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「イジーさんに連れられて」第四話

「――騎士のくせに、そんなことして恥ずかしくねぇのかよ!」

『あぁん?』

 男性をひたすらリンチにしていた傭兵たちは、突如として現れた子供を一斉に向く。
 これに合わせて、ドクサの周りにいた野次馬たちは波打つように足を引いた。
 そのせいで傭兵たちとドクサの間には、あらゆる隔たりが消える形となる。

「何だ、このチビ」

 四人いた傭兵たちの内、最も背の低い男が睨みを利かせる。

「うっせー、オマエよりは大きくなる予定だ!」

 ドクサは向こう見ずにも、勝ち気な態度で返した。

「は? あんだ、こいつ。やっちまっていいんだよなぁ?」

「ばーか、ガキに言われて頭に血上ってんじゃねーよ」

 傭兵たちのリーダー格とおぼしき強面の男が、鼻で笑うように仲間をなだめる。

「まっ、ちとばかし教育はいるかもしれんがな。こいつみたいに――よッ!」

 傭兵は地面に転がる男性の腹部を、強烈に蹴り上げた。

「がふっ!」

 男性の口から血が吹き出した。堪らなかったように、腹を抑えて悶絶する。

「いやーっ!」

 それを間近で見ていた女性は、絶叫しながら男性に駆け寄ろうとした。しかしそれを許さないとばかりに、体格が横にがっしりした男が行く手を遮る。

「うへへ、お前は俺たちと遊ぶんだよ」

「そうそう。こんな役立たずなんかほっといてさー」

 細身の傭兵が、女性の肩に手を回しながら相槌を打った。

「その人に汚い手で触ってんじゃねぇ! さっさとここから消えろ!」

 ドクサは怒りを覚えたように吠えるが、傭兵たちは涼しい顔で受け流す。

「おチビさん。あんまし大人の世界に首突っ込むもんじゃないの、お分かり? それに俺たちのこと騎士とか言っちゃってくれてるけど、あんなのと一緒にしないでくれよ」

 リーダー格は、どこか小馬鹿にした口ぶりで続けた。

「騎士なんて、財力があるだけのお坊ちゃまがなるもんだ。豪華な鎧兜に、ご立派な馬を用意して跨ってるだけの置き物。いざ戦場に出れば、あっけなく敵に殺されて終わりよ。そこを俺たちは、こんなボロっちい装備で、ちゃぁんと民衆を守ってやってるのさ。どうだ、この大きな違いがお前みたいなお子様に分かるかな?」

「知るかそんなもん! てか、騎士じゃないってんなら、オマエらは何にもなれなかった落ちぶれ野郎じゃねぇか! いくら威張ったところでカッコ悪いだけだぞ!」

 割と的を射た発言は、周囲の野次馬たちの失笑を誘った。

 確かに騎士という人種は貴族が多いが、平民から成り上がる者も少なからず存在する。
 国家への忠誠ではなく、目先の金に私欲を優先させた時点で、傭兵たちに
 それらを貶す資格はなかった。

「こんの、クソガキがァ」

 ドクサの台詞は効果てきめんだった。
 傭兵たちはサッと顔色を変える。額に青筋を浮かび上がらせ、拳を鳴らしてドクサに歩み寄った。

「やるってんなら受けてやる! オマエらみたいな屑に負けてたまるか!」

 これを受けるドクサは、一歩も引かずに身構える。
 だが状況は四対一。それも大人と子供では話にすらならない。
 このままでは悲惨な結末が待ち受けるのみだったが――

「――ちょっと待ちなよ」

 ドクサの前に、颯爽と歩み出る人物がいた。
 
 レクシーにその場で待機するよう言い聞かせ、イジーが急いでドクサを連れ戻しにかかろうとしたとき。
 大見得を切るドクサと傭兵たちの間に、一人の闖入者が割り込んでいた。

「そうムキになることないじゃないか。子供の戯言ぐらいシラフで聞き流しなよ」

 凛と響く、高音の通った声質。
 目深にかぶるノーブルハットの下から覗く顔は、さぞ女性人気のありそうな中性立ち。
 金髪の髪と碧眼を持ち、羽織った紺色の外套からすらりと伸びる手足は、その青年の線の細さを伺わせた。

「それとも、か弱き人々をいたぶることでしか、快楽を得られぬ変態なのかい?」

 美形の青年は明らかな挑発で誘った。
 腰にぶら下げた長剣を見る限り武芸者のようだ。どうやらドクサを救うため、自らが標的になるよう仕向けたらしい。
 けれど屈強な傭兵集団を相手取るには、青年は見るからに華奢すぎる。
 相手方も青年に対する態度は、非常に侮ったものだった。

