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The Making of Rurouni Kenshin―るろうに剣心のすべて 第一章:大友啓史監督

“前作を超える”という強い信念の元、映画『るろうに剣心』シリーズを進化させ続けた日本を代表するプロフェッショナルたち。映画『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』の撮影舞台裏に迫る、限界知らずのチーム「るろうに剣心」スタッフの皆さんのインタビューを本日から連載していきます!
記念すべき第一回目は、『るろうに剣心』シリーズ全作を担った大友啓史監督です。

■『るろうに剣心』史上最大の闘い

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あらゆる闘いにおいて、相手は自分を斬りに来るけれど、自分は相手を殺さず、しかし、相手との闘いに真正面から向き合う。それが剣心です。
剣をもって、相手を諭していく。今回、複雑な感情を抱いている縁(えにし)に対しても、そこは変わりません。ただ、縁に対しては謝るしかない。剣を通して、お互いの生き方を確認していく物語。だからこそ、『るろうに剣心』史上最大の闘いを構築できると思いました。

剣心は孤児として比古清十郎に拾われて、他のことを何も知らずに飛天御剣流の特訓に打ち込んできた。その生い立ちは、僕にとっては『3月のライオン』の主人公に重なる。
結果、剣心は超人的な身体性を持つに至った。しかし、あくまでも彼は人間です。なので、人間の肉体でできることをギリギリまで追求したアクションにしています。ここは、一作目から大切にし続けてきたコンセプトです。
今回、そのギリギリのアクションに加えて、剣心の感情に対する負荷が最大限にかかる。これは創り手として豊かなエモーションが獲得できるということになります。その点は全く心配していませんでした。

いままでの作品の蓄積があったからこそ、今回の撮影もなんとか乗り越えられたと思います。いちいち指示を出さなきゃ動けないスタッフは一人もいない。みんな僕の作品に対する考え方を共有し、その上で、作品をより良くするために自由に動いている。打ち合わせをしなくても、最高の表現を実現するために、蜘蛛の子を散らすように、それぞれが動いていく。決め事にとらわれない、どちらかと言えばアウトローなスタッフを一作目から集めていましたが、ここにきて、前二作から5年を経て、みんな俄然頼もしくなっていた。
僕が「それは面白い!」と思うアイデアを自分たちで次々に用意してくれる。そんなチームだったからこそ、『最終章』も乗り越えられた。
『るろうに剣心』で育ったスタッフは、どんな現場でもやっていける。このことは自信を持って言えますね。ほんとうに、みんなのおかげです。

■キャストは全員、家族のよう

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『るろうに剣心』は、まず自分が信じる俳優たちを揃えたかった。もちろん信じるというのは、心情的なことのみではなく、演技者としての才能です。

薫は、17歳の道場主。ものすごく健気な女の子だから、やはり演じるのも17歳がいいと思いました。
テレビのある番組で武井咲さんが紹介されていて、これだ! と。スタッフにすぐ伝えたんです。
そして今回、5年後の武井咲さんも発見でした。大人になりましたね。むろん実年齢だけのことではなく、彼女には、どこか昭和の女優の香りとか風格が醸成されつつある。たとえば香川京子さんのような。真っ当な生き方をすることの大切さを知っているというのかな。本当に薫役にはぴったりでしたね。いまは、武井咲さんで撮ってみたい企画も、僕の中に育ちつつありますね。

ムネくん(青木崇高)は、全力で取り組んでくれる熱量の人。心の奥底から演じる芝居は常に嘘がない。時に不器用に映る一途さも、彼ならではの一流の武器だと思います。三船敏郎さんは豪快に見えて、とても繊細な人だったそうですが、ムネくんもそうなんです。喧嘩屋を演じているけれど、実生活では、たぶん殴り合いのケンカなんかしたことがない(笑)。だから、彼がどんなに左之助を荒っぽく演じても、どこかに繊細さが残る。そこが多くの人に、彼が演じる左之助が愛された理由です。俳優であると同時に、スタッフの苦労も分かち合える“仲間“でもある。今回も、佐藤健がすべてを撮り終わったとき、男泣きしているのも印象的でした。

蒼井(優)さんは、映画のクオリティを保証してくれる役者ですね。彼女がシーンに絡むことで、そのシーンに明確な求心力が生まれる。一瞬にして映画のトーンが変わります。本質的というのかな、そこを見据えて、いつも演じてくれている気がします。そしてそれが、他の役者はもちろん、スタッフの発想にも大きく、いい影響を与えるんです。「るろ剣」シリーズでは、剣心の業を理解できる高荷恵を、しっかり地に足のついたキャラクターにしてくれました。今回は、迷える薫の心を解きほぐす役割を、淡々と、それでも深い思いやりをこめて演じてくれましたね。

