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「イジーさんに連れられて」第五話

 旅団に交じる彼は、まだ幼い子供である。だから共に荷台を引き、馬を連れる大人たちの素性については何も知らないし、興味を持とうとも思わなかった。

 物心ついたときから、彼はそこにいた。
 血の繋がりのない大人たちと、野を超え山を越えて、ひたすら歩き続ける毎日である。
 たまに旅芸人のようなことをして、立ち寄った町々で賑やかな催しをしていた。

 しかし結局どこを目指しているのか、そう訊ねても答えを返してくれる大人はいない。
 曖昧な笑顔を浮かべるばかりで、すぐに話をはぐらかされた。

 だけどそんな不透明な日々が、彼にとっては世界の全て。繰り返される毎日の意味が分からなくても、自分が今ここに存在し、大好きな大人たちに囲まれていることは充実そのものであった。

 そんなあるとき、旅団はある小さな村に立ち寄る。

 このときの大人たちの顔は、彼が見たこともないほど恐ろしいものだった。まるで悪魔にでも変貌したように、筆舌に尽くし難い様相を呈していたのである。

 後で知った話では、そこは奴隷たちの村だったらしい。

 どこかの国から逃げ延び、やっとのことで手に入れた平穏の地。
 だが追っ手を差し向けた君主の兵により、そこにいた全員が殺されていた。それもただあの世に送るのではなく、人間が想像し得るあらゆる悪虐を行ったのち、亡骸と化してまで屈辱的な姿で野晒しにされていたのである。

 彼がそれを見ることはなかったが、おそらく子供の身で目に焼きつけていれば、永遠に消えることのない心の傷を負ったはずだ。

 そう――その村でたった一人、生き残った少女。

 彼女が発見されたとき、それはほとんど死んでいるのと同じだった。
 開かれた目は世界を見ず、閉ざれた精神は心の最も奥底に沈んでいる。
 いっそ、その場で楽にしてあげた方が、その少女にとっては幸福だったのだろうか。

 しかし大人たちはこれを救い、そして少女を彼に引き合わせた。
 初めて旅団に加わった同年代の子供の姿に、彼は戸惑いを覚える。けれど大人たちが、仲良くしてやって欲しいと頼み込んできたので、何とかその期待に添えるよう努力した。

 その結果、当初は口を開くことすら拒んでいた少女も、次第に彼との会話を行うようになっていく。同時に、しばらく距離を置いていた大人たちとも、コミュニケーションを図れるほど回復していったのだ。

 それどころか、少女には生まれつき特別な才能があった。
 人よりも反射神経が優れており、大人でさえ難しい芸を瞬く間に覚え、旅団のマスコットとして人気になっていった。
 彼は話題の中心にいる少女を羨ましく思いつつも、どこか誇らしく感じていた。

 やがて、旅団を率いる代表の座長と呼ばれていた男が、どこからか持ってきた青いヒールを少女にプレゼントした。年頃の女の子にとって、お洒落なアイテムは心をくすぐる嗜好品。それは彼女にとっても変わらないものだった。
 少女はこれを大層気に入り、旅団に入ってから初めて満面の笑顔を見せる。

 このときの少女の顔を、彼は二度と忘れることはない。

 たとえこの先、どのような未来が待ち受けることになっても――

 救われたからこそ生じたその笑顔を、彼は心に深く刻み込んだのだ。
 
         
 
 迎えに来てくれた御者と合流し、馬車の停めてある馬宿まで向かう一行。
 通りを抜けてそこにたどり着くまでの間、何やら町の様子がざわめいていることに気づく。イジーがそれを怪訝に思うと、御者はおもむろに告げた。

「ワシんとこの宿で聞いた話じゃがな、何でも領主館に賊が侵入したらしいのぅ」

「ずいぶん命知らずだな。どこか有名どころか?」

「さぁて、詳細は知らん。けんど、傭兵や帝国兵ともども領主が縄にかけられた状態で発見されたという話じゃから、町の者らはキュクロスの仕業と見ておるようじゃぞ。殺してはおらんかったそうじゃし、圧政に対する警告程度かのぅ」

「キュクロス……反乱軍か」

 旅先で何度か耳にしたレジスタンスの呼称に、イジーは眉を潜めた。

 帝国に対し、不満を募らせた民衆の集い――キュクロス。
 虐げられた人々のために行動し、多くの町を圧政者たちから解放している。

 その行い自体は、どちらかと言えばイジーも支持していた。国土の増加を図るため、他国の土地に侵略を続ける帝国のやり口。そのせいで多くの孤児が生まれていることを決して許すことはできないからだ。

