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「イジーさんに連れられて」第三話

 西のルートからスピラ帝国の首都オクトスに向かうには、必ずこの手前の町・ディアバシスを通ることになる。

 なぜならそこは砦の町。見渡しの良い草原を南北に突っ切る外壁は、侵略者たちから国家を守るために築かれた堅固な壁であり、防波堤の役割を果たしているのだ。
 南下すれば険しい山岳地帯で徒歩での移動は困難を極め、北方に向かっても、そちらは隣国との海峡が存在するばかりである。

「――ほれ、通行証じゃ」

「よし、通れ」

 ディアバシス入り口にある巨大扉を、その馬車は無事に通り抜ける。
 だが、まだ本格的に町に入ったわけではない。前方に広がるのは鮮やかな緑色。眼前にそびえる丘を越えた先に、ディアバシスの本当の街並みが見えてくるのだ。
 荷台で息を潜めていたイジーは、微かな安堵を覚えながら呟く。

「検査はされなかったな。まー、隠れてるのがばれたところで子供が二人。奴隷だと思われるだけだろうから、別に構わないんだが」

『……』

 荷台の脇で寄り添う兄妹は無言で、じーっとイジーを見つめる。

「あー、悪い悪い。奴隷じゃなくて移民と言うべきだった」

イジーは頭を下げながら、ドクサとレクシーから刺さる痛い視線に訂正した。

「……オマエ、ほんとに悪い人攫いじゃないんだよな?」

 ドクサは疑いの眼差しでイジーに訊ねる。

「ああ。人攫いに善し悪しつけるのも変な話だが、俺はお前たちを売り飛ばす気はない。ただお前たちを幸せにしてくれそうな人間のとこに、送り届けるのが仕事だ」

 真っ直ぐ真摯に、イジーは自らの行いを口にした。
 ドクサは変わらず胡乱な眼差しを向ける。

「やっぱり胡散臭いぞ、オマエ」

「それでも構わないよ。どうせ、すぐに別れることになるんだ。この先、俺は信用してくれなくて良いから、お前は妹が幸せになれる可能性に少しでも賭けてろ」

「何だよそれ。じゃあ向こうで幸せになれなかったらどうすんだよ」

「孤児院から先の暮らしは、俺の知ったことじゃない。お前がどうにかしろ」

 イジーの発言は明らかな無責任だが、あの農村にいればこの兄妹はいずれ死んでいた。

 それは雇い主が酷い男だったからという理由だけではない。噂によれば、あそこから出荷された作物には疫病の疑いが持たれていたのだ。それを知らないで農作を続ける限り、近い内に彼らは自ら生産した因果によって破滅していただろう。

「レクシー。コイツこんなこと言ってるけど、どう思う?」

 そんな事情を知る由もないまま、ドクサは呆れ半分に妹の意見を求める。

「……ワタシは、信じても良いと思うよ」

 いくぶん警戒心が緩まったように、レクシーが紡ぐ言葉は素直なものだった。
 ドクサは険しい表情で、妹の甘さに茶々を入れる。

「こういうヤツは、自分でコントロールできるかもしれないって何度も教えたろ? そんな、ほいほい信じたらダメだからな」

「でもお兄ちゃん。イジーさん、ほんとに嘘はついてないよ?」

「うっ……レクシーがそういうんならそうなんだろうけど、でもオレはやっぱり――」

「お兄ちゃんも信じてみようよ。ねっ?」

 こてっと小首を傾げ、レクシーはドクサに同意を求める。
 ドクサは渋々と頷いていたが、その二人のやり取りにイジーはある違和感を覚えた。

「お前ら、信じるだのどうの言ってたが、まさか俺の言葉の裏が読めるのか?」

「な、何だよ。お前に話すことなんてないぞ」

 どこか焦った風に、ドクサは曖昧に視線をそよがせる。
 するとレクシーもそれに乗っかった。

「うん。ワタシ、イジーさんが嘘ついてるのが分かるなんて、そんなことないからね」

「ばっ! レクシーっ!」

「あれっ、これ言っちゃだめなんだっけ」

「あぁくそ……このおバカ……」

 あちゃーとドクサは頭を抱えている。
 その不自然すぎる態度に、イジーはふとした仮説を立てた。それを裏付けるために、レクシーに対してある質問を投げる。

「なあレクシー、俺の歳は二十歳だ」

「えっ? ううん、違うよ」

「オマエ、レクシーに何聞いてやがんだよ!」

「なるほど、よく分かった」

 怒鳴り込むドクサを無視しながら、イジーはその正体に行きついた。

「レクシーは〝ザツギ〟が使えるんだな」

「だから何だってんだよ! レクシーはどこにも売らせねぇぞ!」

 ドクサは妹を必死に後ろに庇い立てていた。
 どうやらドクサも、その希少性について心得があるらしい。
 非常に危機意識が高く、何が何でもレクシーのことを守り抜こうという気概が垣間見える。
 イジーは小さく息を吐いて、慌てふためく二人に落ち着いて声をかけた。

