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「イジーさんに連れられて」第十三話

 雲のいずる月の晩。闇夜に紛れ、街中を抜けていく二つの影があった。
 イジーとドクサ。二人がこれより向かう先は街の中心。スピラ帝国の政治を担う王族たちの居城・オクトス城である。

 レクシーを連れ去る直前。ジェスタは衛兵二人に城への連行を促していたことを、ドクサが聞いていた。敵の言葉だけが手がかりであるのは皮肉な話だが、おかげで目的地はその一点に絞られる。

 城は周囲を深い水掘に囲まれ、正門と裏門には交代で門番が張りついていた。
 城壁に沿って警備の兵士が巡回しており、これを抜けるのは至難の業。高町と城の間には障害物もなく見晴らしも良好。不審な動きがあればすぐに気づかれてしまう。

 ゆえに、イジーは一計を講じていた。
 城から少し離れた位置にある高町の倉庫。ここはどこかの商人が、品物を保管するために利用しており、外から高所の窓を覗き込むといくつもの樽や木箱が並んでいた。

 イジーは倉庫の裏手に回ると、屋根に向けて鍵縄を投げつける。
投擲のキョクゲイはこういった場面でも役立ち、一発で僅かな出っ張りに嵌った。
 縄を利用して、イジーは壁を器用に登っていく。
 そして辛うじて人間が出入りできる窓から侵入すると、今度はその縄を外で待機しているドクサに投げた。
 ドクサは思いのほか軽い身のこなしでよじ登り、イジーと潜入を果たす。

「……なあ」

 ときにドクサは、暗がりでも伝わるほど、胡乱げな視線をイジーに送る。

「何でオレたち城にも行かずに、こんなことしてんだ?」

「その辺の箱を見てみろ」

 イジーがランプに明かりを灯す中、ドクサは言われた通りに木箱をあらためる。

「あれ、空っぽだぞ」

「この倉庫は持ち主不在だ。なぜならここは……っと、この辺だったか?」

 明かりを頼りにイジーは床の一角にある、色の変わった部分を探り当てた。
 そこにある隙間を見つけると、イジーは腰に手を当てて、ベルトに挟んでいたトリックナイフを床にぐっと押し込んだ。
 その様子を見ながらドクサが呟く。

「そういや、そのナイフ。何で刃が引っ込むんだ?」

「ああ、これは座長が惹きの一発芸で使ってたんだ。観客の前で、いきなり頭にナイフを突き刺したら、みんな度肝を抜かれるだろ」

「たしかに、そんなことされたらこえぇな」

「で、俺がキョクゲイを覚えた頃……いや、あの子が青いハイヒールをもらったのと一緒に、俺にもプレゼントとか言ってくれたんだっけか。子供に対して色気も何もあったもんじゃないが、今思えば形見代わりにもらっといて良かったよ」

「ん? ……青いハイヒールって、どっかで……」

「これでよし、と」

 イジーが力を加えると床の一部が動いた。
 床のあった箇所は、パラパラと埃を振り撒きながら持ち上がっていく。すると真っ暗な空洞が顔を覗かせた。内部には冷たい空気が漂っている。

「ほら、隠し通路だ。こんなのが街のあちこちにある」

「は? なんでそんなこと、イジーが知ってんだよ」

 当然の疑問に、ドクサはより一層と訝しげな表情をする。
 イジーは取り留めもなく語った。

「俺にも血気盛んな時期があったんだよ。そんでいろいろ情報を集めたが、結局それを実行に移す勇気がなくてな。無駄な知識ばかり増えていったわけだ」

「へえ……でもそれ、レジスタンスとかに教えれば良かったのに」

 子供ながらに悪魔的な発想をするドクサ。
 イジーはぽかんと口を開くと、すぐに大きくかぶりを振った。

「キュクロスは応援するが、自分から関わりたくはない。それともこの街が戦争の舞台になって、不幸な奴が増えても良いのか?」

「い、嫌に決まってんだろ! ……ちょっと言ってみただけだって」

 ドクサはしょんぼりしたように項垂れる。
 そんなドクサの頭を撫で、イジーはランプの火を松明に移しながらぼやいた。

「まーその点だけは、サーカスが皇帝暗殺に成功しなくて良かったかもな。どんな暴君だろうが付き従う部下はいるし、大きな衝突は免れなかっただろう」

「なんだよ。ずいぶん冷たいこと言うんだな」

「お前も大人になれば分かる。目の前の物事だけじゃなく、その周囲も俯瞰できるようになって初めて気づくこともあるんだ」

「分かんねぇけど、なんか分かりたくねぇな、それ」

 今はまだ、ドクサには理解の及ばない視点。
 イジーも子供の思考のままに生きられれば、これほど苦悩を背負うこともなかったのだろうかと感慨に浸る。しかしその結果レジスタンスにでも入っていたら、きっとこの人生は早死にして終わっていたはずだ。

