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8年前の梅雨入りの頃~子猫を保護した話~

ちょうど8年前のこと。
庭に迷い込んだ子猫を保護した、その思い出話。

5月31日土曜日(1日目)

とても暑い日だった。
自分が住んでいる所は日本のトルファンとも言ってもいいくらい、夏の暑さは尋常じゃない。日本トップクラスの猛暑地区。
5月でも真夏日は当たり前なんで、「いつもどおりの激暑い日だった」とも言える。
その日、午前中は、双子の用があって母娘三人で外出。お昼頃に帰宅したあと、午後からは当時やっていた仕事の引き継ぎで休日出勤する予定だった。

30度超えとはいえ、この時期は湿気がないから、エアコンをつけてなくても耐えられる暑さ。その日も窓を開けて風を通して暑さをしのいでいた。

お昼を食べて、出勤のためバタバタと支度をしていたその時――

「ウギャギャギャギャ」

庭から変な声が響いた。
聞き慣れない獣の声に、慌てて外に出た。
双子達は鴨だと思ったらしく、庭の裏手に流れている用水路へ向かっていった。
私は鴨の声には聞こえなかった。というより、「猫」か何かの声のような気がしたので、庭を捜索。

大当たり。

エアコンの室外機の下に、キトンブルーの瞳をした小さな縞模様の子猫がいた。

さっきの叫び声は、子猫が助けを求める声だったんだ。

しかし、これから仕事のある私には、この子猫を保護する時間がなかった。

子猫はエアコンの室外機の下、手を伸ばせば届きそうなところにいたし、双子も保護する気満々だったから、とりあえず、後は任せて出勤することにした。

仕事中も、子猫のことが気になって仕方なかったけど、仕事の引き継ぎをしてくれた先輩は肉球を愛する者であり、自身も保護犬を愛しきってる方だったので私以上に盛り上がって、さくさくっと引き継ぎ終了。急いで猫用ミルクと子猫用ウェットフードを購入して帰宅した。

子猫はというと…
双子の勢いに気圧され、室外機から義父母ゾーンにある縁の下に逃げ込んでいた。
みょんみょん鳴く子猫を何とか保護しようと、私の猫師匠(にゃんこ様の保護主)に連絡を取りつつ、猫の鳴き真似をして縁の下に近づく。

その時に子猫の姿を撮ろうとして失敗した動画↓

鳴き声すら録画できていませんが、私の怪しげな声は入ってます_( :0 」 )_

声はすれど、姿は確認できず。とりあえず、ミルクと餌を縁の下に置く。
ここは飢えと雨風しのげる場所だと解れば、子猫は多分、どこへも行かない。今日は保護できなくても、明日、保護できるはずだと考えて、家の中に戻る。
これ以上騒いでも、猫のストレスになるだけだし。

その夜のにゃんこ様、かなりご不満。視線が怖いです、にゃんこ様。

ストレスになるだけだし…

6月1日日曜日(2日目)

翌日は、子供会のドッジボール大会。町内子供会の役員だったため、双子は参加しなくても自分は参加しなければならなかった。少子化どころか無子化といってもいい町内なので、小中学校の地区役員と子供会の役員を少ない人数で回してたため、毎年何らかの役員をやっていましたよ、ええ。

朝早く起きて、2階で洗濯を干していると、庭で子猫がくつろいでいるのが見えた。綺麗なグレーの縞模様。ここでやっと、サバトラであることが解った。
よし!今がチャンスだっ!!と餌を持って慌てて庭に行くと、子猫はすたたたっと逃げていった。
捕まえようと意気込むあまり殺気が漏れてしまったか…と落ち込みつつも、多分、また戻ってくると信じて、ご飯を縁の下において役員の集合場所に向かう。

この日も激暑かった。
役員には道路挟んで向かい側の家の人もいたので、朝イチで子猫のことを話してみた。そうしたらその人も子猫を見たと言う。どうやうちの庭から逃げたあと、お向かいの方に行ったらしい。お互い、車の出し入れの時は子猫に注意しましょうねというようなことを話した後は、飲み物やお弁当の用意、試合の応援やらでグラウンドを駆けずり回る1日となる。

