解説

クトゥルフ神話TRPGの歴史

はじめに

 そもそも、この記事を書こうと思ったのは、サンディーがルーンクエストのサプリの新しいキックスタートを始めたと言うニュースを見たからだ。
 知っている人は知っての通り、サンディーは元々ルーンクエストの編集作業を行っていたケイオシアムの社員であり、詳細は後述するがルーンクエストでクトゥルフ神話をやりたかったので、結果としてクトゥルフ神話TRPGを作りだした人物だ。今回のキックスターターは第二弾であるが、ルーンクエストのクトゥルフサプリはサンディーのまさに悲願としていたサプリ製作である。つまり、このキックスタートはサンディーの原点を表しており、そう言う事情を鑑みると非常に感動的な事なのである。
 話が若干逸れたので戻すと、ルルはこのことに感動し、サンディーが如何にしてクトゥルフ神話TRPGのデザイナーになったかまとめようと考えた。しかし、サンディーの記述だけでは正直、記事として短いので、いっそのこと日本語版7版が発売したばかりなので、初版から7版まで基本ルールブックに絞り歴史を解説しようと思ったのである。

1st エディション

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 1981年11月13日にクトゥルフ神話TRPGの初版はケイオシアム社より発売された。先述にもあるように今回のメインは如何にしてサンディー・ピーターセンがクトゥルフ神話TRPGのデザイナーになったかであるのでこの項ではその事について解説する。
 ウィキペディアでは要出典となっており、公式のライセンシーサイトではウィキペディアの記述がそのまま引用されているがサンディーは1974年にD&Dに興味を持った(実は後述のデザイナーズノートが出典元になっている事に記事作成中に気が付いた)。これがサンディーとRPGとの出会いである。サンディー自身がケイオシアムの社員とゲームマーケットのインタビューで述べていたし、マングース社から出版されている「Designers and Dragons」にもサンディーがケイオシアムの常設社員であったことが記されているので、サンディーがケイオシアムの社員であった事は確かなのだが、いつごろ社員になったのか、いつルーンクエストと出会ったのかは正確な資料は残されていない。
 ただ、サンディーは1978年のルーンクエスト発売から暫くは一般のユーザーだったことがデザイナーズノートより伺える。デザイナーズノートがの中でサンディーは’’1年半前、わたしはケイオシアム社に手紙を書き’’(TACTICS別冊RPGマガジンNo.1 1986年9月 有坂純訳より)と書かれている。このデザイナーズノートの原文が掲載されているDifferent Worlds #19は1982年2月に発売されている 。仮にこれが全くズレが無かったとして1980年8月時、つまり大学卒業後の夏休みの間はユーザーであったことが伺える。その後、リン・ウィルスは1980年の暮れにサンディーがチームに配属されたと語っている事から、1980年9月入社で1980年12月に制作チームに加わった事が伺える。サンディーがこの短期間に社員になった根拠はもう一つある。サンディーは元々、ルーンクエストのクトゥルフ神話ヴァリアントをケイオシアムに売り込もうとして手紙を出し、その返信でグレッグからそのヴァリアントが現在制作中だと知らされたのである。サンディーの制作チーム入り前の業務はルーンクエスト関連の編集作業であった、にも関わらず知らないというのは些か不自然であり、となると手紙送った後に社員になったとみるのが自然である。
 話を戻す。クトゥルフ神話TRPGの原型であるルーンクエストのヴァリアントは「Dark Worlds」と言うタイトルであった。デザイナーズノートのリン・ウィルスの記述によると1980年には完成、発売予定であったらしいがルーンクエストにクトゥルフ神話を混ぜ込むと言う案以外が何も進まず、結果としてサンディーの参加を待たなければならなかったそうだ。このルーンクエストにクトゥルフ神話を混ぜ込むと言う案は当時のゴシック物のRPGを得意とするフリーのデザイナーの案が元となっているとの事だが、誰だかは記されていない。しかし、サンディーの記述に同級生であるスティーブン・マーシュがアメリカン・ゴシックを舞台としたRPGを高校生時代に画策したとの記述がある。スティーブン・マーシュは大学生の頃、1975年にD&Dのサプリメント製作にフリーのデザイナーとして関わって以来、今日に至るまでD&Dのデザイナーとして仕事をしている。サンディーと高校の同級生の頃ゴシックもののRPGを提案していたので、クトゥルフ神話要素をルーンクエストに持ち込んだのも彼と考えられる。この考えの基、手元にあるCall of Cthulhu, 1st Editionを確認した所、巻頭クレジットにSteve Marshの名前が確認できた。つまり、クトゥルフ神話TRPGの発案者はスティーブン・マーシュだったのである!(そもそも、サンディーとゴシック物のRPGを作成しようとした時期とサンディーがラヴクラフトに嵌った時期が同じことから、この時のサンディーが6年越しの発案者であるとも言えなくはないが)。
 さて、やっと、サンディーが1980年の暮れに製作チームに加わり、クトゥルフ神話TRPGの制作が始まるところからの話しに入る。リンの記述だとこの時期の制作チームは最悪の状態で1980年発売予定のサプリは来年に発売できるかどうかと言う状況であり、さらにリンは発案者であるスティーブンの意見など二度と使わないと憤っていたほどだった。この中、サンディーがやってきて自体が好転したのは記されている通りである。サンディーが参加するにあたって、元々ルーンクエストの世界にクトゥルフ神話のモンスターを混ぜ込むサプリであったが、サンディーの考えだと余りに追加ルールが膨大になる事から、グレッグと打ち合わせの結果、クトゥルフ神話を基にした新システムの開発に舵を切った。サンディーがチームに参加をすると初めにシステムの草案10枚ほどと何枚かの地図を渡し、これを基に制作を始めた。この草案の時点で遊べるものではあったがEDUとSAN、戦闘ルールは整ってはいなかった。SANに関しては以前の記事にあるようにしてまとめられた。戦闘ルールはスティーブ・ペインがまとめた。このSANを巡る中でサンディーが狂気に徐々に陥るのを推奨し、リンやグレッグたちは回復処理を挟みなるべく長く同じPCで遊べるように工夫をしたことが後述の様に決裂を生むのだが、この様にして何とか〆切と予算を大幅にオーバーしクトゥルフ神話の初版は1981年11月に発売された。因みに元の発表は1981年8月のジェン・コンであったので3ヶ月の遅れである(原稿は完成していたが植字作業が困難になっており、またリンは精神を病んでいた)。ただし、8月のジェン・コンでは“幸運にも”スィーヴズ・ワールドとストームブリンガーの発表があったので事なきを得た(リンは偶然や幸運をデザイナーズノートでは装っているが、彼はストームブリンガーのデザイナーでもあるので恐らくはそう言う事である)。

