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20カ月に及ぶ怒涛の“航海”の始まり――邦画史上最大規模の挑戦『京都大火編/伝説の最期編』。

■1作目の撮影中から決めていた!すべてが前代未聞の挑戦となった2部作『京都大火編/伝説の最期編』

日本映画としては史上最大のスケールで、2部作を一気に撮影するという前代未聞の挑戦が行われた『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』。実は第1作目『るろうに剣心』映画化に当たって、原作ファンの間でも、いちばん人気のあるエピソード“京都編”から始めるべきでは?という考えがありました。1作目で志々雄真実を出すというアイデアもあったのです。しかし、剣心と志々雄との対決は、様々な前提があったうえで深まるもの。そのため“神谷道場編”のストーリーからしっかり作り上げ、それがもし、成功したら“京都編”をやろうと。そうして『るろうに剣心』の撮影がスタートしました。「京都編を作りたい!」——それが当時、スタッフ全員のいちばん大きな目標でした。

通常、映画の続編は成功をしてから製作が決定します。しかし、『るろうに剣心』撮影中に大きな手ごたえを得た製作チームは、撮影現場で大友啓史監督に続編の製作を打診。次作の“京都編”の映画化は、映画1本のボリュームには入りきらないのは明白であり、もちろん、1作目のヒットが無ければ現実に作ることはできません。そこで、ヒットを受けての続編製作であるのであれば、思いきって、前後編を一緒に作ってしまおう、『2部作にするほど自信がある』と捉えてくださる観客がいる、と考え、2部作の製作を企画。結果、『るろうに剣心』は想像を超えるメガヒットを記録し、正式に続編の製作が開始したのは2013年の年明けからでした。そこから実に20カ月に及ぶ怒濤の“航海”が始まったのです。その道のりは、想像を超えるものでした。

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■撮影期間6カ月!エキストラ延べ5000人!ロケ地30カ所以上!破格の規模で行われた映画製作!

『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』の5カ月間におさめるはずの元々撮影期間は、結果、6カ月に伸びました。なぜなら、2013年は幾多の台風に見舞われた年であり、本作もなんと四度の台風に遭遇、半年にわたる撮影期間中、雨天中止は20数日にもなっていました。そして、多彩なキャスト陣はいずれも人気者。それぞれのスケジュールにあわせて撮影を組んでいるため、撮影効率を最優先にはできません。しかし幾多の困難の中、製作チーム全員が、日本映画として考えられる最大限の豊かさを極限まで追求していきました。『るろうに剣心 京都大火編/伝説の最期編』の撮影初日の様子は、佐藤健さん公式YouTubeの「Road To Kenshin」で公開中!志々雄兵と対峙する中で見せた、あの剣心屋根走りのシーン。壮絶な撮影の舞台裏を是非ご覧ください!

江戸時代でもなければ、近代でもない。『るろうに剣心』は、言ってみれば新しい価値観や風景が生まれようとしている明治時代を舞台にしているため、実に10都道府県、北から南まで全国30カ所以上のロケ撮影が敢行されました。和洋折衷の場所はありそうで、それほどはない。少しでも妥協してしまうと、『るろうに剣心』ならではの世界観が崩壊する。“1作目と同じことをやっていても仕方がない”。“観客の予想を超える。前作よりも、もっとやる!”。それが大友監督ら、キャスト・スタッフ全員の共通認識でした。粘りに粘って探し出したロケ地だからこそ、贅を凝らした美術セットも違和感なく映えます。そして志々雄の魔力を輝かせる煉獄のセットや志々雄の登場シーンは、破格の規模で撮影が行われました。本作の美術は、ハリウッド映画を手掛けるワーナー・ブラザース本社の制作担当が見ても驚くほどの規模とクオリティとなりました。

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