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「イジーさんに連れられて」第二話

 大陸の中央に構える大帝国スピラ。
 四方を隣国に囲まれながらも、その軍事力は随一を誇る。圧倒的な勢力の拡大によって南北を手中に収め、西の大国とも最近まで競り合っていた。
 しかし長きに渡って決着のつかない戦争の果て。互いの消耗が極限まで達したこともあいまって、現在は休戦協定が結ばれている。その均衡がいつまた破られるかは不明であるが、西国との国境付近に位置するその農村が戦火に晒される日は、今しばらく来ることはないだろう。

「――おい、暴れるな」

 そんな農村から少し外れた新緑の袂。
 森全体が特有の涼しさを帯び、自然の匂いが辺りに立ち込める。
 初夏の日差しは、うっそうと茂る木々が遮り、湿った土壌に枝葉の影を落としていた。
 その地を動物たちは自由に闊歩し、鳥は枝の上で羽を休め、幹の樹液を昆虫たちが啜っている。動植物たちにとって神聖なその場所は、人の手の及ばぬ清澄さで満ちていた。
 彼らが現れるまでは――

「大人しくしてろって」

 この場をちょっとだけ間借りするように、そこに一台の馬車が止まっている。
 森の大木の下に横づけされ、茶色の毛並みをした二頭の立派な牡馬は、地面に僅かばかり生えている草をむしゃむしゃ貪っていた。その横で、ぬぼっと佇んでいるのは御者の老人。白い髪と髭を蓄え、のっぺりした無表情で、じっと荷台の方を見つめている。

 幌の張られた荷台の後ろにいるのは、頭に巻いた青いバンダナが印象的な旅人の青年・イジー。彼は暴れる存在を両手で抑え込み、荷物の隙間にぐいぐい詰め込んでいた。

「くそ、ふざけんな! オレたちをどうする気だ!」

 手足を縛られ、荷台で抵抗するのは褐色肌の少年だ。
 濃い黒の短髪はぼさつき、布切れを纏っただけのような服装は見られたものではない。
 ただ、全体的な線は細いものの、日々の労働で鍛えられた身体は中々に逞しい。さらに鋭い眼光をぶつけてくる瞳には、とても精力的で力強いものがある。
 
 しかし所詮はまだ子供。イジーが縄できつく縛り上げただけで手も足も出なかった。

「いいから黙ってろ。その子みたいに、静かにしてくれ」

 イジーはやれやれと肩を落としつつ、片隅で静かに座り込んでいる少女を見やった。

 少年と同じく色濃い肌が特徴的で、肩を超える長髪は埃で汚れている。
 服もあちこち穴が開いているが、整った目鼻立ちは将来性を伺わせた。身なりさえ揃えてやれば、城下町に住む子供と何ら遜色ない容姿を得られるだろう。
「レクシーは怖がってんだ! いいか、少しでも妹に手ぇ出したら絶対に許さねぇぞ!」

 少女の名をレクシーと呼びながら、兄はイジーに対して忠告を投げる。ただし荷台に転がったその格好で強張られても、微塵も脅し文句にはならない。
 イジーは呆れた眼差しを向けて、依然としてこちらを睨み続ける少年に言った。

「とにかく口まで縛られたくなかったら、レクシーみたいに静かにしてろ」

「気安く妹の名前を呼ぶな!」

「お前が教えてくれたんだろうが」

「オマエじゃねぇ! オレはドクサだ!」

 無意識の内に己の名を口にしながら、兄のドクサは大きく吠える。

「じゃあドクサ。しばらく黙れ」

「オレの名前も軽々しく呼んでんじゃねぇ!」

 反抗的な態度でドクサは叫び続けた。
 これにはイジーもイラっとしたものを覚えるが、ドクサが怒るのも無理はない。
 いくら農村で雇い主から不当な扱いを受けていても、人攫いほど恐ろしくはないはずだ。
 貴族の子供であれば、身代金と引き換えに解放される可能性もあるだろうが、平民の身分ではどこに売り飛ばされるか分からない。ゆえにドクサの気持ちを考えれば、暴れ訴えたくなるのも理解できるが――