 しかしそんな想いとは裏腹に、これからイジーが向かう先は帝国の首都オクトス。
 たとえ皇帝が暴君だろうとも、そこはこの国で最も安全な地域に違いないのだ。

 それなのに、騒ぎを起こされて首都の警備が強化されるのは厄介である。 
 ディアバシスにうろつく派遣兵ならともかく、主要都市を守る兵士は忠義に厚い。金を積んでも応じない場合、万が一の際に退路が一つ潰れてしまう。
 ゆえに反政府活動が活発化するのは、イジーにとって好ましい状況ではなかった。

「爺さん、この調子でオクトスに入れると思うか?」

「どうじゃろう。ワシにできることと言えば街道の橋渡しのみ。青バンの旦那たちを確実に目的地に送り届けることしか能がないゆえ、そこから先の保証はできかねるわい」

 御者はのんびりと顎髭を撫でる。
 たとえ共犯扱いされる可能性があっても物怖じしない図太さは、培われてきた年月による心のゆとりなのだろうか。

「あんたも変わりもんだな。まあとりあえず送ってさえくれれば、あとは俺の問題だ」

 イジーは神妙な面持ちで、自分に言い聞かせた。

「……レジスタンスがこの町にいるのか?」

 と、話を聞いていたドクサが横から口を挟む。

「ああ。何もこんなタイミングで、やって来なくても良かったんだがな」

「どうしてだよ。町には昨日みたいな奴らがいるんだから、早くそいつら片付けてくれた方が良いんじゃねぇのか?」

「あのな。俺たちは見るからに怪しい。仮にレジスタンスの仲間だと思われれば、どれほど否定したとしても罪に問われる。そして釈放されることのないまま獄中生活を送り、最後には首を斬られてあの世行きだ。そんなことにはなりたくないだろ?」

「何だよ、それ――まるでオレたちの父さんみたいじゃねぇか」

 ふとドクサが放った一言。

「お父さん、みたいに? ……うぅっ、ひっく」

 とても繊細な何かに触れたようにレクシーが鼻をすすり始める。
 慌てたようにドクサは口をつぐんだが、昂っていく感情が収まることはない。
 レクシーの目元から、ぽろぽろと涙が零れていく。

「お父さん……どうして、殺されちゃったの……」

「ご、ごめんなレクシー、思い出させちまって。ほら、良い子だから泣き止め」

 泣きじゃくる妹を抱きしめて、ドクサは優しくあやす。
 そこにレクシーはすがりつきながら、兄の存在を確かめるように腕を回した。

「お兄ちゃんは死んだりしないよね? お父さんとお母さんのところに、先に行っちゃわないよね?」

「当たり前だろ。オレはずっと、レクシーの傍にいるからな」

 ドクサは自らを逞しい支柱とするように、レクシーのことを慰め続ける。

「あー、なんだ。変なこと言って悪かったな」

 レクシーが泣き出した原因は、おそらくイジーの失言。
 結果的に二人に謝ると、ドクサは短く首を横に振った。

「オマエのせいじゃない。悪いのは全部、父さんを貶めた奴らだ」

「……複雑そうだな、お前たちも」

 子供たちの事情を知る気はないが、イジーは心ばかりの同情を送る。

「やれやれ。青バンの旦那も大変そうじゃのぅ」

 そして依頼人の素性を追及しない御者は、先に馬車の元まで向かっていた。
 イジーはしばらく兄妹に付き添うと、レクシーが落ち着くタイミングを待って、三人でゆっくり歩いて行くのだった。
 
        
 
 街道に沿って草原を進む、イジーたちを乗せた馬車。 
 遠く景色を広がる南の山稜。綿のように流れる雲は、陽光を遮っては揺蕩っていた。
 生える草木はまばらに背が高く、ときおり見える一軒家は煙突から白煙を噴く。

 飽き飽きするほど代り映えしない風景に、幌の隙間から外を見るドクサとレクシーは退屈そうな顔をしていた。

「旅って初めてだけど、何もすることないんだな」

「あとどのくらいで着くの?」

「贅沢だな、お前ら。普通は馬車なんか使わず、徒歩だってのに……」

 ある意味恵まれている二人にイジーは嘆息した。

 本来、馬車は富裕層の乗り物。行商人なら自ら所有することもできるだろうが、庶民が乗るには決して安くない支払いが発生する。それでも利用するとなれば、何人も同伴する乗合馬車が基本。このように貸し切りにするには、それこそ多額の金が必要となるのだ。
 