「あんだよ、あんだよ、まぁた英雄気取りのご登場か?」

 低身長の傭兵が、苛立たしげに青年へと近づいていく。

「ここは女たらしのお遊戯場じゃねんだよ。そのお綺麗な顔に傷つけられたいのかぁ?」

 息がかかるほどの近距離で、男はガンを飛ばした。
 これに青年は物怖じせずに返す。

「下品な男だね。人を外見でしか判断しない輩とは口も交わしたくない。それに酒臭いからさっさと離れてくれないかな」

 鼻を摘まみながら、青年は男を手で払う仕草をする。

「はぁ? てめ、ぶっ殺すぞ!」

 小柄な男は一気に頭へと血が上っていた。
 すかさず振り上げた右の拳が狙う先は、当然のように青年の顔面。身長差はそれほどないため、到達速度はほぼ一瞬。
 素直に受ければ、きっと青年の美顔は醜く腫れ上がる。

「おっと、ごめんよ」

 狙いすました一撃は同時だった。
 傭兵が動き出した刹那、青年は反射的に外套をめくり腰に手を当てていた。そしてそこに提げていた帯剣を左手で抜き上げ、柄の先端を思い切り男の顎にぶつける。

「ふがっ!」

 不意打ちを食らった小柄な男は、背中からすっころんだ。
 石畳に背面を強打し、声すら出せずにのたうち回る。

「やろ、抜きやがったな!」

 傭兵のリーダー格は、青年の行動に応じて背中に腕を伸ばした。これに乗じるように、あとの二人も腰の剣に手をかける。
 迸る殺気に、野次馬たちが悲鳴交じりに散り始めた。

「勝負を挑んでくると言うのなら、僕も潔く立ち会おう」

 青年はいったん鞘に戻した帯剣に、右手を伸ばそうとする。
 しかし、ふと思い出したように背後を振り返った。

そこの青いバンダナの君」

 青年はどんどん消える野次馬の中から、その場に残るイジーを呼び止める。

「この子を連れて行ってくれないかい?」

「あー、まあ元からそのつもりだったが……」

 妙な場面で目立ってしまい、イジーは尻込みしつつもドクサに声をかけた。

「おいドクサ、早く戻ってこい」

「いいや、オレも戦うぞ。この兄ちゃん一人だけじゃ、どう考えても無理だ!」

 この期に及んでドクサは強情を張った。
 すると善意を受け取った青年は、微笑みながらドクサに囁く。

「君は優しい子だね。でも大丈夫、僕は決して悪には屈しないから――」

「いつまでも、ごちゃごちゃ言ってんじゃねぇよ!」

 猛る怒号がまき散らされた。
 痺れを切らした太めの傭兵が、剣を抜いて青年の後ろから斬りかかったのである。

「短気は損気さ」

「なに!」

 男が両腕で振り下ろした凶刃は、目にも留まらぬ青年の剣筋に受け止められる。
 さらに青年は傭兵の剣を流麗に地面へと流し、隙だらけの男の手首に自らの剣の柄を素早くぶつけた。

「いでぇ!」

 男は堪らず剣を取り落とすが、青年の追撃は終わらない。

「卑怯者には、これがお似合いだよ」

 ガッ、と青年が振り上げたのは細く長い脚。
 ちょうどつま先の部分が、太い傭兵の股間部分にダイレクトな一撃を与える。

「ほんがはッッッ!」

 瞬く間に傭兵は死んだ。
 盛大な絶叫とともに、男にとって大事な箇所が。

「こいつ、頭が飛んでやがる……」

 リーダー格と細身の傭兵が、眼前で繰り広げられた凄惨な光景に汗を浮かべる。
 同じ男であればその痛みは理解しているはずだ。それを躊躇なく行える時点で、青年はある意味傭兵よりも残酷である。

「すげぇ……兄ちゃん、カッコ良い」

 遥かに体格で勝る傭兵を瞬く間に伸した青年に、ドクサは羨望の眼差しを送った。

「お前はこっち」

 イジーはその隙に、ドクサの腕を無理やり引く。
 渦中から逃れるために、イジーはドクサとレクシーを抱えて付近の路地に飛び込んだ。
 
 路地に入り、イジーがひと心地ついた気分になったとき。

「何すんだよ、オマエ!」

 ドクサから批難の目を向けられた。まだ騒動の決着がつかないまま、その場を離れさせられたことに憤っているようだ。
 けれどイジーもこれ以上、好き放題させておくことはできなかった。