「よし、これで静かになるな」

 イジーは何の躊躇もなく、ドクサの口に布を押し込んで紐で縛り上げた。

「うー、うっうーっ!」

 もがもがとドクサは何かを訴えるが、もうイジーの耳に意味は通じない。
 ようやく静けさを取り戻し、イジーは御者に告げる。

「爺さん、次の街に向かってくれ」

「……あいよ、青バンの旦那」

 御者は今までのやり取りをまるで無関心なまま、ゆっくりと御者台に座った。手綱を手に取り、草を頬張っていた馬の気を引く。
 この御者は、金さえもらえれば依頼主の事情など気にかけないのだ。
 だからこそイジーは平気であんなやり取りができたし、これからの道中でも互いに詮索し合うことはない。
 未だ抵抗を続けるドクサを脇に押しやりながら、イジーも荷台に乗り込む。
 これを確認した御者は、二頭の馬の尻に激しく鞭を振るった。

『――ヒィンッ!』

 馬は興奮したように前足を振り上げると、強靭な脚力で荷台を引き始めた。
 

 
 森は王の狩場と呼ばれているが、この国では王族が踏み込むことはまずない。
 なぜなら、皇帝の首を欲しがっている蛮族が潜んでいるからだ。
 大国として増長したスピラ帝国は、長い年月の間に領土を拡大した。
 しかしその代償として、多くの人々から不興を買ってしまった。

 無論、戦争を行えば、それに巻き込まれた人間たちの批難を買うのが世の道理。だが、スピラ帝国の皇帝はそれが顕著に際立っていた。理不尽な搾取に、反乱分子を疑われる者の速やかな処刑。そのため国内では、皇帝に不信を抱く者は多い。ましてや先祖代々から続く土地を荒らされた地方部族などは、ことさらそれが根深かった。

 けれど一方で、皇帝は見事なカリスマ性を発揮し、一部の有権者の支持はとても厚い。
 戦争の際に雇う傭兵たちへの金回りも良く、皇帝の人徳よりもその日暮らしを求める者たちにとっては、絶対的な君主として一目置かれるのだ。
 
 その結果、反皇帝派は国家に見つからない僻地に身を潜め、いつか来るかもしれない反旗のときを末永く待ち詫びている。
そんな者たちが、この森の中にも少数ながら存在していた。

 森を駆ける馬車に掲げられているのは、スピラ帝国の国旗である。
猛々しい蛇が竜巻のように螺旋を象った力の象徴。
 ただしそれは、中央部分をバツ印で塗られていた。いわば反逆の証。これがなければ国家の回し者として蛮族に襲われる危険性がある。街中では当然外されるが、少なくとも今は片時もこれを降ろすことができなかった。

「――お前たちも変に奴らを刺激するなよ。国家の仲間だなんて思われたら事だぞ?」

 イジーは道中、ドクサとレクシー兄妹に、森の中の危険性を説いていた。
 これを静かに受けるように、二人はゆっくりと頷く。つい先ほどまでひたすら暴れていたドクサも、森の深部に漂う異様な空気を感じ取っているようだ。

「まあ、手出しさえしなければ何もして来ないし、そう身構えることもないけどな」

 若干気楽に、イジーは揺れる荷台にのんびり身を任せる。
 しかし、いつまで経っても兄妹がイジーを見つめる眼差しには、怯えや戸惑いなどの感情が見え隠れしている。
 いきなり農村から攫われたのだから、それも止むなしではあるのだが――

「さて。この辺で少し話でもするか」

 兄妹の気分を落ち着かせるため、イジーは事ここに至って初めてまともな会話を始める。

「その前に、それ外してやるよ」

 イジーはドクサを見ながら、自分で縛った縄を指さした。

「もちろん、暴れないと約束するのが条件だが」

「……」

 ドクサは少しだけ眉根を寄せつつ、イジーの言葉に頷いた。
 イジーはそれを確認すると、ドクサの手足を縛る縄をほどき、さるぐつわも外す。
 身軽になったドクサは上体を起こし、飛びつくように妹のレクシーの肩に手を回した。

「ごめんな、レクシー。オレがついてたのに、こんな目に遭わせて。怖かったろ?」

「……うん」

 レクシーは小声でドクサに返す。
 今まで一度も口を開かなかったので、もしかしたら発声機能に問題があるのかとイジーは疑っていたが、どうやらそれも杞憂だったようだ。レクシーは単にこの現状に怯えて、縮こまっていただけらしい。

