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The Making of Rurouni Kenshin―るろうに剣心のすべて 第九章:大友啓史監督 Vo.2

“前作を超える”という強い信念の元、映画『るろうに剣心』シリーズを進化させ続けた日本を代表するプロフェッショナルたち。映画『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』の撮影舞台裏に迫る、限界知らずのチーム「るろうに剣心」スタッフの皆さんのインタビュー連載企画!

第九章は、『るろうに剣心』シリーズ全作を担った大友啓史監督の独占インタビューを、ライターの相田冬二さんがさらに深掘りしてお届け。「るろうに剣心」シリーズに流れ続けるテーマ、そして、『最終章』が今この時代に製作された理由に迫ります。大友監督のインタビューを掲載した第一章をまだご覧になっていない方はこちらから👇

なぜ、『るろうに剣心』だったのか

★志々雄&十本刀FINAL

「これから日本は迷走する」

映画『るろうに剣心 京都大火編』には、そんな台詞がある。
この言葉と共に、シリーズ2作目はいよいよ動乱の真っ只中に突入していき、圧巻の3作目を迎えることになる。
『京都大火編』の公開日は、2014年8月1日。あれから7年後の夏。劇中で語られたあの言葉は、なんら色褪せることなく、むしろ、より一層の生々しさと、かつてなかった切迫感を伴って、わたしたちの前に立ち尽くしている。

日常を日常として生きることが難しくなったいま、あの映画で吐露されたメッセージは、このシリーズがいかに現代のリアリティと共棲してきたかを力強く物語る。

普遍性。

混迷と不安の只中にあるとき、人間に必要なものは、朽ちぬ普遍性だ。

迷走の時代を、どう生き抜いていくか。

大友啓史監督に、あらためて、なぜ、『るろうに剣心』だったのか、を訊いた。

「僕が『るろうに剣心』を読んで最初に思ったこと。故郷、盛岡出身の新渡戸稲造というひとがいる。彼が書いた『武士道』という本を、これは漫画で“翻訳”したものだなと。明治、日本は士農工商を解体して、新たな時代に入った。
侍が髷を切られ、刀を捨て、食うに困り、“武家の商法”と揶揄されながらも、それでもどうにかして生きていかなければいけなかった。新しい国として、新興国家として、並み居る世界の国々と、どう渡りあっていけばいいか。
それが、あの時代だった」

新渡戸稲造の『武士道』は、義、勇、仁、誠、礼、名誉、忠義、切腹、刀、大和魂といった概念について、英語で記し、世界的ベストセラーとなった。

「新渡戸稲造は、あるとき、『日本はどういう国なんだ』と海外の人に問われた。『どういう考え方なのか? どんな哲学なのか? 宗教は?』と訊かれ、このことを説明するために書いた本だった。
だから、英語で伝えることが前提にあった。
“ハート・オブ・ソード”。新渡戸稲造は、武士道をそう英訳した。
『るろうに剣心』の魂のさすらいは、構造的に、この本にぴたりとハマる。
明治に、新渡戸稲造がやろうとしたことを、この漫画は、平成にやっていた。
日本では既に滅び、廃れてしまった武士道の中にある“心”を、つまり、和の“心“を伝える漫画になっていた。そうか、届くんだな、と実感できたんです。新渡戸稲造は、武士道とは散りゆく桜である、もう戻ってはこない、と書いた。新しい道が、武士道に変わって、新しい時代を照らすと」

メイン大

鞘を抜かずに闘いをおさめる

コロナ以前から、世界のパラダイムシフトは変わりつつあった。そこでは、日本は、日本人は、これからどう生きねばならないか、が問われてもいた。
しかし、2020年の未曾有の厄災によって、世界は激変。それぞれの国が、どうにかして生き延びるため、それぞれのやり方で、混迷を必死で泳いでいる。もちろん、日本も無縁ではいられない。
世界と足並みを揃えるという次元では、この嵐の大海を力泳することは不可能であり、日本は、日本人はどうするのか、という自問自答が、本質的な切迫感を持って訪れている。
一刻の猶予もなく、日本は、日本人は、世界と渡りあっていかなければならない。
それが、2021年という時代である。

「これまでのように、国家や道徳やモラルといった、一部の人たちが握りしめる価値観ではなく、普通の人たちがふれることのできる新しい価値観がある。新渡戸稲造は、そう説いた。ある種、武士道的な哲学を、すべての人に伝えられるかもしれないと。
それは、“鞘を抜かずして闘いをおさめる”ということ。これが、武士の最大の頭目であると」

人と人とは他者である。
これは家族であろうが、恋人であろうが、変わらない。衝突も軋轢も避けられない。
そして、国と国とは異国同士である。
相互理解は常に目標だが、どうしたって諍いは派生する。
己が拠って立つ場所が、他者の、異国の生き方によって揺らいだとき、アイデンティティとプライドは隆起し、相手を圧倒しようとする。これは人間の生理であり、世界の摂理である。

「だからこそ、鞘を抜かずに闘いをおさめる。いま、いちばん必要なことだと思う。では、どうしたらいいか。
剣心はそれをやっている。逆刃刀で闘うというのは、隠喩。人と人とが同じ世界で共存していくとき、考え方も違えば価値観も違う。文化も教養も背景も許容量も、何もかも違う。しかし、だからと言って、斬りあうわけにもいかない。だから、話しあうしかない。このことを、剣心は、斬れない刀でやっている。刀で闘ってはいる。しかし、相手を殺そうとは思っていない。争いを止め、相手を理解しようとしているだけだ」