「いい加減にしろ。妹を放ってまで、お前は何ふざけたことしてるんだ」

「うっ、それは……」

 レクシーを引き合いに出されたためか、途端にドクサは口籠る。

「どれだけ虚勢を張ったところで、お前みたいな子供が武装した相手に敵うはずない。それが分からなかったわけでもないだろ?」

 イジーの叱責は厳しかった。 それはあの農村から二人を連れ出し、無事に孤児院まで送り届けたいと願う責任から湧き出るものだ。こんなつまらない些事で、不幸になど遭わせたくないのである。

「け、けどオレは、あいつらが騎士のくせに酷いことしてるように見えたから」

 何か騎士に思い入れがあるのか、ドクサはそんなことを訴えた。

「……お兄ちゃん」

 そのとき、レクシーが兄を呼ぶ声は震えていた。
 今にも泣きだしそうな妹の表情に、ドクサは戸惑いながらも自らの行動を悔いる。

「わ、悪かったよ、レクシー。オレ、もうこんなことしないから」

「うん……」

 レクシーは心細そうに頷いた。
 これをあやすように、ドクサはレクシーの頭を優しく撫でる。いろいろ突っ走る癖はあるものの、やはり妹のことが第一のようだ。

「……でも、あの兄ちゃんまずくないか?」

 ドクサは一人残された青年を心配する。

「それは問題ないだろ」

 イジーはあの美青年の実力を評価していた。
 洗練された身のこなしと、研鑽の積まれた剣技。野良剣法などでは、決して相手にならない技量の差が、彼と傭兵たちの間には生じていた。

 さらにイジーは、美青年の特筆した力も見極めている。

「あの剣士はザツギ使いだ。昔、そういう子を見たことあるから知ってるが、反射神経が並外れてる」

「それって、熱いって言う前に手を引っ込めてるみたいなあれか?」

「たしかに一つの良い例だが、そんなことよく知ってるな、ドクサ」

「へへっ、これでも父ちゃんとこの教会で勉強してたんだぜ」

 ドクサは自慢げに歯を見せる。
 兄妹の父は聖職者だったのだろうか。どちらにせよ、教会で子供が学ぶというのはよくある話だ。かくいうイジーも、しばらく神父の世話になったことがあり、そこで知識や常識などを学ばせてもらった。

「つまり反射速度があるってことは、相手の攻撃を見てから後出しで対処できるようなものだ。対人戦――少なくとも、サシの勝負なら無敵だろうな」

「でも相手はいっぱいいるぞ。助太刀しなくて、ほんとに良いのかよ」

 ドクサは人数差の不利を心配していた。
 どれほど力のある人間でも、個と群では基本的に勝ち目はない。物語に出て来る英雄のように一騎当千など普通は夢のまた夢である。

『……っ!』

 しかし路地まで轟いてくる民衆のどよめき。
 ドクサとレクシーをその場に残し、いったんイジーが一人で通りの様子を伺う。

 すると一度離れたはずの野次馬たちが、再びその光景を見ようと集まってきていた。

『う、うぅ……』

 傭兵集団は一人残らず、道端に倒れ伏していた。
 ちょうど剣を収める青年は、絡まれていた女性と一緒に、ボロボロになった男性を起こしている。

「早いところ治療しなよ。何本か骨が折れているはずだからね」

「本当に、本当にありがとうございました!」

 女性は深く頭を下げて、青年に礼を繰り返した。
 そして負傷した男性に肩を貸し、急いでこの場から離れていく。

「さて。そういえばあの勇敢な男の子は――」

 青年はドクサの姿を探すように周囲を見渡した。
 路地の付近にいたイジーを発見し、さらにその後ろに目を凝らす。
 その妙な視線に背後を振り返ると、ドクサとレクシーが自分の背中から、ひょっこり顔を出していた。