「あー、悪かったな、手荒な真似して」

「……っ」

 キッと、イジーを振り向くドクサ。
 その眼差しは鋭利な刃物の如く、イジーを視線だけで射殺す勢いだった。

「おいおい、そんな顔するなって。お前たちだってあんな下種男のとこに、ずっといたかったわけじゃないだろ?」

「当たり前だ。オレ一人でも稼げるようになったら、あんなクズ野郎のとこなんかすぐ出て行ったさ」

 ドクサは内に決意を秘めるように、レクシーを庇いながらイジーと向き合う。

「それでオマエは何なんだよ。どうしてオレとレクシーを攫った?」

「これが俺の仕事だからだ」

「やっぱオレたちのこと、どっかに売り飛ばす気か!」

「だから騒ぐなって」

 森の連中を刺激したくないので、イジーはすぐにドクサの口を手で塞ぐ。途端に抵抗されるが、それをぐっと抑え込んだ。
 
 ドクサのいつまで経っても衰えない反抗心に、イジーは感心すら覚える。
 これぐらいの子供が人攫いと対峙し、まともな精神状態を保っていられることはほとんどない。多くはレクシーのように萎縮し、声すら出せなくなる。だがドクサの物怖じのなさは、ある意味立派なものだ。その度胸だけはたいしたものだと素直に称賛できる。

 もっともそれが、次の事態の引き金になってしまった。

「くっ!」

 イジーの腕でもがくドクサは、一瞬の不意を突いてするりと抜け出した。
 そして再びレクシーの前に庇い出るが、先ほどとは明らかに態度が違う。

「降ろしやがれ! さもないと酷い目に遭うぞ!」

 ドクサはいくらか強気に、そんな要求をイジーに迫る。

「……おい。馬鹿な真似はよせ」

 イジーは半眼を作った。
 ドクサがぐっと前に突き出す、その手に視線をやる。

 両手で握られているのは小型のナイフ。イジーがベルトの間に挟んでいたもので、いつの間にかドクサに盗み取られたらしい。木製の鞘はすでに外され床に落ちており、柄より少しだけ幅の短い銀色の刃がこちらに向けられている。

「子供の玩具じゃないんだ。早くそれを手放せ」

 声に微かな怒気を含み、イジーはドクサに通告した。

「うるせぇ! さっさとオレたちを自由にしろ!」

 ドクサは興奮して、ナイフを振りかざす。

「お、お兄ちゃん……」

 そんな兄の態度に恐怖を覚えたのか、レクシーが荷台の隅っこで自分の肩を抱いた。

「ほら、妹が怯えてるぞ。さっさとそれを俺に返すんだ」

 イジーはゆっくりと手を伸ばして、ドクサからナイフを取り上げようとする。

 その瞬間のことだった。

「こ、こっちに来るなぁっ!」

 不意にドクサは、むやみやたらにナイフをぶん回した。

 どうやら暴力を振るわれると思ったのか、ドクサは半狂乱になる。荷台に積んであった木箱や樽に傷をつけ、なお腕を無造作に振るった。それはこの狭い荷台の中で明らかに常軌を逸した行い。唯一の救いは妹のレクシーを巻き込まないことか。
 それほどまでに、農村で受けた仕打ちはトラウマとなっているのだろう。

「ちっ……迷惑な話だ」

 イジーは舌打ちしながら、素早くドクサの腕を掴んだ。

「触るなーっ!」

 途端、無意識にイジーの手を振りほどこうとするドクサは、バランスを崩して身体を前のめりにさせていく。それは必然的にナイフを突き立てる形となり――

「うぐっ!」

 鉄を極限まで研いだ切っ先は、深々とイジーの胸を抉っていた。

 反射的にドクサは手を放す。けれど凶刃を浴びたイジーは、胸に刺さったナイフを握りながら、蹲るように倒れ込んでいく。
 やがてそれっきり、イジーはピクリとも動かなくなってしまった。

「あ……ぁ」

 己の犯した凶行に、ドクサはわなわなと我に返る。

 そしてゆっくりと、自らの両手を見つめた。血にこそ濡れていなかったが、そこにある十本は紛れもなく人の命を奪った悪魔の指先。

「オ、オレ……レクシー……」

 ドクサは救いを求めるように、レクシーを振り返った。

「お兄、ちゃん……その人、死んじゃったの?」

 妹は眼前で起きた出来事に衝撃を覚え、大きく目を見開いている。
 しばらく見つめ合う兄妹。それでこの状況が変わるわけでもなく、森の中を走り抜けていく馬車は無常に揺れ続ける。

 御者はまだ荷台の中で起きた惨劇を知らないのか、ずっと前を向いたままだ。
 けれどいずれは気づくだろう。そして雇い主を失った老人は兄妹という荷物を、森に捨てていくかもしれない。こんなところで置いていかれては、方角も分からず村や町にたどり着く前に、獣の餌となり果てるのが関の山である。

