卒業宣言~青き時の中のあなたへ~

再会を果たしたあの日のあなたは、メロドラマから生まれたあの造語*を知っていたでしょうか。

私はまだ知らなかったけれど、あの造語を体現すべく、世の夫も妻もひっそりと家庭の外に彩りを求めるようになっていた頃。私は初めての子育てに一心不乱となっていて、夫婦生活にさえ目もくれませんでした。
そこから数年が経ち、視界が広さを取り戻し始めた時、既に夫は子育てを目標とした共同生活者に変化していました。

その頃からでした。意識の奥深くに眠っていた記憶が頭をもたげるようになってきたのは。
二十歳という青き境界線にいた、二歳下のあなたと私が共にしたほんのわずかな時。ぎこちなくその延長を求めた私と、はねのけたあなた。置き去りという名の陰を宿したまま、私のパーソナリティーは形成されていきました。
あなたへの連絡の術を既に失っていた私は、SNS上に、その存在を探し求めました。恐る恐る名前を検索してみると、そこに顔写真を初めとするあなたの情報が並んでいたのです。天は私の願いを聞き入れてくれた。そう思い、私の心は踊り出しました。物理的にはメッセージを送る事も可能になりました。
それでも、あなたが時々投稿するのを端末から眺めるだけで、送信ボタンがタップされる事はありませんでした。
赤ワインの力を借りて、捨て身の思いであなたへメッセージを送った頃には既に二つの季節が過ぎていました。
20年の時を経て、あなたは拍子抜けする程再会を懐かしんでくれて、連絡をためらっていた自分が滑稽に思えた程でした。そこから、オンラインでのやり取りが始まりましたね。
これまでのキャリアや互いの家庭の事、etc.
幾度かのメッセージを重ね、私はあなたを食事に誘い、あなたも快く応じてくれました。
実は、約束を果たしたあの日の私は子供を保育園に預け、かつ職場には子供が熱を出したと伝え、あなたに会うための道を切り開きました。待ち合わせ場所につながる駅の、動く歩道が白く輝いて見えました。これが自由への道筋なんだと、感慨を覚えたものです。
そして、20年振りの再会を果たしましたね。でも、そこには私が求めたあの頃のあなたはいなかった。私の無言の動揺はあなたに伝わり、ぎくしゃくと時間が過ぎていきました。あの頃叶わなかった願いを今度こそ叶えるべく、超自我の制止を振り払ってでも告げようと用意していた台詞も飲み込んだまま、陽の目を見ることはありませんでした。
好機を逸したとも、自ら手離したとも言えるような会瀬。それから、あなたとの連絡は再び途絶えました。
その後は、再会のきっかけとなったSNSからあなたの投稿をこっそり眺めるだけ。投稿へのリアクションも一切しません。でも、言葉を交わすことはなくても、互いが互いの投稿を見ているのを知っている。そんな気がしていました。
互いに全く関連のない内容でも、投稿したタイミングが近かったりすると、無意識レベルでも対話ができたみたいで何だか嬉しくなったものです。
形而下での対話が叶わなくなった今、願わくば来世で…なんて思い、神にすがろうとした時期もありました。
でも、目にも見えず、触れ合うこともできないまま、過去との対話だけで余生を送るには、人生の時間はあまりにも膨大でした。

私は手の届かない遠い過去の中で生きるよりも、現実の温もりに手を伸ばすことにしました。最近は、社会的には夫や妻という立場を持つ人を対象として、不可抗力ではなく、確信犯的に、人によっては罪と受け取れる行為を容認、もっと言うと推奨するようなアプリというのがあるのですね。妻ある人と夫ある人が出会うための場。これはもはや世も末なのか、はたまたパラダイムの転換なのか、分かりかねつつも、引き込まれるように登録をした私は、早速その恩恵を受けました。あなたと同じようにメッセージのやり取りを経て、何人かの、家庭の主でもある男性達と出会い、中には肌を重ねた人もいました。手の届かない遠い過去ではなく、手に取ることができる、今現在のぬくもり。触れ合う経験自体が実に数年振りの事で、たちまち私はこの彩りに満ちた会瀬の虜になりました。この時、私の中の正義が書き変わったのです。
一夫一婦という制度の中の配偶者には、無言の優しさを…

再会を果たしたあの日のあなたは、あの造語を知っていたでしょうか。

私はもう知っています。そう、あの造語を体現することこそが、私にとって、青き時の呪縛から解き放たれる唯一の手段だったのです。

それこそが、あなたからの卒業だったのです。

私は時が許す限り、この手段を行使し続けるでしょう。
いつか肉体が朽ち果て、ここにはない名前と姿で再び出会うその日まで。

*2002年1月から3月まで毎週木曜日、テレビ朝日系列で放送されていたテレビドラマ『婚外恋愛』から作られた、同名の造語を指す。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?