「うん、無事なようだね」

 ドクサの姿を確認するなり、青年は短く手を振った。

「兄ちゃん、ありがとう! すっげぇ、カッコ良かったぞ!」

 そこにドクサが声をかけると、青年は満足そうに微笑む。そのままノーブルハットに手を当て、転がる傭兵のリーダー格を見下ろしながら告げた。

「こんなところで寝ていたら通行の邪魔だよ。早く家に帰りな」

「くそっ……てめぇら、撤収だ!」

 男たちはこれ以上無様を晒したくないのか、互いに肩を貸し合いながら逃げていく。
 そうして青年が興味もなさそうに、傭兵たちに完全に背を向けた矢先だった。

「これでも喰らえ!」

 リーダー格は一矢報いるかの如く、仲間の一人の手斧を投擲した。
 手斧は回転しながら、青年の背に吸い込まれるように一直線で飛んで来る。 いちはやく殺気に気付き、青年は持ち前の反射神経で剣を抜いていたが、その剣閃が手斧を叩き落とすことはなかった。

 なぜなら、それは――

「ちっ、馬鹿の考えそうなことだ」

 腰に手を回し、イジーが抜き放つは柄を回転させたトリックナイフ。
 右手から射出されたそれは、刀身が地面と水平になるよう真横に弧を描く。ちょうど眼前にいた青年の右側をすり抜けていき、傭兵の投げ込んだ手斧をガキンと撃ち落した。

 しかもその動きは、これだけに留まらなかった。
 弾かれた手斧だけが地面に叩きつけられ、トリックナイフは青年の頭上を再度舞う。
 それは天高く打ち上げられると、重力に従って真っ直ぐイジーの目前に落下。これを空中キャッチし、くるくると柄を回しながら機敏に鞘へと納めていく。

『……』

 束の間、その場に沈黙が訪れた。

「……キョクゲイ」

 最初に口を開いたのは、抜いた剣のやり場に困っていたノーブルハットの青年。
 続けざまに言葉を紡いだのは手斧を防がれた傭兵だった。

「必ず、殺してやる……っ」

 狙いすました眼光は、青年に対する激しい憎悪。
 どうやら邪魔をしたイジーのことなど眼中にすらないらしく、傭兵たちは凄まじく殺気立ちながら一度この場を退いて行った。
 ようやく騒動にひと段落ついたところで、野次馬たちがバッと歓声を上げる。
 その喧騒に混ざって、イジーは唐突にドクサとレクシーが左右から袖を引いた。

「い、今の何だよ! どうやったんだ、あれ!」

「もしかして、イジーさんもザツギが使えるの!」

「ちょ、離れろ。こんなとこで目立たせるな」

 こんなときばかり、無邪気に瞳をキラキラさせて子供らしい兄妹にイジーは辟易する。
 すると眼前の青年もイジーに近づいてきて、軽く一礼した。

「助けてくれて感謝するよ。何かお礼をしたいところだけれど、ちょっと急ぎの用事があるものでね。不躾ながら、この場は失礼させてもらう」

 青年は謝辞だけ述べて、さっさと人混みに消えてしまった。
 しかしその颯爽と立ち去る姿は、悠然としながらも凛々しさを周囲に振りまいていた。
 おかげで一部の女性たちが波打ち、しばらく黄色い歓声が響く。

「なんか知らんが、ともかく疲れたな……」

 イジーはドクサとレクシーを引っ張って、宿の前で待つ御者の下に向かう。

「ほら、話ならあとでしてやるから、今は中に入るぞ」
 
 未だ騒ぎ立つ大通りから逃れるように、イジーたちは当初の目的を果たした。
 
         
 
『――うわぁ』

 兄妹は感嘆の息を漏らしていた。

 二階に宿泊となった彼らは、三人で一つの部屋を借りている。
 なるべく出費を抑える必要性と、子供たちだけ別室にしておくのはいろいろと不安だったからだ。その結果、古びた木のベッドは一つしか用意されておらず、他には机と椅子があるばかりの質素な内装である。

 ちなみに御者は別の宿を探しに向かっていた。空き部屋がなかったらしい。

「レクシー、まともな寝床なんて何年ぶりだ!」

「うん!」

 ドクサとレクシーは、はしゃぎながらベッドに飛び込んでいく。
 ちゃんとした部屋に泊まれることがよほど嬉しいようだ。こればかりはイジーも微笑ましく思いつつ、子供たちに呼びかける。