 ただ、あの御者は情報屋に紹介された人物。裏の世界に通じている割には、金より縁を気にするタチらしく、それなりに金額をまけてもらっている。護衛をつけていないのも、顧客の情報が他に漏れる可能性を危惧してのことだ。
 野盗に襲われればひとたまりもないが、そのときは諦めると明言されており、イジーもこれを承知している。減額の代償と考えるとやや高すぎる気もするが、人攫いの身分でつべこべ言っても仕方ない。

 とにかくこれまで平和に旅ができていることは奇跡に近いものだった。

「このペースなら、二日はかからないだろ」

「まだそんなにあんのかよ」

「文句言うなって。ここら辺は比較的、治安が良いんだ。よその道なんか通ったら、それこそ寝てる暇もないぞ?」

「治安って……あんな町の状態見せられて、そうは思えねぇけどな」

 ドクサはディアバシスでの、傭兵の騒動が心に残っているようだ。

「あれでも昔よりはマシだ。西と戦争してた頃は、どこもかしこもピリピリして、些細なことで騒ぎが起きてたからな。それに比べれば、だいぶ平和になったもんだ」

 イジーはあくまでも客観的にそう判断した。

「……そんなわけ、あるか」

 しかしドクサは拳を握り締め、これを否定する。

「こんなの、平和なんて呼ばねぇ。父さんと母さんをオレたちから奪ったんだ。こんな世界が平和になんてなれるわけあるかよ」

「ドクサ……」

 あまりにも正直な子供の感想に、イジーは僅かに胸がチクリとした。

「お兄ちゃん、だいじょうぶ?」

 兄の発露を心配したレクシーが、ゆっくり声をかける。
 妹に気を遣わせ、ドクサはかぶりを振った。

「わ、悪い、ちょっと我慢できなくて」

「うん。ワタシも、お父さんとお母さんが死んじゃったの、とっても悲しいよ」

 町から少しは気持ちの整理がついたように、レクシーはドクサに思いを零した。

「でも、お母さん言ってたじゃん。お星さまになっても、ワタシたちのこと見守ってくれるって。だからお父さんとお母さんのことで誰かに怒っちゃダメだよ、お兄ちゃん」

「分かってる……分かってんだよ。オレだって、そんなことは」

 口ではそれらしいことを言えるが、ドクサは踏ん切りがつかないようだ。
 いくら強がったところで、ドクサもまだ子供。兄という立場が心を強くさせても、その全てに対して大人のような対応はできない。

「ドクサ、もし良ければ俺に話してみないか」

 だからイジーは、ふとそんなことを言った。

「え?」

 ぽかんと呆けるドクサに、イジーは続けた。

「あんまり他人の事情には突っ込まないようにしてるが、如何せんお前たちは幼すぎる。誰かに話した方が楽になるってときもあるだろ?」

「それは……けど」

 ドクサはチラと横目で、レクシーを見やる。どうやら町でのことが引っかかり、涙腺がぶり返すことを恐れているようだが、思いのほか妹は気丈だった。

「ワタシはだいじょうぶだよ。さっきは泣いちゃったけど、泣いてばかりじゃ、お父さんとお母さんに笑われちゃうもん」

「レクシー……まったく、これじゃオレが弱虫みたいじゃねぇか」
 ドクサは自嘲気味に呟く。そのまま話題を逸らすようにイジーの方を向いた。

「なあ、オマエは、いろんなこと知ってんだよな?」

「ん? まー、お前たちよりは知識あると思うが」

「じゃあ、アルク共和国のことも分かるか?」

「もちろん知ってる」

 イジーは首肯した。

 アルク共和国は、ここスピラ帝国の西に位置する隣国。先にイジーが述べた通り、この国と数年前まで大規模な戦争を繰り広げた大国である。

「オレとレクシーの父さんさ、そこで騎士やってたんだよ。聖導師騎士団ってんだ」

「おいおい、本当かそれ」

 思いがけない名前を聞いて、イジーは度肝を抜かれる。

 聖導師騎士団は、国家ではなく教会に所属する聖職者主体の騎士団だ。聖地巡礼に回る修道士を守るために発足された正義の騎士たち。元が聖職者だったためか、その慈悲の心で民衆を助け、立ち寄った町では必ずと言って良いほど歓迎されたという。

