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The Making of Rurouni Kenshin―るろうに剣心のすべて 第十二章:大友啓史監督 Vol.3

“前作を超える”という強い信念の元、映画『るろうに剣心』シリーズを進化させ続けた日本を代表するプロフェッショナルたち。映画『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』の撮影舞台裏に迫る、限界知らずのチーム「るろうに剣心」スタッフの皆さんの全12回にわたるインタビュー連載企画が、ついに今回で「最終章」を迎えます!

「最終章」である第十二章は、『るろうに剣心』シリーズ全作を担った大友啓史監督独占インタビュー第三弾。シリーズの完結を経て、「最終章」そしてシリーズへの想いを伺いました。大友監督のインタビューを掲載した第一章・第九章をまだご覧になっていない方はこちらから👇

■『最終章』は運命をめぐる愛の物語

『京都大火編』の公開直後に、ワーナーさんから今回の2作品のオファーがありました。
でも、直ぐには取り掛かる気になれなかったんですね。「ちょっと待ってほしい」と。「龍馬伝」に続いて『るろうに剣心』三部作と時代劇が続いていたこともあり、違う手触りの作品を手掛けたいと思っていたし、正直『京都大火編/伝説の最期編』の2本一気撮りが、精神的にも体力的にもめちゃめちゃキツかったんで。『るろうに剣心』シリーズは完成後もしばらくダメージが残るというか(笑)。
なので、率直にいうとしばらくシリーズから離れたいという気持ちが強かったんですね。

その後無我夢中で他のプロジェクトを手がけていたら、あっという間に数年経っていました。
改めてオファーを頂き、少し冷静になって振り返ってみると、シリーズとしてやり残したことが明確にあるな、と。そう、十字傷の顛末というか、そこに秘められた物語、ですよね。
剣心の「不殺の誓い」の根幹にかかわるストーリーですから、やらなければならない、やるべきだという想いにかられました。少し時間が空いたからこそ、素直にそう思えたんだと思います。

「大友さんは、どういう作品を撮りたいんですか?」
そう訊かれることがよくあります。僕がラブストーリーを撮るというイメージはあまりないかもしれませんが、以前から、時代の流れに翻弄された者たちのラブストーリーなら撮りたい、と答えていました。
運命をめぐる愛の物語。いや、愛の物語というより、愛を通して運命そのものに向き合うような物語を手掛けたいと。

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いざ取り掛かってみると、剣心と巴の物語は、まさに、そんな物語でしたね。愛する女性・雪代巴を自らの手で殺めてしまう。その瞬間を彼女の弟・雪代縁が目撃していた。斬られた巴と彼女を抱きかかえる剣心の、まるで一つになったかのような哀しみのシルエットは、縁にとっては、母親代わりでもあった姉の生命を奪われただけではなく、幼い自分が未だ立ち入れない、男女の愛に纏わる世界を垣間見た瞬間でもあり、姉の心まで剣心に奪われてしまったように感じたことでしょう。

剣心、縁、そして巴。3人の複雑な感情が、時代を超えて交差する物語。
その気持ちを純粋に追いかけていけば、映画として成立する。豊かなものになる。原作の仕掛けが本当に素晴らしいということでしょうね。後は「現場で生きていけば」なんとかなるかなと。

■始まりは終わり、終わりは始まりである

自分が創ろうとしているものの結末を見たくない。監督としての僕にはそのような側面があります。だから、「ハゲタカ」や「龍馬伝」の頃から、基本的な撮影スタイルは変わっていません。リハーサルに固執しないのも変わりませんね。それも、テレビの時間が少ない収録の中で、現場に総てのパワーを集中するために経験則から生まれた方法論ですけどね。ただ、これだけ大規模の作品になると準備することも多く、また俳優のスケジュールも、必要なアクション練習の時間だけでいっぱいいっぱいになりますからね。そもそも芝居のリハーサルなんて取る余裕がない(笑)。

まあ、リハーサルなどを重ねすぎて、自分で全部答えがわかってしまったような気になるのが怖いんですね。「もっと面白いことがあるんじゃないか」と、ずっと可能性を探っていたい性分なんで。なので、不確定要素をどのくらい現場に持ち込めるかが大切な気がしています。ドキュメンタリーとかも撮ってきましたから、きっと、無意識のうちにそういう体質に馴染んでいるんだと思います。

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剣心は、自らの過去にまつわるすべての過ちを受け入れ、肩をひそめて、新時代をひっそりと生きています。そうして自らの目に映る人たちを守る。維新の功労者であるにもかかわらず、政府の一員になることを辞し、市井の一人として我が身を隠しながら、浪人として彷徨っている。何か目的や結論に達するために生きるのではなく、自責と贖罪の念を抱えながら、他者のために為せることだけを為して生きていく。その日々が、粛々と繰り返されているんですね。

彼の生き方や心根を真面目に考えると、一日の始まりが既に終わりの始まりであるという、そういう覚悟の日々を繰り返し生きているのではないか、と思えてきました。今回、『The Final』と『The Beginning』という構成で映画を創って、このことに改めて気づいたような気がします。剣心の人生は、巴の死と共に終わり、そうして始まったのだと。同時に終わりにも向かっていくのだと。このような物語の連環は、僕自身が、物語として、そして現場で何か結論を求めるという発想でものづくりをしていないスタンスに、どこか重なるような気がしています。

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剣の心。タイトルが示している「ハート・オブ・ソード」。剣心の心の奥に鎮座するその魂に対して、新時代に生き残ってしまった侍たちの魂が彷徨い、その周囲を衛星のようにぐるぐるまわっている。とりわけ斎藤一や蒼紫、刃衛や志々雄、縁等敵方のことを考えると、そんなイメージが当初からありましたね。

一作目の『るろうに剣心』に、「来たか。新しい時代が」というセリフがあります。このつぶやきを、佐藤健がどのように表現するか。これが自分にとっては勝負、でしたね。
新しい時代=未来なわけですから、空を見上げながら前向きに、という芝居も当然ありえる。しかし、佐藤健は肩を落として、小さな声で、「やっと」というニュアンスを感じさせながら「来たか。新しい時代が」と口にし、去っていった。10年前の一作目の撮影初日ですよ、驚きました。
22歳の佐藤健は、心の一隅に常に巴を抱えながら、剣心を演じていた。
このテイストで俺たちはいくんだ、と。去っていく剣心の背中に、様々な「運命の物語」が見えたような気がしました。剣心は何かを終えて、此処にいる。そして何かがまた、始まるのだと。

『最終章』の試写のときも、あらためて皆に伝えましたね。「あのときの佐藤健の芝居、そこからこのシリーズは始まっている」と。

新しい時代を創る側も、倒された側も、ハッピーエンドでも、バッドエンドでもない。ただただ、さすらいながら、日々が続いていくのだと。
そして、この感覚こそが現代的であって、『るろうに剣心』は、やはり単純なヒーローものではない、と、シリーズを作り終えた今改めて確信しています。

                 聞き手:相田冬二

The Finalの観客動員数が300万人を突破!シリーズ累計観客動員数1400万人を突破!
また、本日から『るろうに剣心 最終章 The Final/The Beginning』鑑賞の皆さまへ 佐藤健さん&大友啓史監督が選んだ、直筆メッセージ付き<オリジナルミニポスター>配布決定!!日本映画の歴史を変えたエンターテイメントの頂点として君臨するアクション感動大作を是非劇場の大きなスクリーンでご堪能ください!

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