「少し町に出る。俺が戻る前に、ちゃんと身体の汚れを落としとけ。廊下の奥に共同の風呂があるから」

「行くってどこに?」

 ベッドで仰向けになりながらドクサが聞いた。

「いつまでもそんな恰好は嫌だろ? 服屋だよ、服屋」

「えっ、良いのか?」

「ほんとに!」

 素直に驚くドクサと、バッと飛び起きるレクシー。
 レクシーは特に熱心に訊いてくる。

「お洋服、買ってくれるの?」

「ああ。けどあんまり期待しないでくれよ。そもそも子供の服を俺が選んでる時点で、けっこう怪しいからな。たいしたものは選んでやれない」

 イジーがそう言うと、レクシーは僅かにしょんぼりしながら続ける。

「そっか……うん。あんまり迷惑かけられないよね」

「あー、そうだな……」

 元気を失くすレクシーを見て、イジーは頭を掻く。

「でも、ありがとう」

 レクシーは面を上げ、にっこりと笑みを浮かべた。

「イジーさんって、ほんとに良い人なんだね」

「俺が嘘ついてないからか、それ? 何にしても、むず痒くなるから、あんまりそういうこと言わないでくれ」

 照れ隠しに顔を背け、イジーはすぐに部屋を出る準備に移る。

「なあ。さっき風呂は共同って言ってたけど、後から誰か入ってくんのか?」

 ドクサが不安を覚えたように訊ねてきた。
 確かに大浴場ならともかく、このような狭い場所で他人と風呂には入りたくない。
 それもレクシーのような女の子であれば、なおさら気をつける必要がある。おそらくドクサはそのことを気にかけたのだろうが、イジーは苦笑しながら首を横に振った。

「ちゃんと使用中の札をかけとけば入ってこないだろ。それでも気になるなら、お前たちが上がるまで俺が見張っとくが?」

「そ、そんなつまんないことまで、オマエの世話になりたくない」

 ドクサは強がりつつ、レクシーの手を引く。

「ほら行くぞレクシー」

「あ、待ってよお兄ちゃん」

 二人はイジーの脇を通って廊下に向かった。

「お兄ちゃん、背中流してね」

「しょうがない奴だな。オマエもそろそろ一人で身体洗えるようになれよ」

 仲睦まじい兄妹の会話を見送りつつ。

「さて、俺の出番はなさそうだし行くか」

 イジーは日が暮れる前に町へと出かけた。
 
     
 
 雲に覆われる闇夜の時刻。
 一階の酒場で食事を済ませ、部屋にいる三人。
 ベッドは子供たちに譲り、イジーは壁際の椅子で休んでいる。机に置いたランプの灯火に映し出される表情は、どこか虚ろで遠くを見ていた。

 旅の疲れからか、レクシーはすでに吐息を漏らして眠り込んでいる。その寝姿はとても穏やかで、着ている服はイジーが買ってきた羊毛のワンピースだ。
 最初はドクサが今着ているのと同じ、チェニックとズボンにしようと思ったが、やはり女の子にとって飾り気のある衣装は憧れである。さすがに貴族の子供のようにはいかないまでも、庶民としての贅沢程度は与えてやりたかった。
 そしてレクシーは、あのように粗末な服でも非常に喜んでくれた。
 イジーはそれだけで、魂の一部が救われるような気持ちになった。

「――なあ」

 そうして夜が更けていく中、イジーに向かってベッドからドクサが呼びかけた。

「まだ起きてたのか?」

 イジーは面を上げてドクサを見やる。
 布団の半分以上をレクシーにかけてあげながら、ドクサはぼんやり天井を眺めていた。

「こうやって目ぇ開けても、空見えないんだよ。牛の鳴き声もうるさくねぇし、糞の臭いもして来ない。冬はあったけぇけど、夏はあいつらの水飲みに手足突っ込んでないと死んじまうし……ほんとに辛いときは、レクシーとあそっから出られたときのこと話すんだ」

「……どんな?」

 なるべく穏やかに、イジーは聞き返した。

「たらふく美味いもの食うんだよ。クズ野郎が自慢するような肉なんざ、目じゃねぇぐらいにとびっきりのやつを。すんごいでけぇ家にも住んで、使いきれないほどの部屋の扉、片っ端から開けてやってさ、レクシーのやつはピカピカの服着て綺麗になんだ。なんか棒のついた靴とかも履かせてやりたい」