「安心しろ。そんなものに興味あるのは見世物小屋だけだし、俺はお前たちを絶対に売るつもりはない。そもそも嘘ついてるのが分かるなら、俺が真実を言ってるかどうかも分かるはずだろ?」

『……』

 ドクサはレクシーと顔を見合わせて、イジーの安全性を再確認する。
 きちんと落ち着いてくれてイジーはほっと一息ついた。

 この世にはザツギと呼ばれる、人よりも優れた才能を持つ人間が存在する。

 ザツギの種類は様々で、他人の感情を読んだりコントロールしたりできるものから、運動能力を司る特異体質的なものもあるのだ。
 レクシーの持つ、他者の言動の真偽を見極める力もその内の一つ。
 優れた特技を持つということは、即ち特別な人間であることの証明だ。
大人になれば何らかの偉業や功績を残せるかもしれないし、時には歴史を大きく変える者だって現れる。

 だからこそ、ザツギを持つ子供は非常に珍しく狙われやすい。
 奴隷として買われ、何らかの教育を施されて利用される場合も少なくなかった。

「けどお前たちをこき使ってた下種男は、そのこと知らなかったんだな。もし知ってたんなら、子供にあんなくだらない真似させてるわけがない」

「当たり前だ。あのクズ野郎にだけは、レクシーがザツギ持ってるってぜってぇ知られたくなかった。母さんからの遺言もあったしな。ザツギが使えるレクシーは、必ず悪いヤツらに狙われる。だから決して他人には知られるなってさ」

「……あとね。お母さんから言われたよ。誰かを憎むのは簡単だけど、まずは自分が信じてあげなきゃ始まらないって。それだからワタシ、イジーさんが嘘ついてないって分からなくても、ちゃんと信じてあげたかったんだ」

 ドクサは気丈に、レクシーは健気に母からの言葉に従っていた。
 過酷を迫られながらも生きて来た二人の境遇は、きっとイジーには想像もできないほど苛烈なものなのだろう。
 そればかりが理由ではないが、イジーは改めて決意を新たにした。

「今日はディアバシスで休憩を取る。町の中じゃ俺の傍から離れるんじゃないぞ。それとザツギのことも黙ってるのが賢明だ」

「ふん、オマエに言われなくたって」

「うんっ、イジーさんといっしょにいるね」

 相変わらずドクサの当たりは強いが、人当たりの良いレクシーに合わせるように、二人とも当初よりだいぶ態度が軟化するのだった。
 
         
 
「――お待たせ」

 石造りのトイレから、レクシーが手の雫を振りながら出てくるレクシー。
 ディアバシスに到着するや否や、イジーたちは一目散に公衆トイレを訪れたのだ。
 レクシーが非常時だったので、御者には一足早く宿に行ってもらっている。ついでにイジーたちの部屋を取ってもらっていた。

 イジーは鞄から綺麗な布を取り出して、レクシーに渡す。

「ほら、これでも使え」

「ありがとう、イジーさん」

 レクシーはお礼を言って、手の水気を拭う。

「さて、とりあえず宿に――ん?」

 イジーは一緒に座っていたドクサが、ぼんやり遠くを見ているのが目についた。

「どうした、そんなに町が珍しいか?」

 ずっと農村暮らしだったことを考慮し、イジーは軽い調子でドクサに訊く。

「……別に。こんなの普通に見たことあるし」

 ドクサは強がりのように言うが、どうやらそれは事実のようだ。
 それを引き継ぐようにレクシーが言った。

「前に住んでたところに似てるね」

「何だ。あの村の子供じゃないだろうとは思ってたが、町に住んでたことあるのか?」

 イジーが訊ねると、兄妹はこくりと頷いた。

「へえ。てっきりどっか地方の出身かと思ってたけどな」

「おかしいかよ。肌の色が違うってだけで、普通の生活したらいけないのか?」

 繊細な部分に触れたように、ドクサは語気を強める。

「悪い。迂闊なこと言ったな」

 イジーは謝罪もかねて持論を述べた。

「けど俺はそんなこと思わないよ。どんな外見してようが、同じ人間であることに何の違いがある。それが分からないのは一部の馬鹿どもだけだ」

「オマエがどう思おうと勝手だけどな。でも母さんは一度も、自分の見た目を恥じたりなんかしなかった。街生まれの父さんだって、そんな母さんを誇りに思ってたんだ。誰にもこのことで文句なんか言わせねぇ」

 ドクサは強い意志を内に秘め、そこにレクシーも共感しているようだった。

 そして遠く思いを馳せるように、ドクサとレクシーの兄妹は町並みに目を凝らす。
 そこに広がる光景を構成するほとんどは石材だ。
 石畳に始まり、二階建ての連なる家々の外装から階段に至るまで灰色の造り。周囲を行きかう人々が鳴らす足音は、どこもかしこも無機質に硬いものだった。

