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「イジーさんに連れられて」第九話

 早朝、イジーは宿をあとにしていた。
 忘れた荷物を返してもらうため、遥かなる園に向かっている。仕事に出かける人々の流れに乗り、真っ直ぐ高町に歩を進めた。

 気にすることもないが、アンドリューも早くに部屋を開けたらしい。ぐっすり眠り込むほど酔っていたのに、目覚めだけは良いものだ。
 根に持ってはいないが、酒場代ぐらいは返して欲しかった。

「さて、と」

 人通りが少なくなってきた高町の直前で、イジーは道を確認する。

 このまま通りを突っ切れば、最短で遥かなる園にたどり着くはずだ。
 しかし旅人の装いをするイジーは、貴族たちから見れば不審な男。万が一にも朝っぱらから面倒事は勘弁したいので、なるべく裏通りを進むようにした。
 そうして妙に入り組んだ路地を抜けていく最中。

「……あれ?」

 イジーは前方の曲がり角で、妙な姿を発見した。
 どこか不審に、きょろきょろ辺りを見渡す全身マントの男。それは昨日、遥かなる園に入っていった、背の低い変な笑い声の人物である。

「あの男……ちょうど良いか?」

 首を捻りつつも、イジーは男に声をかけることにした。

 一応、あれでも身分は高いのだろう。突然声をかけたら驚くかもしれないが、エリッサの知り合いであることを説明すれば気を許してくれるかもしれない。そして行動をともにすれば、周りの家々から不審に思われることはないはずだ。
 あの男の存在自体が、非常に怪しいことを除きさえすればの話だが――

「少しお話を良いですか?」

 イジーは男に近づき、極力穏やかな声で話しかける。
 だが、男は獣と遭遇したように身体を跳ね上げ、バッとイジーを振り返った。

「……っ!」

 こちらの顔を見るなり顔面蒼白にし、あたふたと足踏みしながら走り出す。

「え……」

 それがあまりにも荒唐無稽な挙動だったので、イジーは数秒かけて事態を把握する。

 次の瞬間、このままでは非常にまずいことになると悟った。

「ちょ、違います! 俺は怪しい者じゃありませんって!」

 とっさに、どう考えても不審者の台詞を口走りつつ、イジーは男を追いかける。
 こちらを振り返る男は、ますます恐怖に引き攣った顔で逃げ出した。

「待ってください! 俺はミス・エリッサの――」

「……っっっ!」

 もはやイジーの言葉など男は聞いていなかった。小柄な体躯ながら、その身軽さで自由自在に路地を走り回り、イジーの追走をかく乱して引き離していく。

「何で逃げるんですか!」

 イジーも意地になって追いかけるので、事態は泥沼にはまる。
 地の利のせいか、イジーが男の背中に追いつくことはなく――

「――えっ!」

「ぶつか――」

 イジーが曲がり角を抜けた瞬間、その先から飛び出してくる人影。気づいたときにはすでに止まることもできず、イジーは何者かと絡まり合うように地面に転がった。

「痛っ……わ、悪い、大丈夫か?」

 ひっくり返った意識を戻しつつ、イジーは自分の上に折り重なった人物に声をかける。

「も、問題ない……けれどすまなかったね、ちょっとよそ見をしていて」

 互いに謝罪しつつ、うつ伏せの人物と仰向けのイジーは、ばっちり顔を合わせた。

 そのとき、お互いの目が丸くなる。

「き、君……」

「……あんた」

 青いバンダナを巻いた青年の眼前には、ノーブルハットの美青年の面があった。
 
         
 
 中央広場にあるベンチ。
 後ろには意匠をこらした噴水と噴き上げる水流。
 広場を取り囲む鮮やかな花壇を眺め、足元を小さな歩幅で歩いていく鳩を見やり、お互いは最後に隣り合う人物の目を見つめた。

「君は、なぜあの男を追っていたんだい?」

 碧い瞳に光を湛え、アンドリューはどことなく怒った風に訊ねてくる。 
イジーは辟易としながら返した。

「成り行きというか、不可抗力というか……というより、あんたには関係ないだろ?」

「いいや、大ありだね。僕もあのジェスタ・ジェスタという男を追っていた。そこに、とんだ横槍を入れられれば、苦言の一つも呈したくなるよ」

「あんたもあいつを? じゃあ、あいつのこと詳しく知ってるのか?」

「それこそ、君には関係のないことだよ」

 アンドリューは、むすっとした表情で唇を結ぶ。
 どうやら意見交換しない限り、この平行線が交わることはない。
 この美青年との関係を断てるのなら、普段のイジーであれば喜んで閉口しただろう。

「……まあ、あんたにはもう隠し事なんて意味ないか」

 イジーはリスクとリターンを考慮した。

 こちらはあの不信すぎる小男について何も知らない。それなのに相手は、遥かなる園に関わっている可能性があるのだ。もしも得体の知れない存在だった場合、イジーも身の振り方を考えなければならなかった。

