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よしなしごと

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色々と考えたり、思ったりしたこと。
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上手く話すことはできない、けれど。

仕事がお休みの日に、noteで記事を書くことが習慣になってから、数ヶ月がたちました。 "書かなきゃ"という義務感をもつと、書くことが楽しくなくなるから、投稿する頻度は決めないでいようと思っていたのですが、お休みの日が近づくと"今度は何について書こうかな?"と、わくわくしながら考えている自分がいます。 自分が考えていることや好きなことについて語る文章を書きながら、いつも不思議な気持ちでいました。 わたしは、自分自身の気持ちを表現するのが苦手なのだと、これまでずっと思ってきた

今、ここに在ることの幸福

先月のある休日のこと。 朝、目覚めたときには雨が強く降っていて、"お休みの日なのになぁ…"と思ったのですが、天気予報を確認すると、どうやら午後からは晴れるみたい。 本屋さんに行きたかったので、雨が止むのを待ってから出かけることにしました。 おなかが空いていると集中して本が選べないので、本屋さんの前に、カフェに立ち寄ることに。 ビルの2階まで階段を上がり、扉をあけた瞬間、"やっぱり、この空間が好きだなぁ"と真っ先に思います。 店内にはいくつか本棚があって、本が自由に読める

遠くまで行くために、辞書をふたたび手に取る日

雨の季節が始まりを迎え、「もう今年も半分が終わるなんて、はやいなぁ」と思いながら来月のスケジュールを確認すると、自分の誕生日が目に入りました。 ここ数年は自分自身へ誕生日プレゼントを贈るのが習慣になっていて(といっても、ほぼ毎年"本"だったりします)、今年は何にしようかと考えていると、"国語辞書"という案がうかびました。 学生の頃は、授業中に使うのはもちろんのこと、読書が趣味だったこともあり、日常生活のなかでもわからないことばがあれば、よく辞書をひいていました。 ところ

お父さんがいない父の日に思うこと

きのうは"父の日"でしたが、『お父さん、ありがとう』ということばを目にするたびに、心の表面にさざ波がたつような感じをおぼえました。 わたしが11歳のとき、両親が離婚しました。 まえぶれのようなものはなにも無く、ある日から父親が家に帰ってこなくなりました。 仕事からの帰宅時間がいつもおそくて、忙しいときには職場に泊まりこむこともあったので、最初の数日間はあまり気にかけていなかったのです。 "お父さん、ぜんぜん帰ってこないなぁ…?" そう思いはじめたころ、母親から離婚することに

書くとき、話すとき。ことばと思考のリズム

先日、職場で商材の納品にこられた業者さんに対して、 "ありがとうございます。おおきに"とあいさつをしました。 その場にいた上司の方から、「夏樹さんは、もう立派な関西人やな」と声をかけられて、京都暮らしも7年目に入り、すっかり京都弁にも馴染んできたなぁ、と思ったのです。 大分県で生まれ育ち、子どものころは学校でも自宅でも大分弁で話していました。 ですが、母親は大阪出身で、暮らす場所が変わっても大阪弁で話していたため、関西のイントネーションが身近にある環境。(大阪と京都では微妙

書くことで、壁を無くしていくような日々に

noteで文章を綴っていると、自分自身の気持ちや考えが素直に表せていることに驚きを感じることがあります。 過去の記事で度々ふれていますが、子どもの頃から人見知りがはげしくて、ひとと会話をすることが苦手でした。がんばって自分が考えていることを伝えても、よく分からないと返されることもしばしば。否定されたり、変だと言われたりしたらどうしよう…、と怖くなり、しだいに口数が減っていきました。 自分よりもひとを優先する気質も強かったなぁ。 たとえば友人と遊びに行くときも、「わたしはど

あらためて、自己紹介です。

noteで毎週記事を書くようになってから、4か月目。 この頃は、スキやコメント・フォローをして下さる方が多くなり、驚きながらもうれしく思っています。 先日、初めて書いた記事(自己紹介)を読み返したのですが、ちょっと内容がうすいかなぁ…と感じてしまいました。(はずかしくて記事のリンクが貼れないです…。) というわけで、あらためて自己紹介をしますね。 プロフィール ・名前:夏樹 ・1989年生まれ。 ・大分県出身です。  転居歴:大分県→大阪府→名古屋市→京都市。  現在

