ばばあもどきの日常と非日常 その16「仕事のこと①」

こんにちは。
“ばばあもどき”のルル山ルル子(ルル)です。
女の容れ物(身体)に男の魂が宿っています。
「トランスジェンダー」とか「FTM」とかの呼称がどうもしっくり来ず、
普段は「見た目は女 中身はおっさん」と自己紹介をしています。

ころころ変わる「将来の夢」

今回から暫く、私の仕事について書こうと思います。
その前に、まずは私の子供の頃からの「将来の夢(主に職業に関する)」について振り返ってみたいと思います。

小学校の5年生まで、私は自分で作詞と作曲をして歌って踊れるアイドルになりたいと思っていました。
アイドルになるためには女装もやむなし、と思っていたくらいです。
歌手活動の傍ら、クイズ番組に出て優勝し、
「あー、この人、ただのアイドルじゃないのね」と全国のお茶の間の皆さんに褒められたいと思っていました。

小学校6年生になって、転校した先の小学校で初めて「ブラスバンド」というものを知って
そこで「ジョニーが凱旋する時」や「オクラホマ・ミキサー」のなど曲が演奏されているのを聴いた私は
アイドルになる夢をとっとと諦め「私は作曲家になる!」と決めました。
大体、アイドルって顔じゃないし、運動が苦手なので踊るったって足が大して上がりません。
それより作曲家になって、クラシックから歌謡曲、CMソングなど幅広く手掛けて有名になり、
クイズ番組に出て優勝し、
「あー、この人、ただの作曲家じゃないのね」と全国のお茶の間の皆さんに褒められたいと思っていました。

中学生になると作家の井上ひさし氏の作品にどハマりし、
将来は「井上ひさし先生の弟子になる!」と決めていました。
卒業文集にもそう書きました。
弟子というのは具体的には何をするかというと、
先生の資料収集を手伝ったり資料の整理をしたりしながら空いた時間に自分も小説を書き、先生に読んでもらってアドバイスをいただく傍ら、
クイズ番組に出て優勝し、
「あー、この人、ただの弟子で終わる人じゃないわね」と全国のお茶の間の皆さんに褒められたいと思っていました。

高校生になると、やっぱり私には音楽しかないと思うようになりました。
作曲家になるのです。
もうクイズ番組には出なくてもいいと思いました。
しかし親の大反対に遭い、音大への進学を無理矢理諦めさせられた私は、暫くは生ける屍として引きこもって暮らしていました。
将来に夢なんかありませんでした。
でも勉強はしていたので、引きこもっている間に偏差値がみるみる上がりました。
大学には行けと言われていたので、中学校か高校の英語教師になり、音楽教師を差し置いて吹奏楽部か管弦楽部の顧問になって音楽をやろうと思っていました。

でも大学生になったら印刷か出版の仕事がしたいと思うようになりました。

ばばあもどき、社会に出る


色々あって大学を中退し、丁度バブルが弾けたタイミングだったので仕事が全く無く、
たまたま採用されたというだけの理由で、なんの興味もなかったアパレルの会社で働くことになりました。
「服を着るのはお洒落のためじゃない、(裸で出歩いて警察に)捕まらないためだ」と思って生きていた私は
何万円、何十万円、時には百万円を超える商品を扱うたびに「アホみたい」と思いながら働いていました。

②に続く と思います。

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