 ここは素直に事情を話して、アンドリューから情報を得た方が得策だ。
 掻い摘んでイジーが経緯を話すと、アンドリューはそれを頭から聞き入る。

「……なるほど。なら君はドクサと妹のレクシーを救ってあげたんだね。そして遥かなる園という孤児院に預けた、と」

 アンドリューは感心するように事情を理解してくれる。
 だがその好意的な解釈の仕方は、イジーにとって自己嫌悪を催すものだ。

「救ったわけじゃない。俺は道の真ん中に置いてきただけだ。そこから先は、あいつらが自分でどうにかするしかない。そしてそれを見届けもしないで、俺はまた新しい子供を見つけ、身勝手に同じことを繰り返すんだよ」

「謙遜はよせ。君がいなければ、彼らはきっと道を見つけることもできなかった。それを過ちだと否定するのは馬鹿でもできるが、君は自らの選択に悩み苦しんでいる。その心、僕は評価に値すると思うよ」

「やめてくれ。俺は偽善者にもなりきれない、中途半端な人攫いだ」

 自らを卑下して、イジーは外れかけた論点を修正する。

「俺の話はもういいだろ。それより、あの男は何者なんだ? 遥かなる園に出入りしてるようだが、あんた知ってんだろ?」

「ああ、そうだったね。奴の名はジェスタ・ジェスタ。皇帝お抱えの宮廷道化師さ」

「道化師だって……っ」

 イジーは思わず面食らった。
 その態度に、アンドリューはどこか得意げな顔をする。

「キョクゲイを使うだけあって、やはりその手の話題には敏感のようだね」

「……ちっ、酔ってたくせに覚えてるのか」

 不覚を取りつつも、イジーはだいぶお茶に濁して正直に答えた。

「ああ。たしかに、昔そういう人たちと一緒にいたことがある。だからって、俺はそのジェスタ・ジェスタとかいう奴のことは知らない」

 かつてイジーは旅芸人の旅団にいた。そこではピエロと呼ばれていたが、本質的なものは同じだろう。そのため道化師という言葉が、だいぶ身近に感じられた。

「そうだと思ったよ。でも奇遇だね。実は僕も子供の頃に、道化師――ううん、ピエロと呼ばれる人たちを間近で見たことがあるんだ」

 二人の間には意外な共通点があった。

 ピエロを名乗った旅芸人たちは、すでにこの世に存在しない。帝国の政令も相まって、あれほどの規模を内包した旅団は、今後二度と現れることはないだろう。

 イジーとアンドリューは年の頃が近い。
 その旅団は世界各地で芸を披露していたので、もしかしたら彼も幼少期に見たことがあるのかもしれない。

「君とゆっくりこの話をしていたいが、今は少しだけ自嘲しようか」

 この話題は花が咲きそうだったが、脱線を憂慮してアンドリューが話を戻した。

「ジェスタは、本来の役割である道化を演じながら、裏で皇帝にさまざまな助言を与えているのさ。そのせいで、いったいいくつ同士の命が散っていったか……」

 声色を低くさせるアンドリューは、はたと口元を押さえた。

「っと、この話はどうでもいいね。それよりも遥かなる園か。奴が孤児院を経営していたとは知らなかったけれど、非常にきな臭さを感じるね」

「何だ、あの男を追ってた割には心許ないこと言うんだな」

 ドクサとレクシーのことがあるので、イジーは気を揉む。

「そう責めないでくれ。奴のことを知れたのは仕事の関係で本当に偶然だったのさ。もし最初から情報を掴んでいれば、僕は身を粉にして奴の身辺を探っていた」

 アンドリューは一転の曇りなき眼でそう言った。

「……それだけ危険な奴ってことか?」

 自ずとイジーは緊張する。ジェスタという男の人格次第では、ドクサとレクシーを遥かなる園から連れ出す覚悟をしなければならない。

「いいや、ジェスタ自体は人畜無害だ。今のところ大きな悪事を働いている様子もない」

 アンドリューが放った台詞は、比較的に落ち着いた部類。

「本当か? 奴が子供を裏で悪用している可能性はどうだ?」

 不安の残るイジーは追及するが、アンドリューは首を横に振った。

「詳細はこれから調査する。しかし僕が知る限りでは、宮廷道化師になって以来、奴が大事を成そうとしている気配はない。不安が残るようであれば、君の方でも何か調べてみてはどうだい? ドクサとレクシーのこと、気にかかっているんだろう?」

「ああ……少し探ってみるよ」

 今夜辺り、また情報屋に話でも聞いてみようとイジーは思案する。
 しかし、アンドリューがジェスタを追う理由については未だ不明だ。わざわざ特定の人物を追っているということは、よほどの執着があるはず。