ここまで初版の流れをまとめよう
・1980年 スティーブ・マーシュがルーンクエストにクトゥルフ神話を織り込む「Dark Worlds」を発案、製作開始
・1980年8月 サンディーがケイオシアムにルーンクエストのクトゥルフ神話ヴァリアントを売り込み、「Dark Worlds」のことを知る
・1980年9月~11月 サンディー、ケイオシアム入社
・1980年12月 サンディー、「Dark Worlds」の制作チームに参加、以降新作RPG「クトゥルフ神話TRPG」の制作にシフト
・1980年12月~1981年前半 EDU、SAN、戦闘ルールを整える
・1981年8月 植字作業が困難極まる。リンが精神を病む。ジェン・コンに遅れる。
・1981年11月13日 Call of Cthulhu, 1st Edition, 1st Printing発売
・1982年 デザイナーズエディション発売、2刷発売

2nd~3rd エディション

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 1983年2nd エディションが発売される。この2ndエディションの発売以降、サードパーティーによる他社雑誌掲載、ライセンシー契約による他社製品など幅広く展開された。また自社雑誌であるDifferent Worldsにより、多くのユーザーが積極的にルールや描写を投稿するようになった。ルルの尊敬するライターであり、5版~6版の継接ぎルルブの元凶……もといルールパートに多大なる影響を与えたキース・ハーバーは1983年のDifferent Worlds, Issue 30にてライターデビューを果たしたのである。
 時は流れて1986年3rd エディションが発売される。そしてこれがサンディーの実質的に関わった最後の版となる。また、この版からDifferent Worldsによって認められた多くのユーザーが製作者としてクレジット名を連ねている。
 因みに日本で発売された初版は2ndと3rdの内容双方を含んだ2.5版である。また、3rdだけ他社製のシナリオが掲載されている。

ここまでの流れ
・1983年 2ndエディション発売、GW版発売、キース・ハーバーデビュー
・1984年 キース・ハーバーがケイオシアム入社
・1986年 3rdエディション発売、GW版発売

