ノゾキはコレに限る。ーいやこれは別に変な話じゃなくてー
どちらかと云えば一般用では無いのだけど
対人用でcannonを使っていた遠ーい昔。
本当はNikonを主体としたかったのだが、時々予定外の取材の要請が入る時があった。
今とは違って定期連絡をしなければならなかった頃の話。なんつっても携帯電話はあの「しもしも〜」のアレの時代の話だから。←もちろんそんな高価なシロモノなんか持てる訳も無いので赤電話とか肌色電話とかの公衆電話を探すか、黒電話を借りるかの時代。
なので出る時の荷物は旅行に行くのか?レベルの多さ、いやそれより重さ!!だった。持ち物はカメラに代替品にレンズ数本、脚立にノートかスケッチに防寒その他に選り抜きのメンテ一式。出先でなにが起こるか解らないからだが、時々予定を読んで片方しか持って行かない時があったのだが、
対人にCannon使ってるのにNikonしか持って無い!!って時が偶にあって。←大体取材系はcannon使ってたから。
そう云う非常事態時のための兵器がSIGMAだった。
でも実はNikonにSIGMAは使えない
んだよね。なのでカマシを使う、所謂接続な訳だけどこれによくいろんなカマシを使っていた。
そんな折に政治系の依頼があって偶々独りだけ違うところを張ってて、で写真を撮ったのが結構評判が良くて。その時の表情が良かったと褒められた、と云うか生々しかったらしい。
これが一番のきっかけだったのだが、その時のコンビがNikon×SIGMAなのだ。それからは以前より記事の依頼も受けてちょくちょく売っては機材を漁りに行った。アワセに試し撮りにレンタルにと散々やっても中々良い画が撮れない。業を煮やしてイタズラ半分で仕掛けたネタが綺麗にハマって良い写真×撮れた。
下手をすればその道の人間までもcannonは良いねと言ってくれたくらいだ。流石にプロで飯を食ってる人間までは誤魔化せないが、それでも見合ったオーダーは難なくこなせるようなものが撮れるほどに使えるようになった。
私がNikonとcannonを使い分けるのには理由が有ってNikonは人間を撮るのには向いて居ていないと思うからだ。なんなら壁と服が同化したくらいのイメージがあって。
その点cannonは違った、人間が映えるのだ。
長いあいだそう信じて使って来たのに、
その映えるを何故かSIGMAは補ってあまりあるほど、Nikonで摂った時にも質感を与えてくれるように思えた。まさかなーと思いつつ、他人の評価を伺うも、ある程度の人間は難なくこれを選ぶほど。
否、プロでもこっちの方が出来が良いとすら指摘して寄越した。
それ以来、SIGMAを覗くのが楽しくなった。
レンズの事をノゾキと云う、本来はトーキーの言葉だが、
ノゾキを独り占めして観られる景色は何物にも変え難かった、否変え難くなった。あのイタズラもだが、ハマるとなんでも試したくなる、そしてもっと撮りたくなる。
当時はどんどんのめり込んで、仕事の合間に素材まで撮りためてはテレビ局にまで売り込みに行ったほどだった。動画を撮るのにも使ってみたのだがその評価を知りたいと思うほど出来が良かったのでついやってしまった。CMとかで使われてニンマリのはすがガックリになったり勝手に映画とかでインサートされててその繋ぎ具合にガックリ来たりで、それ以来切り取り以外やらなくなったが、
それほどカメラのノゾキから観る世界は現実のそれを遥かに凌駕した想像の世界に連れて行ってくれるのだ。
時には生々しく
時には息を呑むほどに。
今は昔の話だが。