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想いで未来を創る。

こんにちは、るりびたきです。

今まで自己紹介をしたことがなかったため、今回の記事で自己紹介をさせて頂きます。

小さい頃から

小さい頃から、音楽が大好き、というわけではなく、科学が大好きな少年でした。

4歳の頃から、ピアノを習っていました。最初は友達が始めているから、自分もやってみようと。

ピアノ教室では、ピアノグレードというものがあるんですよね。

ぱっと初めて楽譜を見て、弾いてくださいと言われて弾くものとか、
なかなか過酷で、試験室から泣きながら出てくる子がいると、
自分も怯えながら入っていったことを今でも覚えています。


中学の頃は野球部に入っていたため、部活とピアノレッスンの掛け持ちがハードでした。

部活が終わる→家に帰る→軽くおにぎりを食べる→急いでピアノ教室に行く(着替える暇がない)→練習着姿でピアノ教室に到着

という流れ。

ピアノを弾いていて、時々「めんどくさいなー」と思うこともありましたが、自分が弾けるという成長を感じるのが好きでした。

そして、なんだかんだ高校1年生までピアノ教室に通い続けていました。

高校の途中まで野球部だったため、忙しくなるということで、一度やめてしまいました。

その後、やっぱりピアノが弾きたいなと思い、高校2年生から再度通い、高校3年生まで続けていました。


自分が没頭したもの

小学5年生の頃です。

電子工作が好きで、はんだごてを握りしめながら、基盤にはんだ付けをするのが好きでした。

時には、火傷して水ぶくれになったこともありました。

でも、「何かを組み立てて、完成したものが動く」という感覚が楽しくて仕方なかったです。

高校に入学した際には、iPhone3GSを購入しました。

周囲からは、「こんなのおもちゃだよ」と言われていました。

この時は、iPhoneが流行るなんて想像もつかなかったですね。

学年でも3人くらいしか持っていなかったと思います。


高校のクラスでは、目立った方ではありませんでした。

根はポジティブでしたが、「学祭楽しもうぜ!イエーイ!」という感じで学生エンジョイできる方ではなかったんです。

でも、人と喋りたいんです。(複雑なポジション。わかります?)


ダンスをして盛り上がるパリピと絡むのは苦手だったため、

静かな方に所属していました。

そこからだんだん廃人のような状態になっていきました。


その理由は以下の通り。

小さい頃から、発表すると、聞かれたことと答えることが噛み合わないことが多々ありました。

自分では、「間違えないようにしよう、間違えないようにしよう...」と真剣に答えているつもりなのに、

ずれた発言をして笑われてしまうことが多々あったのです。


笑われるのがこわくてこわくて、その失敗に対する恐怖は、よりエスカレートしていきました。
だんだん人と目を合わせることができないレベルまで。


そして、学校に行く際は緊張しすぎて、お腹が痛くなる。

発表する時は、声がかすれて出なくなる。

やがて、人と目を合わすことが怖くなる。

自信がない。怖い。

居場所がない。


そんな状態を克服しようと、近所の図書館に行って本を読み漁っていました。

iPhoneでYahoo知恵袋を読み漁ることもありました。

それがクラスの人にばれてしまい、「そんなの載ってるわけ無いじゃんwww」と笑われてしまいました。


最終的に自信のかけらもなくなってしまいました。


その当時、Twitterを2010年から始めていました。

「〜なう」が流行りだしていた時期です。


Twitterクライアントも色々流行りましたね。

「Twicca」「メガネケエス」「ついっぷる」「SOICHA」など。


ほかる(お風呂に入る)→ほかてら(行ってらっしゃい)

