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双極性障害と生きるためにする自殺シミュレーション



ご覧いただきありがとうございます。
双極性障害、躁鬱ギャルのるるです。

自殺シミュレーションなんて言葉聞いたことありますか?
もしかしたらこの言葉は私が勝手に使っている言葉かもしれません。

今日はその、自殺シミュレーションについて書いていこうと思います。

※ネガティブな内容になるので、苦手な方はこれ以降ご遠慮いただき、こちらで引き返してください。またこのシミュレーションについは一記事であり、おすすめするための記事ではありません。前提を持って読んでいただけると幸いです。


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私は辛くてどうしても死んでしまいたくなった時に、昔から自殺することを頭の中で想像する癖があります。
どんな状況で、どんな方法で、どんな終わりを迎えるか、どうなってしまうか、をより具体的に考えます。

私はこの妄想ともいえる想像をすることで、自分の中で死への満足感が生まれ、実際に行動へ移すことを減らし何度も救われてきました。
気持ちが少しでも軽くなる方法がこれでした。

特に私が満足感を覚えるのは「どんな状況で」
「どんな方法で」の部分です。
例えば学生時代、"学校で"と考えたとき、私は優越感近い感情に浸ることができました。
その妄想内容は凄まじかったです。
ニュースになるかななどと思ったりしていました。また、海で、森で、誰も知らない遠くの場所で、など、たくさんの候補が今でも頭の中にあります。恥ずかしい話ですが、それが私を救う自殺シミュレーションなのです。
ここについてはこれ以上深く触れません。

反面、ここ数年では数少ないものの、より実行へ近づき、危険を増したこともあります。なので、絶対におすすめはしません。

特に私の気持ちを正気に戻してくれる、妄想ぽイントが「どんな終わりを迎えるか」「どうなってしまうか」です。

私は自分の体を綺麗に残したいと思う気持ちがあります。しかし自殺のほとんどは、そうなりません。当たり前です。それが代償とまで思いません。だから、どんな終わりを迎えるか考えた時にどうしても、私が望む終わりが想像できずに、気持ちが萎えて、私は妄想をやめます。

また、私がここで死ぬことで、家族や友人がどうなってしまうかを考えます。特に私が死ぬことでお金がかかってしまうことを考えると、私は思いとどまることができます。

そこで次にするのが自分の葬儀を想像することです。文字起こしすると、負の感情が湧いてきそうなので、ちょっとやめときます。ごめんなさい。でもこれは、してみたことある人いると思います。

まあしかし、そんなことできるだけ幸せだと思います。
私は失礼なやつだとも思います。
私に関わる人や事柄全てに失礼だと思います。

でも、こんな妄想たちが私を今日まで生き延ばせてくれました。(これからも)

今は幸い、負の感情があまりなく、最近ではシミュレーションをすることは減りましたが、また私は、うつ状態になればきっとこの妄想に頼ることになると思います。

もしまた妄想してしまっても、妄想で、シミュレーションで終わればそれでいいし、それでその先も生きて乗り越えられるなら、たまには頼ってみてもいいのかなと思ったりもします。

いつかこんな最悪な妄想とはさよならできる人生を過ごしたいです。

妄想も全部良いことを。良い妄想が明るい未来を導いてくれるように、願っています。


※最後に、この記事を書くのとで私は、このシミュレーションをおすすめしたいわけでは、一切ありません。再度ここに断りを記しておきます。


拙い文章は変わりませんが、
ここまでご覧いただき、ありがとうございます。

またお会いしましょう。

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