「よし、さっさと宿に行くぞ」

 頃合いを見て、イジーは出発を切り出した。

「あんまり同じ場所にいたら目立つ。特にその格好、俺が奴隷商人に思われるからな」

「似たようなもんじゃねぇのか?」

 毒を吐くドクサに、イジーは否定もせず、黙って先導を始める。
 案の定、土や埃で汚れた兄妹は事実多くの人目を引いた。農村では風呂にも入れてもらえなかったのだろう。馬車に一緒に乗っていたときから、その臭気は割と酷かった。

『……』

 しかし人々は、子供たちではなくイジーの風体を見てすぐに視線を逸らす。
 そもそも旅人という時点で得体の知れないよそ者。服も満足に着せてもらえない子供を連れている辺り、関わってはいけない人種に見られるのは無理もない。もっともその方が、面倒事が少なくなってイジーとしては助かるのだが――

「なあ、あれなんだよ」

 しばらく町を歩いたところで、ドクサがふと前方を指さした。

「おい、手を下げろ」

 イジーは慌ててドクサの指を降ろさせる。

「……なんだか、怖いよ」

 レクシーは怯えたように、イジーの後ろに隠れた。

 三人の視線の先にあったのは、目立つ看板を掲げた建物の前の人だかり。その隙間から覗けるのは、若い女性が複数の男に絡まれている様子だった。
 どうやら騒ぎの原因は、一瞥しただけでも分かるようなナンパ。
 男たちは胸当てなどの防具を着込んでおり、腰や背中には帯剣していた。おそらくは国家に雇われた傭兵。きっとこのディアバシスの警護だ。

「ま、待ってくれ」

 女性の知り合いらしき男性が、人込みを掻き分けて、慌てたように仲裁に入っていく。
 野次馬たちは女性を助けに入った男性を見た瞬間、顔を真っ青にしていた。

「あぁっ!」

 そのときドクサが短く声を上げた。
 女性を守ろうとした男性は、すかさず男たちに囲まれて袋叩きにされたのだ。地面に投げ飛ばされ、傭兵の泥まみれの靴底で顔面や身体を何度も蹴られる。

「お、おい、良いのかよあれ」

 取り乱すように、ドクサはイジーの袖を引っ張った。

「構うな。この町では、誰もあいつらに逆らえないんだよ」

 イジーは冷たくディアバシスの実状を口にする。
 皇帝に雇われた傭兵たちは、国家という後ろ盾のもとに護衛任務を果たしていた。
 これが意味するのは、すなわち皇帝より直々に能わった一方的な義。

 そもそも傭兵は金で雇われれば何でもこなす無法者だ。戦争の際に駆り出されては、通りがかった村の食料や金品を略奪していくことなど日常茶飯事。生まれ育った自国でさえ愛国心などというものはなく、これが躊躇されることはないのである。

 そんな者たちが、ひと所の町に留まり、皇帝の権力をバックに控えればどうなるか。
 その結果は火を見るよりも明らかだった。

「しかし面倒なことになったな。よりにもよって宿の前でこんなことになるとは……」

 イジーは忌々しく唇を噛んだ。
 看板の出ている建物は、イジーが滞在予定に選んだ宿屋。一階は酒場として開放してあるので、傭兵たちはそこで酒をあおっていたのだろう。
 できれば、御者が誤って別の宿を取っていてくれることを祈るばかりだったが――

「こっちじゃ、青バンの旦那」

 と言わんばかりに、宿の入り口付近で、こちらの姿を発見した御者が手を振っていた。
 あの様子では、すでに部屋を借りたあとだろう。こんなことなら、あらかじめ金を渡しておくべきではなかった。レクシーのことで急いでいたとはいえ、宿ぐらい自分で手配すれば良かったと後悔する。

「ちっ。馬鹿どもの騒ぎが収まるまで待つか……」

 イジーは悪態をつきながら嘆息した。
 これがよその町なら、騒ぎが起これば町の自警団が駆けつけてくれることだろう。
 しかしこの町のスタンスは傭兵とのいざこざを避けることであり、ときおり見かける甲冑を纏った帝国兵は何の役にも立たなかった。

 町には傭兵と帝国兵が存在するが、後者が治安に関わることはない。
 彼らが守るのは領主だけ。それ以外のことなど、よほどの金を積まれない限りは、見て見ぬふりをするばかりなのだ。そしてその領主も、定期的に訪れる視察団のために見栄を張るだけの、民衆を二の次とする添え物。
 視察団により町の評価が下がれば、領主はさまざまな不利益を被ることになる。ゆえに体裁だけは煌びやかに見せようと必死に取り繕っているのだ。

 虚飾された石の町は、中身の伴わない見せかけだけの掃き溜めだった。

「……あれ、ドクサは?」

 ふと兄妹を振り返ったイジーの視界には、レクシーしか映らなかった。

「お兄ちゃんなら、あそこ」

 レクシーが示した方向は、あろうことか騒ぎのど真ん中。そちらを見やったイジーは、目玉が飛び出るかと思った。


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