ぽきた(起きた)→おはよう

など。分かる人には分かる、独特の表現も流行りました。


その当時はひたすらTwitterばかり見ていました。

1日平均100ツイート。Banをくらって凍結したことも度々ありました。

パソコンアプリ、「棒読みちゃん」を使って、片言のツイートを読み上げてもらったものに対して、ひたすら返信をする。など。

かなりそちらの世界に浸かっていました。


ある時は、パソコンが好きすぎて、ネットカフェで没頭したこともありました。

1日6時間ほど。

iPhoneの設定をいじったり、コンピューターのハードウェアについてひたすら調べたり。

OSの作り方の本を図書館で借りることもありました。もちろん、プログラミング言語の知識は皆無でしたが。笑


友達と自転車に乗りながら、パソコンの仕組みについてずっと熱く語り合っていたり。


この時の思い出が、今やりたいことと変わらないんだろうなと思います。

就職に迷う大学生

話は少し戻ります。

大学に入学。

ピアノは趣味程度でちょこちょこ弾いていましたが、サークルでピアノを弾く機会があったため、新鮮な気持ちで弾かせてもらいました。

元々、みんなの前で演奏したり、想いを伝えるのは好きでした。

そして、真剣に聴いてくれる人たちがいるということに幸せを感じました。

やがて、自分の自信も少しずつ回復していきました。

そして、大学4年生。就職も迷いました。

「人に想いを伝える仕事がしたい」と思い、教員への道を進んでいたのですが、

高校生の時、幼稚園からの幼馴染と「クリエイティブなものが創りたいね」という話をしていたこともあり、

モノ作りをする仕事に就きたいなと思っていました。


その時から、ブログもちょこちょこ作っていましたね。

今となっては恥ずかしいですが、はてなブログをやっていました。

こちらもいずれ再開できたら良いですね。


Created by Booksを創る。

当時のWebサイトは「Book on the Desk」という名前でした。

「机の上にある本」という意味です。

本には無限の可能性があり、机の上にある本(可能性)を開いて欲しいという意味です。


その意味は、今の「Created by Books」にも継承されています。

本たち(いろいろな人の知識や可能性)によって創られるという意味も込められています。

現在のWebサイト

Booksのマークについてお話します。

・鳥の形→広い未来に羽ばたけるように。

・本を見開いた形→本は知識の宝庫。

・鳥の背びれ→「B」の文字の右側の形になっています。Booksの「B」です。

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そんな想いもあり、葛藤していましたが、

まずは、世の中のことを知っておく方が賢明なのかと「教員」への道を歩むことにしました。

学校の教員へ


小学校の教員として働いていました。

子どもは好奇心旺盛で、環境に左右されやすい生き物です。
だからこそ、「〜したいな」「〜になりたいんだよね」という声を大切にしながら、教壇に立っていました。

また、子ども一人ひとり性格が異なれば、長所短所も異なります。
これから伸びる部分はそれぞれたくさんあります。

一人ひとりの良さを伸ばしたい。

個人の良さをとことん伸ばしていけるような関わりや、子ども同士が認め合うことのできる雰囲気づくりを追求していきました。


海外旅行に行くことでの気付き

長期休暇の際、海外旅行に行くことが度々ありました。

行く場所は、ハワイ?グアム?

私自身、少し変わっていました。


「リゾート地はいつでも行ける。

ハワイは正直、歳をとっても行くことができる。

じゃあ、今しか行けないところってどこだ?

体力があるからこそ行ける場所か。」


ですが、ヨーロッパに行くようなお金もありません。

南米も行きたいけど、飛行機代がかかるから、別の意味で飛んでしまう(お金が)


行くことに決めたのは、「東南アジア」でした。


そして、あちこち旅をしたのです。

いろんな景色、風景が日本と違って、些細なことから気づきが得られる。

そんな気がしました。

海外青年協力隊に応募したが...

教員2年目の頃、「やがて、日本にも外国人が行き交う世の中になるだろう」と思い、国と国の交流を繋げたいという気持ちから、JICAの「海外青年協力隊」に応募しました。


一次通過、あとは、面接のみ...