 不安と恐怖に、ドクサとレクシーが顔を真っ青にさせる最中だった。

「……ったく、危うく死ぬところだったな」
 
 むっくりと、イジーは何事もなかったように起き上がった。

『うひゃあっ!』

 ドクサとレクシーは声を揃えて絶叫した。

「だから静かにしろっての」

 イジーは握ったナイフの柄を、胸から抜き出すように引いた。

「ば、化け物!」

 ドクサは勢いよくそんな台詞を吐くが、イジーからすれば心外だった。
 イジーに突き刺さったナイフの刃は胸に刺さっていない。
 その証拠に血は一滴たりとも流れてはおらず、柄の先から切っ先にかけた部分が存在しなかった。

「よっ、と」

 イジーは釣りでもするように、持ち手をブルッと振るった。
 次の瞬間、まるで魔法のようにナイフの刃が復活した。

「ま、魔女……なの?」

 今度はレクシーから的外れな言葉が飛び出す。

「俺は男だし、そんなのいたら見てみたいわ」

 イジーは自分の手のひらにナイフの切っ先を当てた。
 兄妹から短い悲鳴が聞こえるが、それに構わずイジーはナイフ押し込んでいく。通常ならここで手のひらが貫通して血が噴き出すが、そんな事態は起きなかった。

 なぜならナイフの刀身は、より幅の広い柄の部分に収納されていったからである。

 そう、イジーの愛用するナイフは切ることはできても、刺すことはできない特殊な仕様になっていた。まともに扱うには柄を刃と九十度回転させる必要がある。すると内部でロックがかかり、刺突も可能となるトリックナイフだった。

「それはそうと、ドクサだったな」

 イジーは落ちていた鞘にナイフを収め、ベルトに挟みながらドクサに言った。

「次に下手なことしたら、また縄で縛るからな。二度とやるなよ」

「えっ!」

 ドクサは驚愕したように打ち震える。

「オ、オレ、オマエのこと殺しかけたのに怒んないのか?」

「あ? 根に持って気にするほどじゃないだろ。子供のしたことだし」

「そんな……人から許されるなんて初めてだ」

「許さなかったら怒りっぱなしってか? そんなの疲れるだけだわ」

「でもオレが失敗したら、あいつはすぐに殴ったし……レクシーにまで手を出そうとしたのを止めたら、その分さらにオレが受けて……だから、オレ」

 ドクサは内に沸く戸惑いと複雑な気持ちを、どう整理すれば良いか分からないようだ。

 それをイジーは何とも言えない表情で見守り、ぽりぽり頭を掻く。

「えっと、なんだ。俺が言えたことでもないが、とりあえず元気出せよ」

「……あ、ああ。そうする」

 ドクサは存外素直に相槌を打った。

 そして評価を改めるように、まじまじとイジーを見やる。

「そ、それで結局オマエは何なんだよ。オレとレクシーをどこに連れてく気なんだ」

「そうだな。向こうに着くまでしばらくあるし、それまで自己紹介がてらお互い話をしよう。というか、お前が暴れなきゃ最初からそうする予定だったんだよ」

 イジーは心持ち口調を緩くして、ドクサとレクシーに向き合った。
 頭にかぶっていたバンダナを首に巻き直し、平らに癖のついた髪をほぐす。
 寝癖っぽくクシャクシャになった頭のまま、凝りを取るように首のつけ根を押さえながら――

「俺は言うなりゃ、子供専門の人攫いだ。呼び方はまあ、イジーとでもしといてくれ。お前たちを連れて行く先は、オクトスにある〝遥かなる園〟って孤児院だよ」

 イジーは眼前の兄妹に、簡単な素性と目的を告げた。
 

 
 女はその男の傀儡だった。
 安楽椅子に座る男は、全身を一枚布のように包む真っ赤な服を着ている。 
 常人であれば着用に躊躇するほどの派手な造りだ。さらに頭に乗っかる、角の生えたような奇妙な帽子は子供でも敬遠するだろう。
 しかし猫背で小柄な体躯を持つ男にかかれば、それはまさしく立派な正装。年齢不詳な薄い白塗りの化粧もその一環である。

 この男は皇帝に対して唯一無二、砕けた発言を許される立場。
 ときには笑わせ、ときには政治に的確な助言を与える異端の賢人。
 皇帝お抱えの宮廷道化師、ジェスタ・ジェスタの前で、女は畏まったように膝をついた。