「割と、そんな生き方もしてみたかったけどな……」

 イジーは松明を先行させて、隠し通路に潜った。

 鉱山や洞窟ではないのだが、この地下通路は長らく使われていない。ガス溜まりの危険があっても野暮なので、念のため燃えるものを優先してイジーは階段を下りていく。

「……よし。ドクサも下りて来て大丈夫だ」

 安全を確保してから、イジーはドクサを連れてその先を進んだ。
 
 思ったよりも狭い空間に、イジーは腰を低くしていた。
 ドクサの身長であれば普通に立って歩けるが、大人はそうはいかない。石膏で固めてはあるものの、下手に刺激を加えれば天井が落ちる可能性もあるのだ。
 一寸先は闇を、なるべく慎重に歩いて行く。

「……レクシー、まだ無事だよな」

 不安を押し殺すようにドクサが呟いた。
 イジーは気休めと理解しつつも、ドクサを慰めた。

「子供は資源だ。まず殺されることはないだろう」

「でもジェスタの野郎、オレたちを貴族に、けんじょう? とか言ってたぞ。それって、奴隷にして売るって意味だよな」

「概ねそんな感じだろうが、ジェスタは他に何か言ってなかったか?」

「きゅうじ、とか、めかけ、にして出世のチャンスとか聞いたぞ。どういう意味か知らねぇけど、それってやっぱ悪いことなんだろ、なあ」

 ドクサは同意を得たいように訊いて来る。
 しかしその目的を聞かされて、イジーはふとした考えを抱かされた。

「そうか……ミス・エリッサもジェスタの仲間だと聞いて、俺は遥かなる園を奴隷の収容所だとイメージしてた。だが、もしかしたらミス・エリッサは、本気でその道が子供たちの幸せに繋がると思ってるのかもしれない」

「どういうことだよ。奴隷になんのが、幸せなわけねぇだろ」

「ああ、普通はな。でも貴族の第二、第三婦人ともなれば、上手くいけば人並み以上の生活が保障される。それが狙いだとすれば……あながち、奴らのやってることは――」

「はあ? オレ、男なのに貴族の野郎と結婚させられんのかよ!」

 妙な想像をしたように、ドクサはうえーと吐くフリをしていた。

 それでイジーはハッと我に返る。たとえどれほど崇高な理屈を並べようが、本人にその気がなければ強要は暴力と変わらない。
 遥かなる園にドクサとレクシーを連れて来てしまった罪悪感。
 それを少しでも払拭しようと、邪な考えに同調しかけた自分を、イジーは殴り飛ばしたい気分になった。

 黙り込んだイジーに、ドクサは心配そうに声をかける。

「イジー? だいじょうぶか?」

「……いや、ちょっと自己嫌悪してただけだ」

「よく分かんねぇけど……そういやイジー。オレにもキョクゲイって使えるのか?」

「覚えれば可能性はあるが、どうして急にそんなこと聞く」

「だって今はイジーに助けてもらえるけど、これから先はオレ一人でレクシーを守んなきゃいけねぇだろ」

 思うところがあるように、ドクサはぽつりと胸の内を吐露する。

「オレはザツギなんて持ってないし、身体もちっちゃいし、大人になんて敵わねぇ。だけどそんなの言い訳にしてたら、今みたいにレクシーのこと守れないんだよ。オレだって騎士の子供なんだ。しっかり戦えるようになりてぇよ」

「別に戦うだけが全てでもないと思うぞ」

 ドクサの想いを受け止めつつ、イジーは自らの考えを伝えた。

「武力だけが人を守る手段じゃない。俺もキョクゲイは使えるが、武芸者が目の前にいたら間違いなく逃げる。正面からやり合えば戦えば勝てるわけがないし、そもそも戦いが起きるような状況を作ることが間違いだ」