4th エディション~6th エディション

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 先述の様にサンディーは狂気に陥るラヴクラフト的なゲームを推奨しており、リン達はPCをなるべく強くし長く遊べることをゲームとして推奨していた。この事はクトゥルフ神話TRPGの展開の上で双方に大きな亀裂を生んだ。サンディーは自身のインタビューで(残念なことにサンディーのインタビューは現在どれも保存されておらず404表示になっている)、私の考えるクトゥルフとリンの考えるクトゥルフが違っただけで、別にそれがどうとか言う訳ではなくクトゥルフ感はそれぞれの自由だと言う様な内容を述べいるが、実際の公式シナリオやサプリの傾向的にサンディーの様な考え方は支持されなかった。4thが発売した1989年以降、正確には3rdの時期にはリンと3rdより加わったキースが表に出て行き影響力が強くなって行った。
 そして、来る1992年5thが発売された。既にこの時、表紙に名前こそ載っているが1982年の文章をそのまま載せるのみで5thよりリンにより大幅なルール修正が加わり、PCをなるべく強くし長く遊べるゲームとしてクトゥルフ神話TRPGは作られた。この事は5版、6版のクイックスタートにも如実に表れており、以前の版では神話的事件の真相を解き明し、その過程でカルトや神話生物を殲滅する時もあると言った書き方であったが、探索者はヒーローであり、神話生物を倒す(退ける)ゲーム(多くの場合は銃により)と言う様に変更された。その最たるルールの変化としてINTとEDUを技能振り分けポイントとして掛け合わせる値が2倍になり、1人のPCで出来る事の範囲がかなり広くなった。また、サプリなどに散らばった銃器に関するルールも基本ルールとして(不完全ながら)取り入れられた。
 クトゥルフ神話TRPGは5版の発売以降、更に発展を見せた。5版が発売された翌年にはハードカバー版(5.1版)へと版上げし、その二年後には5.2版が発売された。しかし、この発展と版上げラッシュがルールを悪い方向で複雑なモノにしていく。サプリでルールが追加されても基本ルールと矛盾する事が多々ある。その時は選択ルールの追加などで乗り切るのだが、如何せん追加ルールが多く、またその追加ルールを全文載せることも紙面の都合やそもそもサプリの存在が意味をなさなくなってしまう事から無理である。そのため、基本ルールがあちらこちらのサプリから不完全なルールをつまみ食いし、その修正を入れたため、複雑怪奇なフランケンシュタイン状態のルールブックに陥ってしまった。これは最終的に5版だけで20周年記念版5.6版ルールブック(事実上の5.7版)が発売したことを見れば明らかである。

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 さて、そんな中2004年に6版ルルブが発売された。5版から6版への変更点は技能の1%が絶対成功になった事と技能の大幅統合だろう。初版から5版にわたって技能の種類は非常に多く増えた。中には採用されなかった技能もあるが、使いどころが限られたり、定義や使用する機会が被る技能も多く、厳密にこの技能と他の技能のどこが違うのか分からないと言うモノが多かった。その為、6版へのアップデートを機に技能は大幅に削除、統合された。が、他のルールに目をやるとやはり、継接ぎである5版ルルブからそのままで、6版と銘打っているが、結局のところ6版とは5.8版でしかなかった。6版は2005年に6.1版、2006年に25周年版(6.2版)、2011年に30周年記念版(6.3版)が発売されているので、結局のところ基本ルールブックは5.999版まで実質的に出たことになる。

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 また、悲しい話であるが、2009年3月には多くの追加ルールを手掛けたキース・ハーバーしが心不全により突然死しており、ルール裁定が分からなくなってしまった(そもそも1993年にケイオシアム社内でホワイトウルフ社の仕事をしていたことが発覚し、就業規則違反で解雇されている)。また、2008年9月18日には74年からRPG業界を支え、78年以降ケイオシアムに勤めていたリンがパーキーソン病と診断され、ケイオシアムを去っている。因みにサンディーは給料を理由に既にケイオシアムを去っている。要するにルール裁定を分っているはずの人間が軒並み消え去り、継接ぎの不完全なルールブックだけがユーザーに残されている状態になったのである。