日差しにやられて肌がヒリヒリと痛む中帰宅すると、やっぱり子猫も縁の下に戻っていた。私が猫の鳴き真似をすると、みょんみょん鳴いて応えてくれた。
これは時間かければ慣れてくるなと思い、長期戦を覚悟した。

この日から保護する日まで、コール&レスポンスでご飯上げるというのを繰り返すことになった。

6月3日火曜日(4日目)

うちは二世帯住宅で、義父母が居住するゾーンに縁の下があった。子猫はその縁の下にいることが多かった。
双子が騒いでいたおかげで、じじばば(義父母)も子猫のことを気にかけてくれてた。だが、それが変な方向に行ってしまった。

縁の下と言ってはいるけど、上はちょっとしたテラスみたいになっていた。しかしばばが汚部屋メーカーとなっていたので、テラス部分はゴミ置き場と言って良いような状態だった。そして、そのゴミの隙間に子猫がウロウロするようになっていた。縁の下より近づけるようになってきたから、これはあと少しで保護できるかも!と思いながら、出勤前に餌を持ってじじばばゾーンへ向かった。

そうしたら、じじが朝からテラスの片付けを始めていた。

今日あたり保護できるかと思っていた私は絶望した。しかし、二世帯住宅でトラブルなく暮らすために相互不可侵条約を締結していたので、じじがやることに文句は言えない。苦笑いを浮かべるしかなかった。幸い、子猫は逃げなかったけど、再び縁の下に籠もるようになってしまった。

実は、この時は知らなかったんだけど、ばばは認知症を発症していた。じじはそれをかたくなに隠していたけど、汚部屋状態になるのは防ぐ事が出来なかった。しかし、カワイイ孫が気にしている子猫のために、汚いままじゃいかんと、じじが頑張って片付けてくれたんだろう、きっと。結果としては…なんだけど。

縁の下に籠もったものの、子猫は私が仕事から帰宅すると、みょんみょん鳴いて存在を知らせてくれるようになっていた。
ただ鳴くだけで近づいてはくれなかった。

6月4日水曜日(5日目)

この日、双子は二泊三日で修学旅行に出かけた。
そして、梅雨入りした。

何かの行事があると必ず雨が降るので、強力な雨男か雨女がいるのではないかと噂されてた双子の学年。小学6年で最大の行事とも言える修学旅行でも、その本領を発揮。それまで晴れて暑かった毎日が、出発当日に一変したのだ。

早朝、肌寒い雨模様の中、バスは出発していった。そのままその日に梅雨入り宣言が出されたので、かなりランクの高い雨男か雨女がいるに違いない。

気温が下がる梅雨入りまでに子猫を保護したかったけど、予想上に早く梅雨に入ってしまった。縁の下でみょんみょん鳴く子猫が、雨で体力削られないか心配になった。
というか、このまま半野良として縁の下に居着くかもしれないという不安に駆られる。
当たり前のように縁の下にいて、朝晩のご飯を待つ子猫が日常になりつつあったからだ。

6月6日金曜日(7日目)

梅雨寒の天気が続く中、その日の朝はいつもと違っていた。
子猫が縁の下から出てきて、掃き出し窓の下に来てみょんみょん鳴いていたのだ。
これは、保護するチャンス!と思って、いつものように猫の鳴き真似をしながら、窓を開けた。
私の声に安心した子猫が、こちらに来ようとしたその時

不意ににゃんこ様登場。
横からフーッ!シャーッ!して子猫を威嚇。
にゃんこ様に恐れをなした子猫は雨の中、縁の下に逃げていった。
伏兵に気づかないとは不覚。最大の敵は足元にいたのだ。

