なんとなく、生きる希望が見えなかったあの頃
小学4年生の頃だろうか。
何か辛いことがあった訳ではない。
ただ、自殺したらどうなるのだろう?と思いながら、ベランダの下の景色を見ていた時期があった。
実際に危険なことをしたことは無いし、心から死にたいとも思っていなかった。
なんとなく"終わり"に興味があったのか、終わらせてもいいかな、という軽い気持ちだと思う。
この時期が過ぎ去り、私は5年生の時に創設された合唱部に入り、6年生では部長になった。
中学校では吹奏楽部に入り、クラシックバレエや習字、塾と大忙しの日々。
"死"が頭に浮かんだあの頃のことなんて思い出すこともなく走り続け、今(今年24)に至る。
クラスでも目立つ側だった小学校低学年。
先生から家に電話が来ることもあったようだが、全く記憶にない。
小学3年生の夏に引越し、この転校以降は年々落ち着いていったように思う。
進学した中学校は田舎の公立によくある、不良ぶった人に溢れたとんでもない環境だった。
上の兄弟でそれを知る友人は、私立の中学を受験したほど。
しかし、捻くれ者(と双子から言われる)私の血はあえて
"中学では真面目になろう"
という固い決意を生んだ。
小学5年生で出会った新選組の児童文学「恋する新選組」に登場する、
"己の真心に恥じない生き方"
に強い影響を受けた事も大きいと思う。
そして、真面目だった同級生がヤンキーに憧れ勉強しなくなり悪ぶっていく中、決して流されまいと抗った。
授業中に私語をしない、先生の話を聞く。
掃除をきちんとする。置き勉がダメならしない。
校則を守った制服の着こなしをする。など。
今になれば当たり前のことだが、周りはどんどん守らなくなった。
まともに授業できず、先生が出て行くこともあった。
まさに、真面目がバカを見る環境。
そんな中でひたすら真面目に生きようとした人間は、先生からの信頼も厚かったと思う。
とはいえ学年の主役は悪ぶった人たちなので、きっと先生の記憶に私は残っていないかもしれない。成人式の同窓会にも呼ばれず、同級生からも地味で真面目な私や友人は"最初からいなかった人"扱いされているのだろう。
それでも、決して環境に流されず言い訳にせず生きた3年間に後悔はない。
憧れだった高校(地元の進学校)に入学してからは、かつてほど自分に厳しくすることをやめてしまった。
結果的にそれがよかったのかはわからない。
自分で自分の首を絞めなくても、周りのレベルの高さに圧倒され、自分のできなさには沢山苦しめられた。
自分ではどんなにダメなやつと思っても、周りから馬鹿にされたことはないし、みんな優しかった。(私が成績でいじっていいようなキャラじゃなかったのもあると思う)
高校時代の最大の敗因は、次の目標がなかなか見つけられなかったことだ。
小学生の頃から目指していた高校に合格できたけれど、そこから先が見えていなかった。
中学卒業時に大失恋(片思い)をし、頑張る理由を失ったのもダメージが大きく、高校入学当初は授業が全く耳に入らなかった。体育の授業中に蕁麻疹がでて保健室に駆け込んだり、冷房で体が冷えて腹痛に悩み、食欲が落ちてお弁当がしんどかったり、珍しく吐いてしまったり、ストレスもかなり感じていたのだと思う。
私はこの時まで、他人に褒められたり認められる為に頑張っていた。
それが高校にもなると、自分で目標を見つけ自分のために頑張らなくてはならない。
頑張る理由を他人にすると、失った時に自分も崩れてしまう。
23年生きて、これの大切さを何度も突きつけられたはずなのに同じ失敗をしてしまう。
人間は簡単には変わらないらしい。
最初の話題から脱線してしまったが、
小学4年生の頃の私はきっと、熱中するという感覚をまだ知らなかったのだと思う。
勉強もできない方ではなかったし、習い事も沢山やらせてもらって恵まれていたけれど、感情の振り幅が狭く日常に退屈さを感じていたのだ。
それが合唱部や中学の吹奏楽部、初めての失恋、高校での学外活動、自分からアプローチした恋、大学での競技ダンス部など、たくさんの経験を通して年々熱く生きることを知った。
何かにハマったり、熱中して努力していると、死が頭をよぎる隙間もなくなる。
誰もが死に向かっているけれど、熱中したい物がある今だけは、人生の終わりを忘れたい。
何が言いたいのか自分でもよくわからないが、久しぶりに書きたい気持ちが起こり、頭に浮かんだことを綴ってみた。
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