『るろうに剣心』全5部作を、すべて観直してほしい。
緋村剣心は、どんなに凶悪な敵に立ち向かうときも、憎しみを原動力に立ち上がってはいない。殺意によって対峙してはいない。佐藤健はそのように表現している。
彼の目を見よ。彼の声を聴け。
そこで行われているのは、バトルではなく、ディスカッションであった。
縁との最終決戦で、剣心は刀を交えながら説得を試みる。懺悔と謝罪を繰り返しながら、しかし、人の道を説く。しかし、あの姿は、特別なものだっただろうか。あのときだけのものだっただろうか。
否。
剣心は常にそうしてきた。
相手の人格、相手のありようによって、その振る舞いを変幻させてきただけのことだ。
剣心が、初めて志々雄と顔をあわせたときのことを思い出してほしい。
剣心は、あくまでも、人間と人間として、志々雄に向きあった。
ありきたりな共感の生ぬるさは微塵も漂わせない、ソリッドな立居振る舞いだが、【お前の想いは、こういうことなのではないか?】と、他者を慮る気持ちの表出が剣心にはあった。
この、心からの問いかけがベースにあるから、剣心は剣心たり得ているのだ。

剣心の生き方がいまこそ必要

「刀で闘いながら、会話をしている。ここに、普遍性がある。しかも剣心は、るろうになので彷徨い歩いている。どこかの組織に属しているわけではないアウトサイダー。新政府に請われ、要職に就くこともできたのに断って、るろうにとして生きている。この生き方は、どの時代でも、どの国でも魅力的だと思う。そして、この生き方、この哲学こそ、いまの時代にものすごく大事なのではないか。すべての争い事が属性で起きている。どの民族であるか、あるいは、富裕層であるか、貧困層であるかどうか。これもまた属性。人は基本的に、自分以外の属性を理解しようとしない。そんなこと理解しても意味がないよね、という振る舞いが幅を利かせている。
そんな世の中だからこそ、剣心のやろうとしていることに、強く惹かれる。『最終章』に取りかかることができたのは、剣心の生き方がいまこそ必要だと思ったから」

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『最終章』2作を観たわたしたちは、理解しているはずだ。
その【メッセージ】を。
剣心と縁。剣心と巴。
あの姉弟との関係性の中から、ほんとうに大切なことが浮かび上がる。
そして、それは、大友啓史監督が、ずっと見つめ、描き続けているものでもあった。

「発見してほしい。これは、『龍馬伝』の第1話から、やっていることでもある。
憎しみからは何も生まれない。龍馬に、そう言わせている。
このテーマは、『龍馬伝』から『るろうに剣心』サーガへとつながり、ぶっとく貫いているもの」

大友監督にとって、『るろうに剣心』は、新しい船出そのものだった。

「会社を辞めた理由は、守られている立場でものを作りたくなかったから。
何から何まで全部ある、NHKのような組織の中にいてはいけないと思ったから。
世の中の波をどっぷり浴びて、ものを作っていかないと、社会とつながるエンタテインメントはできないんじゃないか。会社を辞めると決意した途端、3月の大震災が来た。
本当に俺は食っていけるんだろうか?悩みながら『るろうに剣心』を作った」

動乱の幕末から、激動の明治へ。
新時代を生きる侍の試行錯誤が、大友監督の心象に重ならないわけはない。
新渡戸稲造の『武士道』の精神性もまた、ぶっとい支えになったはずだ。

「そこで、こんな台詞を入れている。『生きている価値のない命などない』
やはり、作り手の中にあるものが、作品には入っている、入っていく。作り手がどのようなスタンスで物事を考えているかが、いつの間にか俳優に、入っていく。佐藤健はあのとき、22歳だった。まだ若かった。
こちら側のスピリットをちゃんと受けて、吸収してくれた。そして彼は、その後も、呑み込んで、呑み込んで、呑み込んで、大きくなった」

この5部作に耐久性があるのは、つまりはそういうことなのだ。
市井のわたしたちも、この迷走の時代を、それでもどうにか生きていくしかない。

「正直、まさか、こんなかたちで、これほどまでの大波をかぶるとは思っていなかった。
ほんとうに、まさか、まさかのタイミングだった。だが、このような時代だからこそ、伝えなければいけないことがある。だからこそ、社会とつながりながら、作品は作られなければならない。この10年、フレームの中を見つめながら、ずっと、フレームの外を見てきた気がする。いま、何が起きているか。僕の中で、縁と剣心との私闘は、現状の国際情勢やテロリストとの闘い、信仰を巡るボタンの掛け違いにすら重なっていく。いまの時代を生きいていれば、当たり前に物語に反映したくなることは出てくる。『るろうに剣心』に秘めていることはたくさんある。それを見つけるのは、観客だ」

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                              相田冬二

いかがでしたか?
『るろうに剣心』5部作を再度見返したくなるようなお話でした。
いよいよマガジン「The Making of Rurouni Kenshin―るろうに剣心のすべて」も終盤戦!是非この機会に映画と合わせて、第1章から振り返ってみてはいかがでしょうか?

シリーズ累計観客動員数1400万人を突破!
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