心からの気持ちを、言葉にのせて。

先日、益田ミリさんの「今日の人生3 いつもの場所で」を読んだ感想を記事にしました。 記事を書き終えたあと、本にはさまれていたミシマ社編集部宛ての読者カードを手に取り、『そういえば最近、手紙を書くことってなかったなぁ。せっかく素敵な本を読んだのだから、感想を書いて送ってみよう』と思い立ったのです。 読んでいると温かい気持ちになれたこと、装丁も素晴らしくて自分にとって大切な本になったことなどを書き綴っていると、楽しくなりました。 ふと、真っ白いはがきのままだとさびしい感じがす

「これが良い」を選んで、自分の心を満たしたい。

日々の生活は、ほんとうに選択の繰り返しだ、と思います。 朝は何時におきる? (わたしはおやすみだけど、家族は仕事だなぁ) 朝ごはんは何を食べようか。 お弁当のおかずも必要だし、たまご焼きをつくったほうが良いかな。 明日は朝はひんやりするけど、日中は暑いみたいだし、何を着ようか…などなど。 朝から晩まで、無数の「あれもしなきゃ、これもやらなきゃ」に追われると、ひとつひとつの選択に時間をかける余裕がなくなります。 「とりあえず、これでいいか」をつみかさねることが続くと、なんと

「すみません」を減らせるように

「そんなことで謝られると思わへんかったわー」 「別に謝るようなことやないと思うで」 今月のなかばから、新しい職場に入りました。 きさくに話しかけて下さる方がばかりで、丁寧に仕事も教えて頂けるので、働きやすいところだな、と感じています。 冒頭の言葉は、この頃、直属の上司の方によく言われること。 あらためて気がついたのですが、「すみません」が自分の口ぐせになってしまっているのです。 たとえば、仕事の手助けをして頂いたとき。 「ありがとうございます」と言えたらいいのに、時間を

コーヒースタンドでの一期一会

雨降りの日曜日に、コーヒースタンドへ行ってきました。 大通りから少し中に入ったところにある、こぢんまりとしたお店。鉢植えのグリーンが店内にたくさん置かれていて、居心地の良い空間です。 壁沿いに長いベンチが据えられており、奥にはテーブルがひとつ。そちらのテーブルには先客の方がおられたので、少しあいだをあけて、ベンチに腰かけました。 雨脚の強まりつつある外をながめながらカフェラテを飲んでいたところ、「雨、きつい?」という声が隣から聞こえてきました。 テーブル席の方が、わた

蜃気楼のなかを歩む

昨日、春の陽気にさそわれて、母親と散歩にでかけました。 向かったのは、近所の川沿いの道。 昨年の夏頃に、今住んでいる家に転居しました。 引越してきたばかりの頃、所用がありタクシーに乗ったのですが、ドライバーの方との雑談のなかで、越してきたばかりでこの辺りの地理に不案内であることを伝えたところ、「これね、川沿いに植えられてるの全部桜の樹なんですよ。満開になったらすごく綺麗なんだけど、地元の人しか来ない場所なんで、穴場ですし、春になったらぜひ見に来てください」と教えてくださった

たとえばシナモンロールを食べたいとか、そんな気持ちも大切に

このところ、スタバのシナモンロールについて書かれた記事をnoteでなぜか連続して目にしてしまい、「これはきっとシナモンロールがわたしを呼んでいるのだなぁ」 と思い、行ってきました。…というか、この記事を書いている今、スタバにいます。 はじめてヒーティングしてもらったのですが、生地がふんわり、もっちりしていて美味しい。最後に食べたのが数年前だったのですが、こんなに美味しかったかしら?と思うほど。 お手拭きの袋に可愛いイラストとメッセージまで添えられていて、やっぱり、今日来て

いつか光が見えるときが訪れると信じて。

いま、実は仕事とプライベートの両方で困難な問題がおきていて、ここ数日いろいろと思い悩んでいます。 自分の来し方をふりかえると、なかなか波瀾万丈な、といっても過言ではない人生で、特に10代のころは自身の特性や家庭の問題などが絡みあって、出口の見えない状態におちいったこともありました。 この頃ようやくわかってきたのですが、渦中にいるときは、出口が見えないと思ったり、暗闇の中にいてこの先光なんて見えそうもないと思ったりする状況であっても、いつかは好転するときが必ず訪れるものなん