「変だぞ、それ。戦いなんて、向こうからやって来るかもしんねぇじゃん。そんときも逃げるしかねぇってのかよ」

「負け戦ほど馬鹿なことはない。たとえ惨めでも逃げて、生きていれば必ずチャンスはやってくる。そのときまでに力を蓄えて、別の手段を模索するのも立派な戦いだ」

「レクシーみたく、家族が攫われてたら?」

「その答えは、お前自身で実践してみせただろ」

「え……」

 驚きを得たように、ドクサは呆けた表情をする。
 イジーはその頭に手を置き、そっと撫でた。

「一人で無茶するのは蛮勇だ。でもその違いに気づいて他人を頼れる奴は、きっと逞しく成長する。いつか自分が誰かに頼られたときのためにな」

「イジー……」

「まだ焦らなくても身体は大きくなるし、武力以外の道を見つけられるぐらい、知恵をつけるかもしれない。だから今はどれだけ格好悪くても良いから、大人を頼ってくれ」

「……うん」

 弱々しくも、しっかりとその意味を理解しながらドクサは返事をする。

 やがてイジーたちは、通路の終着に突き当たった。

 目の前にある階段の頭上で、落とし蓋の役割を果たす場所を探す。そしてこの床を一枚隔てた先に見張りがいないかを確認するため、入念に物音に耳を澄まし――

「よし、ここからが正念場だ」

 人の気配がないことを確かめると、静かに隠し通路から抜け出していく。
 
         
 
 椅子の上で、レクシーは目を覚ました。
 まず壁やテーブルに飾られる大量の蝋燭に目を向ける。
 夜の暗闇を掻き消すために、揺らめく火が室内の至るところを照らしていた。おかげ周囲の把握はすぐに行え、次にレクシーの視線が移ったのは棚の列。多様な食器や愛らしい人形、何かの液体を入れた瓶に、重たそうな鎖などなど。
 あまり統一性を持たない品々が、ところせましと置かれているのだ。

「……ここは?」

 レクシーは首を捻った。
 今までベッドで寝ていたはずなのに、目覚めたらそこはまったく見知らぬ場所。夢の世界にしては、やけに現実的だった。

 漆喰の塗られた石壁に、鉄格子のはまった窓。
 外に夜空が見えるので、どうやら地下ではないようだ。
 出入口とおぼしき扉があったので、レクシーは椅子から立ち上がってそこに向かった。

 そのとき、ふと足元で何かが引っかかる。
 下を見ると、そこに落ちていたのは鞄。それはイジーから預かっている荷物だった。
 レクシーは鞄を拾い上げると胸に抱き締める。
 謎の空間に放り出された戸惑いを、少しでも紛らわすように――

「ういっいっい。お目覚めのようだね」

 不意に男の声がした。

 いつの間にか開かれていた扉。そこには全身真っ赤な服装の奇妙な白塗り男がいる。
 外見は変わっているがその背丈から、遥かなる園の同室の子にジェスタ・ジェスタと教わった名を思い出す。
 さらにその横にエリッサの姿を見つけた。

「マザー・エリッサ? ここは、どこなの?」

 エリッサがいたことに多少の安堵を覚えるも、レクシーは不安が残る。

「心配する必要はありませんわ」

 優しい笑顔を浮かべ、エリッサはレクシーに歩み寄っていく。
 レクシーが小首を傾げると、エリッサは膝を床について目線を合わせた。

「それを乗り越えさえすれば、きっと貴女の未来には安寧が約束されます」

 エリッサは穏やかに言いながら、レクシーの身を己に抱き寄せた。

「……ふぁ」

 ぎゅっと暖かな感触に、レクシーはふっと母の温もりを思い出した。
 包むように優しく、揺りかごのように安心する。そんな在りし日の記憶が、一気に押し寄せてきた。それほどまでに、エリッサの抱擁は慈愛に満ちたものだった。

 しかしレクシーは、あることに気づく。

「マザー・エリッサ……どうして震えてるの?」

「え……私が、ですか?」

 自覚がなかったように、エリッサは呆けた声を発した。

「うん。もしかして、あのおじさんがこわいの?」

 レクシーは不気味な恰好のジェスタを横目に、エリッサに訊いた。

「いいえ、レクシー。ジェスタ様は私たちの救世主。それに従う限り、幸福は約束されます。何も恐れる理由はありませんわ」

 そんなエリッサの台詞は、ジェスタを心から敬うもの。幼いレクシーにもそれは理解でたのだが、そこに含まれるもの全てが真実ではなかった。

「だけどマザー・エリッサ、泣いてるよ。どれが嘘なのかよくわかんないけど、ほんとにオジサンにいじめられてない?」

 レクシーの目には、エリッサの瞳に浮かぶ憂いが映っていた。
 加えて彼女たちは知らないが、レクシーの持つザツギは、エリッサの言葉の一部に嘘が含まれていることを見抜く。