実は私、にゃんこ様の母性本能に密かに期待していた。迷い込んだ子猫を我が子のようにペロペロして可愛がってくれるのではないかと。だがそれは私の妄想でしかなかった。
にゃんこ様は、庭にいる不審猫に1ミクロンも心を許してはいなかった。
小さな子猫に対して、全力で威嚇するその姿に、我が領域によそ者は絶対に立ち入らせまいという強い意志を感じた。

にゃんこ様のお許しが出ないと言うことは、やはりこのまま、半野良外飼いで行くしかないのかと思いながら、いつもどおり子猫にご飯を上げて出勤。

そして夕方、双子達が修学旅行から戻るので、彼女たちを迎えるため学校へ向かう。
傘など意味をなさない土砂降りの中、渋滞で遅れているバスを待つ。どんだけ雨に好かれている学年なんだか。

1時間は待った気がする。遅れに遅れてやっとバスが到着。バスの中で爆睡したせいか、元気いっぱいの双子が帰ってきた。二人とも、とっくに子猫は保護されていると思っていたようだった。
そこで、今朝の顛末を話すと(゚_゚)(゚_゚)な顔
ただ、ずっと子猫がいることには安心してくれた。

6月7日土曜日(8日目)その1

子猫が庭に迷い込んでから丸1週間が経過。
私は勝負に出ることにした。

今日は土曜日。休日出勤もなし。
時間がたっぶりあるのだ。

朝、いつものようにコール&レスポンスしながらご飯を持っていく。
いつもなら、ご飯を置いてそのまま出勤なんだけど、今日はその必要がない。
足元に餌を置いて、そのままその場にしゃがみ込んだ。

そしてひたすら待った。

子カマキリがのそのそ動く、雑草伸び放題の庭。義母ゾーンなので、私は手出しができない。(相互不可侵条約のため。相手の領域に「手を出さない」「文句言わない」ことで、家事能力が自分より劣る姑とそれなりに上手くやってきたのだ)
庭に落ちているゴミを拾いたい衝動に駆られながら、とにかく動かずじっとした。

どれくらい待ったんだろう。
足がしびれてきたところで、やっと子猫が出てきた。
こぶし大の小さな子猫。
ゆっくりと近づくと、私の足元にある餌をちゃっちゃっちゃっと食べ出した。

1週間経って、やっと子猫を間近で見られた。
(あれ?猫又???)
子猫の尻尾の先がΨのようになっていた。
俗に言うお団子尻尾、本当はφ型なんだけど、子猫の針金のような尻尾先のせいでΨ型に見えたんだ。
ナチュラルボーン猫又みたいで、ちょっと嬉しかった。

私は足元でご飯を食べている子猫を、身動き一つせずただ、見ていた。
手の届くところにいるけど、ここで捕まえるのを失敗したら、次はもっと警戒して、保護がさらに遠のく。
私は敵ではない、安心できる存在なんだと言うことを、子猫に解らせたかった。だから今は見てるだけにしたほうがいいと考えた。そして次の餌やりのときに勝負を決めようと思った。

子猫は餌を食べ終えると、テラス横に設置している物置の隙間にささっと隠れていった。

6月7日土曜日(8日目)その2

勝負の夕方。
夜は双子の塾があったので、いつもより少し早めに餌を持っていった。
そして再び待つ。
待つ。
時々、雑草やら庭に散乱するゴミやらに視線をやりつつ。
しゃがみ込んだまま、じっと待機。

かなりの時間待ったけど、朝よりは少し早めに登場。警戒心もそこそこ薄れてきたらしい。
私の足元の餌を子猫は迷わずちゃっちゃっちゃっと食べ始めた。
Ψ型の尻尾がかわいーなーと思いながら、食べ終わるのを待った。
そして食べ終わったその瞬間、私は手を伸ばした。
がしっと子猫の胴体を鷲掴み、着ていたチュニックの裾で子猫の体をクルクルと包み込んだ。
「確保ーっ」
てな感じで、我が家ゾーンに駆け込む。正直、自分は反射神経も運動神経も良くないし、足もしびれてたんだけど、その時はかなり素早く動けた気がする。(自画自賛)
双子も、母似で反射神経は今ひとつだし修学旅行疲れもあったのに、子猫確保の報を聞いて素早くケージを用意してくれた。(親のひいき目)

