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双極性障害と自傷行為 私の後悔



ご覧いただきありがとうございます。
双極性障害、躁鬱ギャルのるるです。

今日は自傷行為について書いていきたいと思います。センシティブな内容になると思いますので、苦手な方はこれ以降ご遠慮いただき、ここで戻っていただくようお願いいたします。

実は双極性障害より前に始まった自傷行為。


私が初めてした自傷行為はリストカットでした。とある本屋さんで立ち読みした漫画に出てきたんです。怖いですよね、漫画とかの影響って。でもちょうどストレスがたまっていたし、もうやっちゃお、やってみよくらいの気持ちでした。もちろんやり方もしらないし勇気なんてものもないので、カッターの刃先で皮膚をなぞる程度のことを。少し血が出て、なんか気持ちが落ち着いた気がして。

まだ小学生だった私

は、罪悪感もあって、両親が喧嘩した日に、手首を切るのではなく、父親にリストカットのことを打ち明けました。
そこで、まだ浅いから傷跡も残らないねと、父が怒らず許してくれて、心のどこかに腑に落ちない感情をい抱きつつも、やめようと思ったことを覚えています。

それから私はしばらくやめました。
でもその期間も長くありません。

家庭環境の崩壊、人間関係の悪化、異性とのトラブル、受験のストレス、全部が私を苦しめて、自分なんてどうでもよくさせました。

自暴自棄が始まったのは中学3年生の頃でした。


そこからエスカレートして、
私はより深く切りたくなっていきました。
より血が出る方法を探して
何度も何度も切りました。
気付けば左腕の肘から下の内側は生傷だらけ。
そのせいで私の制服のワイシャツの袖にはいつも血がついていました。
それでも私は私が生きてることがここに証明されたみたいで、誰も持っていない生傷だらけの腕が自分が愛おしくて自慢で、みんなが怖がるほど心配するほど、私は安心していきました。

その頃にはボディーステッチにもハマっていて、手のひらは縫い跡でボロボロ。ちょっと器用だったがために、今でも可愛いと思えてしまうデザインのカラフルな糸が私の手のひらを這っていました。

そんな私を心配してくれていた友達が、私の痛みを知りたいと言って、手首を切りかけたことがあります。私はその時、これがどんなに悪いことなのか思い知って、後悔しました。

そして辛い期間に終わりが来たのは

志望校に合格した頃でした。担任の先生に大迷惑をかけた私は、先生が心配なく私を送れるように、自傷行為はやめようと思ったからです。

それからはほんの時々、辛いことがあると切ってしまったことはあります。
時に首に刃を当てたこともあります。
1番深い傷を負った日もあります。
でも、18歳から私は一度も手首を切っていません。

私は後悔しています。

こんなにも傷を作ってしまったことに。
夏になると私はいつも左腕が気になります。
人の視線を痛く感じる時があります。
耐えかねて、自分から笑い話として話してしまうことも何度もあります。
夏になるたび私はこの話をします。
全部白い傷跡だけど、自分の生きた証とかいうけど、私はこの傷がスーッと消えればいいのになって思います。
恥ずかしいし、嫌なことを思い出すきっかけにもなります。
消えてくれれば楽なのに、また新しい私で生きられるのにって、後悔しています。
ファンデーションテープでも消えない、手術でも消えきらないこの傷を、一生負って生きていく。私にはまだ覚悟ができてないのかもしれません。認めたくないのかもしれません。

双極性障害も同じかもしれないと、今気づきました。

でも全部紛れもなく自分のことだから。
全て私が私として生きていくための、過程だから。

傷跡は消えないし、多分一生後悔しているけど、私はこの傷と生きていきます。

ここまでご覧いただき、ありがとうございます。

またお会いしましょう。

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