「……そんな、ことは」

 今度こそエリッサは言葉に詰まっていた。
 誰かが涙を見せるのは悲しいとき。レクシーはそれを知っていたから、怯えたような態度のエリッサがとても心配だった。

「ういっい。お嬢チャン、ボク、これっぽっちも、怖くないよ?」

 と、ジェスタは右肩に触れるまで首を傾け、おどけた仕草で口端を持ち上げる。

「ボク、お嬢チャンと、遊びたいんだ。ほら、見て見て」

 子供に好かれたがる操り人形のように、手足を自在にクネクネさせて、ジェスタは壁際の棚に近づいた。

「お人形、あるよ? こういうの、好きでしょ?」

「……うん」

 レクシーは恐る恐る頷いた。
 気を良くしたように、ジェスタはくるくる踊りながらレクシーに迫った。

「あげる。他にも、お嬢チャンの、欲しいもの、全部。だから遊ぼう。ボクと、楽しく」

「ほらレクシー。ジェスタ様と遊んであげてください」

 エリッサは一瞬だけ名残惜しそうにレクシーを抱きしめるが、すぐにジェスタの後方に控えていく。

 レクシーは心細さを感じながら、眼前のジェスタと向き合った。
 最初は不気味で恐ろしい存在に思えたジェスタ・ジェスタという男。レクシーよりは身長があるけれど、それでもほんの少し高い程度。
 思ったよりも対等な目線と、道化の仮面に塗り固められた不敵な面差し。

 レクシーはそこに、恐怖よりも別の感情が湧いてくる。

「ねえ、オジサン」

「どうしたの? ボク、まだ怖い? お嬢チャンに、いろいろあげる、良い人だよ?」

「もしかして、オジサン寂しいの?」

「……うい?」

 その台詞は予想外だったように、ジェスタはギョロリと目を丸くする。
 爬虫類みたいな気味の悪さに怯むレクシーは、ぐっと我慢しながら続けた。

「だって真っ白なお顔してるのに、なんだか寂しそうなんだもん」

「お嬢チャン、面白いこと言うね。道化師の才能あるよ? ほんと、ほんと」

 ジェスタは愉快そうに手を叩く。
 しかしその瞳は怪しい光を湛えており、奥底に垣間見えるは冷めた嫌悪。

「でも、ボクね。他人の冗談、嫌いなの」

 ジェスタは踵を返しながら扉に向かっていく。

「ま、いいよ。とにかく、大人しくしていてね。ヲマエは大事な大事な貢ぎ物。それに今夜は、招かれざる客、来るかもしれないし」

 ガタンと鳴る扉へと、その小柄な姿を消していくジェスタ。
 どこか怒った風な足取りにレクシーは肝を冷やしたが、まだ傍にいてくれたエリッサに安心感を覚えた。

「やっぱりオジサン、ちょっとだけこわかったね」

「……レクシー。貴女にもジェスタ様の深淵が見えたのですわね」

 何か共感のようなものを得たのか、エリッサは再びレクシーの身体を抱き締めた。

「あ、マザー・エリッサ……」

 やや驚きつつも、レクシーはエリッサの胸に抱かれると心が安らぐ。
 そんなレクシーの耳元に、エリッサは独り言のように告げた。

「ジェスタ様の心は虚ろ。あの化粧は孤独の仮面。私はそれが、どうしても放っておけないのですわ。だからレクシー。貴女を巻き込んでしまうことは、とても悲しいことですけれど、その清らかな心で……どうか、ジェスタ様にお慈悲を」

「マザー・エリッサ?」

 何を言われているのかを、レクシーにはまったく理解できない。
 本当はここがどこで、どうして自分を連れてきたのか早くエリッサに訊ねたかった。

 それでも懺悔のような台詞を紡ぐエリッサに声をかけることは憚られ、とりあえず自らも彼女の背中にぎゅっと腕を回していく。


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