8日目にしてやっと、やっと子猫を保護。

そのまま獣医に駆け込みたかったけど、塾の時間が迫っていたので、明日にすることに。にゃんこ様かかりつけの動物病院は休日診療をやっていたはずだけど、念のために電話して確認。診療時間や予約が必要かどうかなどを教えてもらった。

子猫が気になる双子だが、保護したばかりでケージの中でシャーシャー言っている子猫を刺激しない方がいいというのはちゃんと解っていた。静かな部屋にケージを移動し、そのまま塾へ。
子猫の名前とかを考えつつも、その日は子猫との接触は避け、刺激しないように夜を過ごした。これも猫師匠の教育の賜物。本当に恩人です、師匠。

ちなみに↑の写真も、保護当日ではなくその翌日撮ったもの。当日は写真すら撮らなかった。

6月8日日曜日

ケージの中に、ダンボールの寝床、トレーの簡易トイレ、餌を入れて一晩。朝様子を見ると、しっかりご飯を食べ、排泄もちゃんと出来てたのでちょっと安心した。
そして母娘三人で動物病院へ。
普段の担当は副院長先生だったんだけど、その日は院長先生が診察をしてくれた。

診察の結果、なんと、健康状態超優良。
1週間、我が家の庭でアウトドア生活をしていたにもかかわらず、栄養状態良好、寄生虫なし、ノミダニなし。感染症も今のところなし(潜伏期間があるので様子を見るようにとは言われた)。
何の問題もなかった。
おそらくは、母猫に育児放棄されたのがうちの庭で、すぐに子猫用の餌とミルクを与えられていたこと、梅雨であまり出歩くことができず、ほぼ縁の下にいた、というのが良かったのかもしれない。

また、今にして思うと、ばばのゴミの山が密着できる空間を作り、寒さと不安をしのぐことができたというのもあったかもしれない。

1週間庭にいたことを説明すると、院長先生も驚いていた。それくらい、良い状態で保護できたのだ。
院長先生の見立てによると、庭に迷い込んだときは生後1ヶ月だったということで、「5月1日生まれだね」と何故か誕生日まで決められた。

そして、動物病院の待合室で、子猫は豹変した。
洗濯ネットに入れられ1号の膝の上にいた子猫は、急に甘えてグルグル言いだしたのだ。子猫は短時間で慣れて急に甘えんぼになった。ついでにお漏らししたのは良い思い出。

お漏らししても大丈夫なように、使い古しのタオルにくるまれ、1号に抱きかかえられてる子猫。1号の毛玉だらけの服は気にしない気にしない

わずか1日でくつろげるようになった子猫
調べたら、サバトラ柄ってツンデレ性格なんだってね

その後の話

あの1週間はなんだったんだろうと思えるくらい、子猫はあっという間に我が家になじんでいった。

ちなみに、保護したときもこの服を着てた笑 この服にくるんで家に連れ込んだのだ

子猫が家に来た一方で、にゃんこ様は

押し入れに籠もってお怒りを表明してた…

お許しが出るまで2週間
長い道のりだった

そして、その年の夏

子にゃんこず結成

セットで里子に出そうとして、失敗
2匹ともうちのにゃんことなった経緯はまた別の機会に

甘ったれは8年経った今でも変わらない

襲っているように見えますが、踏み踏みしながら甘噛みしてる1枚😅

1週間もかけて保護したわけだけど、あのやり方が正解だったとは思ってない。捕獲器とかを借りてくれば、もっと早く保護できたろうし。
当時はマイナスに考えていた梅雨とか、義母の散らかしっぷりが、実はプラス要因だったりして、運に助けられたところも大きいと思う。
無事保護できて良かった。
本当にそう思う。


あまり見習うべき点がない子猫保護の思い出話。
長々と書き綴ってしまいましたが、ここまでお付き合いくださり、どうもありがとうございました。



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