「ジェスタ様。今日はご気分が優れないのでしょうか?」

「うん、そうだね」

 ひじかけに腕を乗せ、頬杖を突きながらジェスタはぼそぼそ声で言う。

「さっき陛下に呼ばれたの。近頃、反乱組織の活動が活発だ、とか文句を聞かされちゃって、ちょっとうんざり。えーと、奴ら、レタスサンドのキックロースだっけ?」

「レジスタンスの〝キュクロス〟ですわ、ジェスタ様」

 女はこなれたように、淡々とジェスタの洒落を訂正する。

「そーそー、それね。で、面倒だったけど、陛下のため、奴らが活動してそうな町、教えてあげたの。でも陛下、数が多すぎるって怒っちゃった。あれ、たぶん、ヒステリー。地方の支持率が低いの知ってるから、たまにボクに、八つ当たりしてくるのね」

 おどけた調子でジェスタは言った。

 何の罪もない多くの兵士が、皇帝の機嫌を保つためだけに首を刎ねられている。それをこの道化師は口先だけで解決するのだ。
それだけジェスタという存在は、皇帝に気に入られている証拠である。

「だからボクも、ちょっとリフレッシュしたい気分。ねえ、アレ、取ってきて」

 ジェスタは命令するよう女に伝えた。
 女は頷き、すぐにそちらに足を向ける。
 ジェスタの部屋には扉が二つあった。一つは廊下に繋がる入り口で、もう一つは天蓋つきのベッドの脇に備わる、奥の部屋に繋がるものだ。

 ジェスタの立場柄、その待遇は貴族に何ら引けを取らない。
 豪勢な造りの部屋は装飾華美に彩られ、テーブルや椅子といった家具も敷かれた絨毯も、職人の手による一級品。
 庶民が生涯かけても手に入れることのできない空間で、ジェスタは悠々と寛いでいる。

「お待たせ致しました、ジェスタ様」

 奥の部屋から戻った女は、その手に一本のパイプを持っていた。
 すでに火は点けられており、ジェスタはそれを受け取ると口にくわえる。そして筒の先から煙をふかし、ゆったりと背もたれに寄りかかった。

「やっぱり、気分転換には、これね。うん、心が安らぐ」

 ジェスタは煙草の煙を部屋中に蔓延させ、そのひとときを愉しんでいく。
 女は少しだけその煙臭さに眉を顰めつつ、ジェスタに言った。

「在庫が減ってきておりますが、どのように致しますか?」

「そっか、どうしよ。あんまり私用に回すと、献上する分がなぁ」

 ジェスタは思考するように目を閉じ、しばらくしてから女に訪ねる。

「……〝仕込み〟はどうなの? 順調に集まってる?」

「ええ。最近、新しい仕入れ主を見つけましたので、その方が運んでくる予
定ですわ。おそらく、そう遠くない内に再びこの国を訪れるかと」

「じゃあ、いっか。そっちは引き続き、頼むよ」

「畏まりました、ジェスタ様」

 女は恭しく頭を下げた。
 ジェスタはパイプをふかしながら息を吐く。それに合わせて、口から白い煙が飛び出していくが、それは宙に霧散しながらすぐに消えていった。
 その様子を目で追っていたジェスタは、どこか達観したように呟く。

「消耗品に、価値なんてあるのかな。やっぱり、最後まで、残り続けるものの方が良い。使われて、はい終わりなんて、そんなの虚しいもの」

「私もそう思いますわ」

 女の共感に気を良くしながら、ジェスタは続けた。

「だから、レジスタンスも無駄なことしないで、真面目に働いて欲しいよね。どうせ陛下の軍に、敵うわけがないんだし。一瞬で散らす命を、もっとこう、なんか、有意義に使ってもらいたいよね。例えばそう――」

 ジェスタは、ふっと口端を緩めた。

「今後、義勇兵気取りの馬鹿どもが現れないよう、公衆の面前で自決とか」

「……ジェスタ様、それはさすがに」

 女は道徳を外れたジェスタの言葉に意見する。

「ういっいっい!」

 ジェスタは甲高い笑い声を発した。

「冗談ね、そんなことしたら、神様に見捨てられちゃうもの。ヲマエの愛してやまない、愛しの、愛しの、神様に」

「ええ。神は咎人であろうとも慈悲深い御心で許容致しますが、自害は厳しく罰せられます。ですから迂闊にも、そのような発言は慎んでいただければ幸いですわ」

「ヲマエは真面目だねぇ。現世のことは諦めてるくせ、浄土については信心深い。ま、そんな思想を持つヲマエだからこそ、ボクは傍に置くんだけどね」

「恐縮ですわ、ジェスタ様」

 女は深々とお辞儀し、ジェスタに敬意を示す。
 それをジェスタは愉快そうに見つめ、何度もパイプを口に含みながら、ひたすらいっときの至福に身を興じていた。


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