで片付けをした。

全て片付き、実家へ戻る

本当に疲れていて、祖母を弔う式なのだと思えないな、とため息をついた。 

日本の葬儀はかなり遺族に負担が大きいな…とこれまた現実的なことを考えていた。

実家へ着いてからのことは、疲れすぎていたのか記憶が曖昧で

これで、近況報告を終わりにしたいと思う。

ここまで読んでくれた方、ありがとうございます。

書くことで、気持ちが少し軽くなりました。

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