「もしかしてハイヒールか?」

 すぐに心当たりをつけながら、イジーは苦笑した。

「まったく……どこの女の子も、この年頃はませてんな」

「でもな、オレたちは絶対に誰も家に働かせねぇんだ。誰かの世話してやるなんて、クソみたいなことさせたくねぇ。みんなみんな、自由にやりゃ良いんだよ」

「まあ、そうかもな」

 あまりにも無垢でいたいけな願いに、イジーは相槌だけ打った。
 ドクサは溜め込んだ毒を吐き出すようにしてから、ふとイジーに問いかけた。

「……これまで何人ぐらい助けてきたんだ? そもそも、どうしてこんなことしてる?」

「おいおい、それは一つって言わないぞ」

 イジーは冗談めかして揚げ足を取った。
 それでも、答えに関しては真剣味を帯びる。

「まだ助けられた数は二桁にも乗らない。いろんな場所に子供を送ってきたが、実際に幸せになれた奴は少なかった」

「それ、どういう意味だ?」

 不穏な空気を感じ取ったのか、ドクサは眉根を寄せる。構わずイジーは話した。

「そのままの意味だ。せっかく安全な場所に連れて行っても、そこが戦火に焼かれれば、どうしようもない。それに裏で子供を売り捌いてた奴らもいたし、そういうのは数の内に含めないってことだ」

「……オマエ」

 ドクサは複雑そうに目を細めた。
 そこにどんな感情が含まれているかは想像に難くない。
 けれど自分が救いたいと願う子供に対して、イジーは嘘だけはつきたくなかった。

「俺はお前たちを幸せにはできない。そうなりそうな場所に送るだけだ。これが無責任であることは分かってるが、俺はこれを行わなければならない。それが昔、助けられたことのある俺の使命だと思ってる」

「助けられたって……えっ、じゃあオマエも?」

 ドクサは予感を口にし、イジーはそこに頷いた。

 イジーも元は孤児である。過去にある人物たちに救われたから、それに報いるために慈善活動の真似事をしているのだ。

「昼間見せたが、俺が使う力はザツギじゃなくてキョクゲイだ。座長――俺を助けてくれた人たちに習った」

「あのすげぇやつか。でも、キョクゲイって?」

 初めて聞いた言葉のように、ドクサは疑問符を浮かべていた。

「知らないのも無理ないか。十年前までは、あちこちに旅芸人がいたけど、今の時代にそれをする奴らはいない。帝国が禁止令を出したせいで、大道芸を行う旅団のほとんどは消えちまった」

「芸なら一回だけ、父ちゃんたちと劇場で見たことあるぞ」

「それは舞台での話だろ? 要するに、旅回りする連中は絶滅したんだよ」

「どうしてだ?」
 
 ドクサは素朴に疑問する。
 しかしイジーは、神妙な顔をして椅子に背中をぐっと持たれた。

「……皇帝の考えなんて興味もない。ともかく、ザツギは先天的に持ってる能力のことだが、キョクゲイは後天的に身に着ける力のことだ。俺の場合は、狙った場所に物を投げられる程度の大したものじゃないけどな」

「そんなことねぇよ。オレ、あれだってすげぇカッコ良かったぜ。そりゃ、クズ野郎たち倒した兄ちゃんは、もっとカッコ良かったけどさ」

 昼間の騒動を思い返すように、ドクサは浮かれた表情をしていた。
 興奮して寝つきが悪くなってもいけないので、イジーはドクサに就寝を促す。

「さっ、もういいだろ。俺に子守唄せがむ前に、さっさと寝てくれ」

「……何だよ」

 ドクサは不貞腐れたように、イジーに背中を向けた。
 その小さな後ろ姿が、いずれ大きくなることはあるのかと、イジーはふと思う。

 大人になることもないまま、その人生が終わるのではないか。或いは、とてつもない不幸に見舞われ、その責任を取らせるために復讐しに来るのではないか。
 そんな想像が、脳裏に浮かんでは消えていく。

 しかしそれもこれも、全てはまだ先のこと。
 今はただ、ここにひとときの安息を得る子供たちの姿があるだけで、イジーの心はとても身勝手な安堵を覚えるのだった。

「……オマエのこと、オレまだ信じてないって言ったよな」

 レクシーの寝顔を見守りながらドクサは呟く。

「それは今でも変わらない。けど、ほんの少し。ほんとにほんの少しだけ」

 何度も念を押すように――

「良い奴かもしれないって、思わなくもねぇからな」

 ドクサはささやかながら、イジーの評価を改めた。
 そのつっけんどんな態度に、イジーはくすりと笑みを零してドクサの背中に囁く。

「夜中トイレに起きても、俺のことは起こすなよ」

「……ふ、ふん。オレは付き添う方だ」

 鼻を鳴らしながら、ドクサはレクシーとともに肩まで毛布をかぶった。
 それを見届けたイジーは外套を布団代わりにしつつ、ランプの灯りを消すと、独り椅子の上で静かに目を閉じていく。


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