知、道徳、冷んやりさの違和。

 こんばんは。Ruriyaです。引き続きブログ的なものを続けます。突然ですが、僕は発達障害を診断されています。そこでWAISⅣなる検査を4時間以上受けることになりまして、IQが84と診断されました。ただ、言語理解IQが112くらいだったので、こうやってブログが書けるわけですが笑。さて、そこで今話題でYoutuberなどや学者、有識人がバズワードとして取り上げるいわゆる「境界知能」について語りたいと思います。境界知能の定義としては、「境界知能とは、知的障害ではないけれど、知能指数(I Q)が一般より低い70~84に位置する人のことをいいます。境界知能にあたる人は全体の約14%、35人クラスだと約5人いるとされています。平均よりIQが低いため日常生活で様々な困難が伴うけれど、知的障害ではないため必要な支援が受けられない。そのため社会に適応出来ず、生きづらさを抱える人がいるのだといいます」(ヤフー記事「やる気がない」「さぼっている」と誤解されてしまう、発達年齢が平均的な子の7~8割の「境界知能」とはhttps://news.yahoo.co.jp/articles/fa67b8cf06bc9b8d5e64237af5df32f1dd7c6a60#:~:text=%E5%A2%83%E7%95%8C%E7%9F%A5%E8%83%BD%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E7%9F%A5,%E6%94%AF%E6%8F%B4%E3%81%8C%E5%8F%97%E3%81%91%E3%82%89%E3%82%8C%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82 から引用)だそうです。

 結局、いわゆるマウンティングに使われるこのワード。よくFランク大学という言葉があるが、それと全く同じで人は結局見下したい生き物なのではないかと感じてしまう。かわいそう、生きづらさ、これを遠回しに差別的に選別してみて、脳が喜びを覚える。いわゆるシャーデンフロイデってやつです。シャーデンフロイデ: Schadenfreude)とは、他者が不幸悲しみ苦しみ、失敗に見舞われたと見聞きした時に生じる、喜び、嬉しさといった快い感情だそうです。(wikipediaから引用)インターネットのひどさはこうやって日常的ストレスを少数者を見つけ、おもしろがり、電車の中で悪口を書くことにあります。ただ、人間の本性ってそういうもんなんだと思いますし、僕は悪人正機説支持派です。
 さて、タイトルに知、道徳、冷んやり、違和などのワードを入れたので、なぜ入れたのかですが、事実だから、科学だからといって人に対する思いやり、道徳を忘れた社会になったなとつくづく思うからです。多分、昭和の頃の日本人なら、どこの大学とか偏差値とか知能とか経歴とか気にせず同じ日本人として共同体として仲間として思いやりと道徳感で生きていたのだと思います。だからほんとに連帯意識が分断され、個に分断されたなとつくづく思うのです。そりゃ、断続された見下された個は秋葉原事件などにつながるわけだと思います。ちなみにあの事件が起きたとき、崩壊がはじまったといわゆる知識のある方たちが見下す対象である僕は見抜いていたのですが、案の定新自由主義と自己責任社会は犯罪と崩壊を生み出した。自己努力を押し付ける人は自分がたまたま環境がよくて、運がよかっただけなのですが、人は自分がすごいと思いたいので、脚色して過去の努力が足りないんだとか、ホリエモンのようにバカには教育はいらないとか言い出すわけです。ただこの傾向が、戦前のナチスドイツにそっくりです。
 読んではいないのですが、デュルケームの「自殺論」について評論家・官僚の中野剛志氏が取り上げていて、自己責任・新自由主義を進めていくと社会が崩壊すると中野氏は学生時代に日本はやばくなると思ったそうです。中野氏はいわゆる高知能だと思います。そもそも東大教養でて、エンディンバラ大学院博士で論文も賞を取るくらいですし。でもこういった人にはなぜか僕ら「見下されるべき」人間なのかは疑義がありますが、嫌だなと思わない。それは、みんな幸せになろうぜという意識が中野氏から伝わってくるからなのかもしれません。東大院教授の鈴木宣弘先生が生み出したとされる「今だけ、金だけ、自分だけ」から程遠いから温かみと道徳を感じるのです。学者先生や官僚の方にこういった方がいたら政治家も店長も、課長も、社長も、取締役も、株主も、家主も、大家まで温かみがある社会になるのではないかと思います。
 話が変わりますが、そもそも学力編重社会というのは、戦前から欧米列強と戦うために始まったのではないかと思っています。これは韓国・中国などもそうだと思います。西洋列強からアジアは対抗しなければならないという意識が高まれば高まるほど、官僚養成校である東大を目指す教育を国民全員が受ける「権利」がある。それは国民の「義務」だと。そして、東大に全員が行けなくても、全員の力の底上げが必要で、一億総決起で国に尽くすべきだという考えがいまも続いていると思います。だから偏差値・学力が低い、仕事ができない、IQが低い人間、働いていない人間は脚を引っ張るやつだ。許せない。排除しろという論理になっている。
 ただ、働いていないアリやハチも働いているものがだめになった代替だと考えることができる心の余裕が多少は昔はあったような気がします。笑ってみていられるくらいの。むしろいまはそういった発達障害とかわからない時代よりわかってしまうので社会の落伍者としてのレッテル張りに使われている面がある。これがすごい危険な兆候だなと思っています。これはただの僕の根拠のない予想ですが、ここから日本はまたファシズムに戻るのだなと思います。だから僕のような人はのたれ死ぬような社会になると思いますが、それを僕は受け入れたいと思います。ただ後の世にこの文が読まれ、検証されることが大事だと思います。なのでこうやって文を残すことが後世に生かされたらと傲慢かもしれませんが思います。

 もっと書きたいのですが、今日はこのあたりで。
せめて一人でも暖かい・道徳のある人間が増えますように。

           Thanks for all over the World.    By Ruriya. 

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