ピアノをまた習いたいなという話

 今日は、ピアノについて。
 私は、昔ピアノを習っていた。おそらく12年間教室に通っていた。
 一番長く続いた習い事でもあった。

スタインウェイのために習い続けた

 私がピアノを習い続けていた最大の要因は、年に一度ある発表会で、スタインウェイのコンサートピアノ D-274 で演奏できるためである。年にたった一度、時間にして3、4分。その僅かな時間のために、ピアノを習い続けた。それほどまでに、私は、スタインウェイのピアノに心酔していた。今も虜である。あれはすごい。ここには書ききれないので、スタインウェイに関してはまた後日詳しく書こうと思う。

ピアノに対する反抗期


 それほどスタインウェイに魅せられていながらも、3、4年間ほど、ピアノ教室に通うことが嫌で嫌で仕方がなくて、ろくに練習もしないままレッスンに通っていた。今となっては、高い月謝を払ってくれていた親に土下座をしてでも謝りたい。しかし、そのころの私にとって、ピアノは邪魔な存在、完全にストレス因子の一つでしかなかったのだから、謝罪の念など当時の私には存在しなかった。

ピアノは弾きたい曲を弾けると楽しい

 先述した、一種の反抗期のような時期を過ぎると、一転、ピアノが楽しくて仕方がないと感じるようになった。基礎固めのような時期を終え、有名なクラシック曲を弾く機会が増えたことが大きな要因である。テレビなどで聞いたあの曲を自分も弾けるんだ、といった認識を持つようになり、ピアノに魅せられていった。

「全然違う曲に聞こえる」

 その後いろいろあり、ピアノ教室をやめ、数年経過した現在。
 ピアノに触れられる機会が時々あり、過去に弾いた曲をなんとなく思い出しながら弾いていたある日。一緒にいた母が一言。
「同じ曲なのに、昔とは全然違う曲に聞こえる。」と。
 この言葉は、決して批判的な意見ではなく、肯定的なものであると補足しておくが、その言葉が一体どういうことなのか、しばらく考え込んでしまうほど、私にとっては大きな影響を受けた言葉であった。
 そのとき弾いていた曲は、10年ほど前に弾いた曲であった。ピアノ教室に通っていた頃は、曲に感情を乗せることよりも、正確に音を紡ぐことに重きを置いていた。ミスタッチを一度してしまえば、その途端に演奏が崩れていく。曲を楽しむ余裕など到底なかったのである。現在は、そのような呪縛から完全に解放され、日頃から練習をしているわけではないのでミスタッチは当たり前、ピアノやっぱ楽しいなー、などと純粋に楽しみながら遊び感覚で弾いている。どちらの演奏が心を打つ演奏であるかは、言うまでもない。
 ピアノを辞め、自由に弾けるようになって初めて、曲に命を吹き込むことができたのだと、本来の魅力を引き出せたのだと、そう結論づけた。

曲の魅力をもっと引き出せるようになりたい

 年を重ねたということもあり、曲に色をつけることができるようになった。しかし、今度は、曲を輝かせるための技術が不足している。
 こうなれば、もう、ピアノ教室に再び通うしかあるまい。
 ということで、今回のタイトルに至る。
 時間と環境的に厳しいかもしれないが、どうにかして習いたいものである。音が鳴った瞬間、体に、そして心に響く、ピアノの音色が私は大好きなのだ。願わくは、再び、あのスタインウェイで演奏したいものである。

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