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土屋さんには「龍馬伝」のオーディションで、まだ彼女が14歳のころに出逢いました。当時から身体能力、芝居、すべてが逸材でした。「龍馬伝」のあと、なかなか一緒に仕事をする機会はありませんでしたが、『京都大火編』のオーディションに、彼女は来てくれました。「私は『るろうに剣心』(第1作)を劇場で観て、動けなくなった。なぜ、自分はこの世界に関われていないのだろう。なんとかして、この世界に関わりたいと思った」と、その想いをオーディションで吐露してくれました。熱量も、芝居力も、他を圧倒していました。
あれから数年、自分が望むキャリアを着々と積み重ねてきてますね。ですが、彼女ならではの役に対する真摯な思い、作品への愛情の注ぎ方は、ずっと変わりません。

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斎藤一は、本能の部分で剣心と共有しているものがある存在。剣心が身体の奥底に、“人斬り抜刀斎”を封じ込めているのと同様に、幕末の“新選組の斎藤一の狂気”を心の奥底に宿している。その凄味を体現するには、江口洋介さんでないと説得力がない、改めてそう思いましたね。今回の『最終章』も、江口さんの本気と色気があったからこそ、締めくくれることができた。僕と同世代でありながら、あのキツいアクションに懸命に取り組んでくれた。頭が下がります。剣心に対する、剣豪同士ならではの“片思い”のような複雑なニュアンスも、その芝居からさらりと感じられる。いいサジ加減、ですね。江口さんならではの斎藤一が、このシリーズを支えてくれましたね。

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今回、最恐の敵を演じる(新田)真剣佑は、一作目の『るろうに剣心』で佐藤健がセンセーショナルに「デビュー」したときのような鮮やかを感じました。海外の俳優にも負けないスケール。心根のピュアさ。演技に打ち込む視線の真っ直ぐさ。俳優として役に献身的。そして、華。世界と闘える男です。
『The Final』のラストバトルは、この10年は、この最後の闘いのためにあったと思えるもの。そして、真剣佑も、この闘いに出逢うためにいてくれたのではないかと、僕は思っています。

『るろうに剣心』の出演者たちは、僕にとって家族のようなもの。
佐藤健は、寡黙な「長男」ですね。自分のやるべきことをしっかりやる。その背中を見せていく。前2作から5年。さらに進化していたし、もっと高いところを目指していた。
一作目から10年。佐藤健が押しも押されぬ存在になっている理由を痛感しました。
今後も高みを目指し、できれば一緒に闘っていきたいですね。

■正義をどう解釈するか

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いまは、正しい筋道があって、どこかに辿り着くという世界ではありません。生きていく。ただそれ自体を目的にするしかない。
結局、ネットなどでも、声の大きな者だけが、多数決で正義を得ているようにすら思える。ほんとうは正義じゃないものも、声の大きさで正義と化す。そんな世の中です。
目に見えない悪が跋扈している時代、価値観が混とんとしている時代は、物語も結論に辿り着くのが難しい。
たとえば『The Final』の雪代縁にとっての正義は、一般社会の人たちにとってはすごく迷惑な行為でしかない。でも、最愛の姉を失った悲しみに憑りつかれた、彼の思いは理解できる。

21世紀のテロリストたちもまさにそうじゃないですか。自らの正義を実現するために、他者を犠牲にしていく。怨みがまた怨みを拡大再生産していく。そんな現代社会にも通ずる、正義と矛盾の問題も、剣心と縁の闘いを通して描いているつもりです。怨嗟の連なりを断ち切っていく、剣心の逆刃刀のキレ味を、ぜひ楽しんで欲しいですね。

『The Final』はもちろんですが『The Beginning』は特に、ご覧になった方の解釈が楽しみなんです。剣心の頬の十字傷をめぐる剣心と巴のシーンは、剣心を生んだバックボーンとして、深みのあるものになりました。
あの場面をどう捉えるかで、前3作の見え方も絶対違ってきます。剣心の「おろ?」も違って聞こえるはず。もう一度、1作目から観たくなると思います。
10年かけて創った甲斐のあるシリーズ。切実に、残ってほしいという念が日に日に強くなっています。
「オリンピックに負けないものを」2020年に公開される前提のときは、そんなアスリートのような気持ちで挑んでいましたが、昨年から今年に公開が延期されていく中、想いは別の形でどんどん深まっていきました。
仕上げに時間をかけることができたので、より心に訴えかけるものに向かっていきました。
特に『The Beginning』は、より静かなもの、小さな気持ちが際立つような作品を目指しています。
公開を待っていてくれるだろうお客さんを信じて創りました。
どうか、受けとってもらえますと幸いです。

                          聞き手:相田冬二

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