ここまでの流れ
・1989年 4th エディション発売、サンディー退社(?)、サンディーMicroprose入社
・1992年 5th エディション発売、サンディー事実上デザイナーから外れる
・1993年 5.1th エディション発売、キース・ハーバー就業規則違反で解雇
・1995年 5.2th エディション発売
・1998年 5.5th エディション発売
・1999年 5.6th エディション発売
・2001年 20周年記念(5.7th) エディション発売
・2004年 6th エディション発売
・2005年 6.1th エディション発売
・2006年 25周年記念(6.2th) エディション発売
・2008年9月 リン・ウィルス健康上の理由で退社
・2008年12月 キース・ハーバー復帰
・2009年3月 キース・ハーバー心不全により突然死
・2011年 30周年記念(6.3th) エディション発売
・2013年1月18日 リン・ウィルスパーキーソン病により死亡

7th エディション

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 2013年5月29日、ケイオシアム公式から7thエディションのキックスタートがアナウンスされた。開始後1日で目標金額は達成され、次々に追加ゴールも達成された(最終目標の56万5千$には届かなかった)。そして、来る2013年10月31日に7thエディションのクイックスタートが公開された。その1ヶ月後の12月にはキックスタートのボーナスであるシナリオ「Dead Light」が配布された。
 2014年の秋、ついに7thエディションが発売された(2015年発売と公式サイトでは表記されている所もあるが、ルールブックの後に発売したキーパースクリーンが2014年11月発売なのでそちらの記述に合せる)。
 このコアルールブックはキーパーとプレイヤー双方が可能なルールブックとは別に「 Investigator Handbook」を販売しており、プレイヤーをやるだけなら後者を持っていればよい事になっている
 この7thエディションはケイオシアムから発売されているがここでのデザイナーはマイク・メイソンとポール・フリッカーになっている。彼らは元々、ケイオシアムの社員ではなくイギリスにてRPG関係の出版をしている会社Cubicle 7の社員である。Cubicle 7はライセンシーとしてCthulhu BritannicaやWorld War Cthulhuを出版していた。マイクとポールはこの悪名高いブリタニカの執筆陣である。Cubicle 7やマイクとポールに関する詳しい解説はまた別の機会にするが、マイクは5thの時代からケイオシアムとはコネがあるイギリスでは有名なサークルのリーダーであった。ポールは元々ただの一ライターであったが、とあるシナリオをコンベンションで回した際にケイオシアムのチャーリー・クランクとマイクとコネを持つようになる。
 マイクとポール彼らのシナリオを遊んだり、読んだりした人は一読しただけで分かるが、7thエディションを作成したのは明らかにポール・フリッカーである。事実、7thにおける心構えやルール構成は彼の過去のクトゥルフのシナリオに書かれていた事と似通っている。マイクは編集に徹している。
 さて、この7thエディションであるが、既に2回ほど改訂している。どちらもサイレント修正であったので正確な時期は不明だが、一回目は発売直後、二回目は2018年の前期ではないかと推察される。一回目はエラッタの修正の盛り込みであり、これは当初公式HPやYSDCの方に記載があったが、現在は削除されているので、削除された辺りの時期から、二回目はルル自身が知り合いとルールブックを見比べててDLした時期に容量の差があったことが明らかになり、その見合わせた差が2018年の前期にあった事からである。二回目の修正はショットガンについて若干の追記があった事である。

まとめ
・2013年5月29日 7th エディションキックスタート開始
・2013年10月31日 7th クイックスタート公開
・2014年 7th エディション発売
・2015年(?) エラッタサイレント修正
・2016年 クイックスタートが修正
・2018年前半(?)一部追記

終わりに

 以上が簡単なクトゥルフ神話TRPGの基本ルールブックに絞った歴史である。各版の細かな内容の変化やその原典の解説などはしていない(そもそも入手困難)ので省いている所や正確でないところもあるがこんなところである。個人的にサンディーが原案で無かった事が資料を読んでいて驚いた。
 Youtubeの方に解説動画も載せておくので、ほぼ同じ内容であるがそちらの方のご視聴もお願いします。

【解説】クトゥルフ神話TRPG基本ルールブックの歴史
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参考文献
Different Worlds Issu19
TACTICS別冊RPGマガジンNo.1
Call of Cthulhu, 1st Edition
Call of Cthulhu, 3rd Edition
Call of Cthulhu, 5th Edition
日本版5.1版
6版クイックスタート
7版クイックスタート
Gatsby and the Great Race
Cthulhu wiki

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