「弱い人たちを助け、悪い奴らを成敗する。それはもう、父さんたちの活躍と言ったら、ほんとにすごかったんだぞ」

 我が事のようにドクサはえへんと胸を張った。隣でこれを聞くレクシーも、鼻が高いのか満面の笑みを浮かべている。

「それはそうだ。俺もその活動についてはあちこちで噂を聞いたが、騎士の鑑とまで言われるほどだったんだろ?」

 イジーも一種の憧れを抱く聖導師騎士団。
 世が世なら、永久に称えられるべき存在だ。

 しかし――その誉れの日々も、スピラ帝国と戦争を始めた頃に終わりを迎える。

「そうなんだよ。だからさ、オレ、今でも信じてないぞ。こんな立派な父さんたちが、悪いことしようとしてたなんて……」

 ドクサは湧き上がる激情を噛み殺すように唇を結ぶ。

「ああ……あれは、どう考えても国家の陰謀だ」

 やるせない気持ちをイジーはため息に乗せた。

 聖導師騎士団は国ではなく教会に属している。そのため、イジーらが報酬として得たものは直接的に私有の財産となるのだ。
 時の王様は、これにえらく嫉妬した。同時に戦争に際して必要な資金を、教会から借り受ける場合もあったためか、底知れない恐怖を覚えたのである。

 少しずつ、けれど着実に資産を増して勢力を拡大する教会。いずれは国家の主権を握るまでに増長するかもしれないとして立場を危ぶんだ。当時、戦争中だったことも加味し、ますます内乱を恐れたのである。
 結果、王が下したのは教会に対する理不尽な増税。果ては聖導師騎士団の解体だった。

 しかし教会は、先代の王から独立した組織であることを許されており、税に対しても財政を圧迫しない程度に留められていた。そこにいきなり百八十度指針が回転されたものだから、これを素直に聞き入れることに多少の時間を要したのである。

 そしてこの考慮期間が、聖導師騎士団の命運を分けた。
 王はなかなか返事を寄こさない教会に対し、好機とばかりに難癖をつける。聖導師騎士団を解体しないのは、国家に反逆の意思があると決めつけたのだ。
 いかに王であろうとも、確たる証拠もなしにこれをまかり通すことはできない。
 なぜなら相手は、民衆の信頼も厚い聖職者たちだからだ。

 そこで王は、聖導師騎士団のメンバーに対し罪状をでっち上げた。それも教会において禁忌とされるほどの重罪ばかりである。
 罪過の所在を問われた時点で、真偽の確立など意味を成さなくなった。

 王が明言した瞬間、刑の断行に異議は許されない。
 もはや魔女狩りと何ら大差のない一方的な虐殺の始まりだ。

 汚名の果てに残された協会は著しく収縮し、生き残ったメンバーも表立った信仰を禁じられて、僻地へと追いやられていった。
 人々のために尽くした栄光は、過去の遺物として地に埋もれたのだ。

「……オマエは、父さんたちのこと信じてくれるのか?」

 微かな光明を見たように、ドクサはイジーに問いかける。

「町の奴らは聖導師騎士団が悪いって決めつけた。父さんは死刑に、母さんは山の部族出身だったから、異端者だとか言って国を追い出しやがって……そのせいで、いろいろ苦労した母さんが病気で死んで……」

 ドクサは声を震わせていた。

「お兄ちゃん……泣いちゃ、ダメだよ」

 そこに、瞳を潤ませながら寄り添うレクシー。
 褐色肌の兄妹は、再び込み上げてきたものと戦うように身を寄せ合った。
 これを聞いて、イジーは短く首を横に振る。そしていたたまれない胸の痛みを抱えながら、ちょいちょいと二人を手招きした。

「ドクサ、レクシー。隣に来いよ。少しは温まるぞ」

 イジーの招待に二人は顔を見合わせると、意を決したように両隣に移動する。
 そのまま、ぴたりと触れ合う三人。初夏の日差しで、荷台の中は熱気が籠っていたが、イジーは羽織った外套で兄妹を包む。

『……っ』

 むせび泣く二人の肩を抱きながら、イジーはしばらく馬車の揺れに身を委ねていった。


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