ですが、なんと二次面接当日に、「インフルエンザ」にかかってしまったのです。


体調もふらふらで、面接日を延期することもできません。受けることができず、結局落ちてしまいました。

その翌年、今流行っているものが流行り始める状況となりました。

なんとも言えない偶然です...。

想いは変わらず

教員4年目として働いた時も、想いは変わりませんでした。

国と国を繋ぎたい。この先が心配だと思う未来を「夢」をもつことのできる明るい未来していきたい。

そんな想いをずっと持っていました。

今思えば、教師になるか、モノづくりをするかの道は、高校生時代からもう決まっていたのかもしれません。


自分はモノづくりがしたい。


そのために、「今」、プログラミング言語を学んだり、ブログを書いたりして、発信し続けています。


教員は未来へ羽ばたく子どもたちを育てることができる、大変やりがいのある職業でした。

期限付き教諭として毎年働き続け、教員採用試験をずっと受け続けていました。

今年は代替教員ということで、2学期末までの任期だったため、そのまま終えることになりました。


「人生全てを使って何がしたい?」


教員を辞めて、正直寂しい気持ちはあります。

ですが、自分の学生時代の「没頭」していたものを、未来に届けたい。

一人ひとりがなりたい夢を叶えることのできる未来を創りたい。


贅沢な悩みかもしれません。


今日、一日を生きるのに必死な人もいます。

お母さんのお手伝いをして、平日に遺跡の辺りでTシャツを売る4歳ぐらいの女の子。

他の国でも、そんな人を見てきました。


自分が変わらずに、誰が変わる?

自分がやらずに、誰がやる?


どうせ、一度きりしかない人生。

「人生を使って何をしたい?」とずっと問い続けていました。

後悔なく、未来に貢献したい。

お金がたくさんあることが幸福じゃない。


この世に何かを残したい。

生きててよかったと思える貢献がしたい。

それも、未来を創る人を支えたい。

こんな自分でもできるんだって、他の人にも勇気を与えたい。


自分の想いは、目標ではありません。

使命です。

悩んで考えたのではありません。

自分から自然と湧き上がる「使命」感から、行動したいと思いました。


まさに、自分が本当にやりたいことだったんです。


人はそれぞれ異なる「得意」がある


人それぞれ、異なる得意があります。

全然違うんです。

子どもにも伝えていました。


体育が得意だけど、算数が苦手な人。

算数が得意だけど、体育が苦手な人。

万能そうに見えて、自分の心の内を語ることが苦手な人。


それぞれいます。

完璧な人間などいません。

「あいつは何でもできる」という人も、苦手な部分があったりします。

表面上は見えないけれど、内面で抱えていることがたくさんあるんです。


算数ができる人、「あいつは算数ができないな。」と罵りますか?

その時点であなたの負けです。あなたの算数はこれ以上伸びません。


あなたがそれを教えることで彼は伸びるんです。

反対に、彼の運動を見て「すげぇな。」と思うからあなたも伸びるんです。


何が言いたいかというと、「お互い良さを見つけて伸ばしなさい。」ということです。

見つかってない人はこれから、見つかる。

自分の得意が見つかった人は、伸ばしていく。

苦手なところは得意な人でカバーすれば良い。


それで良いんです。


金子みすゞをご存知ですか?

「私と小鳥と鈴と」という詩。
少し紹介させて頂きます。


「 私と小鳥と鈴と 」
              金子みすゞ

   私が両手をひろげても、
   お空はちっとも飛べないが
   飛べる小鳥は私のやうに、
   地面を速くは走れない。
   私がからだをゆすっても、
   きれいな音は出ないけど、
   あの鳴る鈴は私のやうに
   たくさんな唄は知らないよ。
   鈴と、小鳥と、それから私、
   みんなちがって、みんないい。


この詩からも分かります。

みんな人それぞれ、ちがっていいんです。

だからこそ、良いんです。


私はこの詩が大好きです。

これからの時代を物語っているんじゃないかと思うんです。

学校での話を少し紹介させて頂きました。

最後に

こんなに赤裸々に語るのは初めてかもしれません。

友人でも「そんなことあったのか」と思う人も少なくないはずです。


でも、これが経験です。


ほんの少しでもるりびたきのことを知って頂けたらと思い、書かせて頂きました。


これからは、未来について語ります。

・未来を創るモノづくり(プログラミングも修行中です)

・未来を創る人たちのためのサポートづくり(Webサイトやnoteで発信)

をしていきたいと思っています。


これからは、「個人が活躍できる時代」に突入します。

そして、人々が行き交う「国境ない時代」が創られていくはずです。


そんな未来を創っていく人たちを支えられるように、日々活動していきたいと思います。

ここまでが、今現在までの私のお話でした。


つたない文章でしたが、長々と話させて頂きました。

常日頃、関わっている友人、Twitterのフォロワーの方々、noteのフォロワーの方々、本当にいつもありがとうございます。

こんなるりびたきですが、これからも末永くよろしくお願いいたします。


                             2022.1 Ruribiki. 

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