見出し画像

The Making of Rurouni Kenshin―るろうに剣心のすべて 第三章:音楽 佐藤直紀さん

“前作を超える”という強い信念の元、映画『るろうに剣心』シリーズを進化させ続けた日本を代表するプロフェッショナルたち。映画『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』の撮影舞台裏に迫る、限界知らずのチーム「るろうに剣心」スタッフの皆さんのインタビュー連載企画!

第三章は、映画を彩る音楽を手掛けた佐藤直紀さんです。
『龍馬伝』『億男』を始め数々の大友監督作品で劇伴を担当された佐藤さんが代表作と語る『るろうに剣心』シリーズ、そしてその『最終章』においての音楽演出に込めた想いや制作時に意識した事など、深く伺いました。

■琵琶ではなく中東の楽器ウードを使う理由

最初の『るろうに剣心』のとき、大友啓史監督から具体的な指示はありませんでした。
「たとえば、こういう音楽にしてほしい」、「こういう楽器を使ってほしい」、ということはなかったんです。
ですが、大友監督とは既に「龍馬伝」や「ハゲタカ」でご一緒していたので、どのようにして劇判を作り上げていくか、という制作の方向性に関して大きな迷いが生まれることはありませんでした。
監督はいつも、音楽的なことよりもキャラクターたちの想いを伝えてくれます。そこから始まるんです。
そして、「これをやってはいけない」、「あれはやってはいけない」、ということを決して言わない監督です。受け入れてくれる、ストライクゾーンが広い監督です。作品的にも、映像的にも、ストライクゾーンが幅広いので音楽的には作りやすいですね。『るろうに剣心』シリーズでも、怖がらずに、僕がやろうと思ったことをぶつけました。

『るろうに剣心』は、いわゆるリアルな時代劇ではありません。金髪のキャラクターもいるし、戦い方も従来の時代劇とは違います。そこで、日本の時代劇という狭い視野で捉えるのではなく、大きく広がる可能性を見出せるエンタテインメントとして捉えました。

時代劇だからと言って、三味線や尺八、琴などの和楽器は使わない。例えば琵琶は、もともと日本にあった楽器ではなく、中東のウードという楽器が渡来して琵琶になったのです。そこで、あえて琵琶を使わずウードを使いました。日本人にとって一見耳馴染みのある音色だけど、音階や奏法が微妙に違い不思議な感覚です。このあたりの違和感のようなものが、新しいエンタテイメントである『るろうに剣心』にリンクすると考えました。時代劇には金髪のキャラクターは出てこないけれど、『るろうに剣心』にはそういったはみ出した魅力的なキャラクターが次々と登場する。そんな特色を音楽面でも演出できるといいなと。大友監督の作品だからこそできたチャレンジですね。

■『るろうに剣心』だからこそできたアプローチ

画像1

大友監督とは何作もご一緒することで、新しい音楽のアプローチができるようになったと思っています。
大友監督は予定調和を嫌います。音楽と映像があまりにもバシッと合致していることを嫌がるんです。音楽が狙いすぎていたり、ハマりすぎているとダメ。どこかズレていてほしいんですね。
どのくらいのズレ具合を狙っていくのか、最初はわかりませんでしたが、仕事を重ねるうちに僕が監督に合わせようとせずとも、いいポジションが見つかっていきました。なかなか説明はできませんが、頭で考えすぎないという点は大きいかもしれません。テクニックに頼らずに気持ちで曲を書き、それを映像に落とし込んでいます。

そんな大友監督と佐藤直紀さんによる、
『るろうに剣心』シリーズの劇伴の制作過程など貴重な対談が聞ける
Podcast「映画 #るろうに剣心最終章 レジェンドヒストリー」も配信中!


大友監督は、映像にライブ感やグルーヴを求めています。ときには、スタッフがあまりにまとまりのよいものを提示すると、それをぶち壊すところからリ・スタートします。それがスリリングで気持ちがいい。一回出来上がったものを壊すと、臨場感や高揚感が倍増します。

既に3作品作っていますから、今回の『最終章』では、キャラクターやシーンの心情だけではなく、映像には表れていない部分を音楽が炙り出すような、これまでよりも一層深い音楽演出も行っています。
たとえば、アクションのシーンでも、その裏にある人の想いを炙り出すことで、作品に深みを与えたいと思いました。『るろうに剣心』を楽しみにして劇場に来てくれた方の気持ちは裏切らない。しっかり楽しませる。一緒に盛り上げる。そこを踏まえた上で、そのようなことに挑んだのが『The Final』です。観終わったときに、しっかり余韻が残るように、ここも気をつけました。

『The Beginning』は逆に、これまでの『るろうに剣心』に対するイメージをいい意味で裏切る勇気で取り組みました。『The Beginning』は剣心と巴の愛の物語ではある。しかし、そのことを音楽で語りすぎると甘くなってしまうし、チープになる。音楽としてふたりの心情を描きながら、甘くなりすぎない、寄り添いすぎない、少しひいた音楽にしています。

たとえばピアノにしても、「歌いすぎない」演奏を意識していました。「歌いすぎない」音楽は、以前からやりたかったことでしたが、これが許される映画は少ないです。大友啓史監督だからこそ、この作品だからこそ、できたことです。

『るろうに剣心』シリーズは、間違いなく僕の代表作です。
このシリーズをやってきたからこそ、いまの僕の映画音楽やドラマ音楽がある。作曲家としても、経験しておかなければいけないことだったと思います。『最終章』に取り組むのは怖かったです。はたして、この成熟した映像にふさわしい音楽を作ることができるのか。そんなプレッシャーがありました。
スタッフ、キャストが命を削って創りあげたものに、どうにか報いたい。
10年分の想い、そして、10年分の重み。感じていただければ幸いです。

聞き手:相田冬二