「結局あんたは、どうしてジェスタにこだわってるんだ?」

「奴は……僕の大事な人たちを……」

 そのとき、アンドリューの瞳は揺れていた。
 悲哀とは違う、別の感情に支配されるように、その眼差しはどこか遠くを見つめる。

「……ううん、よそう。僕も君も滅入るような話だからね」

「俺だけ話し損な気もするが、まあ言えない過去の一つや二つ誰にでもあるわな」

 他人の詮索はしないのが長生きをするコツ。イジーはそれ以上突っ込まなかった。

「ともあれ助かった。あんたのおかげで、次に俺のやるべきことが見えてきた」

「それはお互い様だよ。僕も君がいたから、奴の新たな手がかりが得られたからね」

 アンドリューはさっぱりした笑顔をイジーに向ける。

 その一瞬だけ垣間見えた素の表情に、不覚にもイジーは鼓動が速まった。
 なぜか生じるドギマギは、昨夜の光景を脳裏に呼び起こす。
 一筋に結ばれた星の光を纏う金髪と、安らかな寝息を立てる、淡く色付いた唇――

「い、いいって礼なんて。それより、俺はもう行くからな」

 慌てた素振りを必死に押し隠し、イジーはさよならを告げる。

「ああ、引き留めて悪かったね。でも最後に一つだけ聞きたい」

 一方、人の気も知らない美青年は、声を潜めながらイジーに顔を近づける。そのせいで再び心音に異常が起きてしまうが、アンドリューは構わず続けた。

「……昨日、君に部屋まで送ってもらったことは覚えている。そのことについて礼を言っていなかったから、今の内に感謝を伝えるよ。けれど、ところどころ記憶が曖昧でね。そのとき僕、何かおかしなことを口走っていなかったかい?」

「あー、と」

 イジーは記憶を探るフリをする。

「……特に何も。ただ、アンドリューって名乗ってただけだ」

 話を蒸し返すのも面倒なので、イジーは綺麗さっぱり省いた。

「アンド……リュー? それ、僕の名前かい?」

 なぜか自身の名前に首を傾げる。
 アンドリューは顎に指を置くと、思い直したように何度も首を頷けた。

「そ、そうだったね。僕の名前はアンドリューだ。ちょっと昨日の酔いが抜けきっていなかったから、少し考えてしまったよ。ふふ、僕ってばドジだな」

「何だ、良かったのか。てっきり、俺の聞き間違えかと思ったよ」

 自分の記憶力に一安心していると、アンドリューは探るようにこちらを見据える。

「ところで、君の名も教えてはくれないか?」

「俺の名前か……」

 イジーは一瞬言い渋った。
 それが気に障ったようにアンドリューは双眸を細める。

「名を明かせるほど、僕がまだ信用できないということかな」

「面倒なこと言いだすなよ。てか、端から信用はしてないが」

「むぅ、一晩をともにした仲だと言うのに、それは少し薄情すぎやしないだろうか」

「ちょっと待て。酒の席が抜けてるぞ、それ」

 聞きようによっては危うい台詞に、イジーは慌てて訂正を入れる。

 幸いにも広場の人影は少なかった。アンドリューの美貌に集まった淑女たちが、遠巻きにこちらを眺めているのが引っかかるぐらいだ。

「寝ている僕の服も脱がせてくれたというのに、まだ親密ではないと言い張るのかな」

「マントと帽子だけだ」

「でも見てしまったのだろう? 僕の、あまり他人には見られたくなかった部分を」

「は?」

 奇怪な台詞に、イジーは激しく思考を巡らせる。
 しかしアンドリューが帽子に手を置いたことで、その真意を理解した。

「あー、たしかに、やけに長かったな。けどそんな男ザラにいるだろ」

「それはそうだけれど、多くはないはずだ。それに……その、なんだ。君はあれを、少しも変だとは思わなかったのかい?」

「別に他人がどうだろうと、俺は気にしないが」

「そ、そうなのかい? なら……僕も安心だ。うん、見られたのが君で良かったよ」

 踏ん切りがついたように、晴れ晴れした表情でアンドリューは続けた。

 いつの間にか、距離を近くして聞き耳を立てる遠くの淑女たち。彼女らが、妙に頬を紅潮させていても、二人は微塵もそれを気にすることはなかった。

「で、君の名前は何て言うんだい?」

 再び繰り返される話題に、イジーは深々と嘆息した。

「……イジー。それが一番しっくりくる」

「えっ?」

 アンドリューは、目を丸くしていた。

 その反応はイジーの予想通りだった。

 ドクサたちに教えたイジーという名は、彼の本名ではないのだ。
 そもそも彼には、親から与えられた名前がなかった。旅団にいたときは大人たちから坊主と呼ばれおり、イジーという通し名も座長から教わった、人名というよりは単語。
 この国の人間にしてみれば、耳慣れない響きかもしれない。

 そのため、彼は基本的に他人には青いバンダナのような記号で呼ばせている。

「それじゃあな」

 愕然とするアンドリューを尻目に、イジーはベンチから立ち上がってこの場を去る。

 しばらく固まっていたアンドリューは――

「〝異人〟さん……まさか、ね」

 遠く去って行くイジーの背中に、言い知れぬ思いを巡らせていた。


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