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遺された五線譜⑧/12

四つの仮説

 先輩はすぐにミニキッチンへ行き、珈琲を入れる準備をしている。
 ソファに座った美咲さんはスマホを取り出した。
 荷物を置いた僕は、デジカメのデータを見ながら楽譜を書いてみる。五線譜なんてないから、音名だけど。

遺された五線譜2

 ミ  ファ ミ ソ ソ  シ ソ ミ ミ # ミ ソ #ミ   ファ シ
 シ ソ ラ ソ ソ シ ド  ソ ファ ファ  ド ソ   ラ  ド ソ

(上段:ト音記号、下段:ヘ音記号、太字はオクターブ上の音を示す)

 岩見沢さんは茶目っ気のある人だったと言っていたから、音名に変換したら何か意味があるんじゃないかと思ったけれど、どうやら見当違いだったようだ。
「はい、どうぞ」
 カップを僕に渡して、先輩は美咲さんの向かい側に座った。
 芳ばしい香りが頭にまでしみ込むようで幸せな気分になる。
「まずは、あの譜面が岩見沢洋樹によって書かれたものだと仮定しよう」
 いきなり先輩は推理モードに入っている。
「なぜ彼は書いたのか。理由があるはずだ」
「作曲家なんだから、単に思いついて書き留めたんじゃないですか」
「その可能性もあるけれど彼の作風とは異なるから、思いついてというよりは意図的じゃないかな」
「私もそう思います。意識して変えようとしないと、あのメロディは出て来ない気がしますわ」
 音楽に造詣が深い二人が言うのだから、きっとそうなんだろう。
 でも意図的に変えて作曲するってどういうこと?
「意識して変えたのなら何を意図していたのか、そこが分かれば決め手になるよね」
「あの曲は四小節しかありません。何か他の曲の一部を変えようとしたのだと思います。だから中途半端な終わり方ではないかと……」
「さすが美咲さん。それを一つ目の仮説にしましょう。調べるのをお願いしてもいいですか」
「もちろんです。先ほどから岩見沢先生の曲を調べているところです」
 スマホをいじってたのはそのためだったのか。
 先輩から褒められてうれしそう。我がライバルとして不足なし! と言いたいところだけれど、今回は音楽の話だし、僕がやれることは少なそうだなぁ。

「もう一つ意識的に変えようとする理由は……」
 先輩の声が低くなった。
「先ほど奥様の前では言えなかったけれど、可能性としてはありえるんだよな」
 自分に言い聞かせるようにしているけれど、なんだろう。言いにくそうだけれど。
「どういうことですか?」
「さっき偽物を作る話をしたよね」
「はい。偽物を作るときには本物に近づけようとする、って」
 ひとつ大きく息を吸ってから、先輩が話を続ける。
「岩見沢さんが本物に近づけようとして書いたとしたら……」
 ん? どういう意味だ。
 岩見沢さんが近づけようとした本物って――。
「先生が盗作をしているということですか!」
 いきなり美咲さんが大きな声を出した。
「まぁ落ち着いて、美咲さん。盗作ではなくゴーストライターなのかもしれません。あるいは自分の名前ではなく、別名でこっそり発表している曲があるのかもしれない。いずれにしろ、可能性としては否定できないんです」
 先輩の言うとおりだ。
 その可能性も確かにある。
「これが二つ目の仮説。この件については、私が調べてみます」
「わかりました」
 彼女は黙ったままだった。

「鈴木くんは音名に変えていたよね。何か分かった?」
「いたずら好きな子どもみたいな人だったというから、暗号にしているのかと思ったんですけれど……。違うみたいですね」
「いや、私も暗号というか、何かのメッセージではないかと思っているんだ」
 へっ!? 先輩も同じことを考えていたのか。
「曲としては不自然な個所も多い。最後の二音だけ八分音符になっていたり、唐突に#(シャープ)がついていたり。暗号かもしれないというのが三つ目の仮説。鈴木くんは引き続き考えてみて」
「僕じゃ無理ですよ」
「そう言わずにさ。私の助手として暗号解読をしてきたじゃない。それを生かして色々な角度から調べてみて。私なりにも考えるから」
 何も言えずに小さく何度も首を縦に動かした。
 そうだよな、最初からあきらめたりせず、今まで教わったことを思い出してやってみよう。困っている人を助けるのが探偵の役目なんだから。

「そして四つ目の仮説は――」
「まだあるんですか!?」
 あっ、また思わず言ってしまった。最後まで話を聞くべきだった。
 先輩は苦笑しながら続ける。
「もしこれが真実ならば、証明することは不可能かもしれない」
「なんですの、それは」
 美咲さんも興味を持ったようだ。
 先輩も彼女へ話しかけた。
「最初の仮定が正しくない、つまり『あの譜面は岩見沢洋樹が書いたものではない』ということです」
 何か言いかけた美咲さんを軽く手で制して話を続ける。
「むろん、奥様が偽造したということではなく、第三者が書いた可能性があります。音符の書き方はたまたま似ていただけかもしれない」
「でも、第三者が書いたものならどうして岩見沢さんの手元にあったんですか?」
 今度は顔をこちらへ向けて、僕の質問に答えてくれた。
「だから証明が難しいと言ったのさ。誰が書いたものか分からないのに、どうやって手に入れたかなんてわかるはずがないからね」
「では、どうして耕助さまはこの考えに至ったのですか」
「本に挟まっていたと奥様がおっしゃったからです」
 もう一度、美咲さんへ向き直って問いかける。
「本に挟むものと言えば」
 少し考えて彼女が答えた。
「しおり、ですか?」
 先輩は黙って大きくうなずいた。
「この譜面を単にしおり代わりとしていたなら、そう考えました。たまたま手近にあったものをしおりとして使っただけ、自分にとっては特別なものではない何かを」
「……そういった見方もできる、ということですね」
 美咲さんはじっと先輩の顔を見つめて静かに言った。


マガジン表紙2

遺された五線譜⑨ 僕にはお手上げです

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