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当湘鉄道物語 序

「あっつ~!」
 奈良原夕子は昇降口を出るなり天を仰いだ。中間考査が終わったばかりの開放感もあって、少しだけ大げさにはなっていたが、確かに初夏にしては暑い日だった。
「丁度お昼過ぎで一番暑い時ですしね。」
 後からやってきた薗景子も夕子の隣で空を見上げ、おもむろに日傘を開いた。
「入りますか?」
「ありがとう、助かる~。」
 夕子も真夏は日傘を持っているが、初夏なのでまだ持ってきていなかった。黒地に蝶の刺繍が施された日傘に入ると、幾分生きた心地がした。
「いえ。それよりも、夕子さんこそ有り難うございました。」
「え?なにが?」
「私の学年の試験が終わるまで、待っていて下さったんですよね?」
 夕子は高校三年生で受講している科目が少ないため、午前中には試験が終わっていた。景子は二年生だったのでまだ試験は多かったのだ。
「いやいや、図書館で勉強できたし、よかったよ~。」
「でも……」
「いいの。……景ちゃんと帰りたかったんだよ。」
 景子は少しうつむいて「有り難うございます。」と言った。
 
 学校から不可沢駅までのなだらかな坂道を、ふたりは会話をしたりしなかったりしながら降りていった。他愛も無い話をしているうちにあっという間に駅が見えてきた。
 その時、ふたりの頭上を湘楠モノレールが轟音をたてて恵ノ島方面へ駆けていった。
「ねえ、一緒に海見に行かない?」
 夕子はモノレールを見送りながら言った。
「え……?」
 景子は一瞬顔を輝かせたが、
「でも夕子さん受験生では……。」
 少し神妙な面持ちになった。夕子はそれがなんだか面白くなって、笑いながら
「大丈夫、指定校推薦も考えてるし、折角試験頑張ったんだもん。私のご褒美に、つきあって?」
 景子にお願するように言った。
「ではいいですけど……。どこにしますか?」
「やった!そうだね……」
 ふたりは駅の券売機上に掲示されている当湘鉄道の路線図を眺めた。そのうち、夕子が右下の方を指差した。
「当湘で水占に行くのは?」
「いいですね。海沿いを走る路線ですし車窓も良さそうです。」
「水占で海鮮丼もいいよね~。」
「確か遊覧船もあったと思うので調べておきます。」
 とんとん拍子で話が進み、木曜日の十時に東鎌暗駅の改札で待ち合わせることになった。
「……じゃあ、またね。」
「はい。また木曜日に。」
 ふたりは改札を通ると、鎌暗・横破魔方面へ帰る夕子と沙州一宮方面へ帰る景子とで別れていった。
 アイボリーに水色のラインが引かれたやさしい色調の車両で、ふたりはそれぞれふかふかのロングシートに身をゆだね、それぞれどんな服を着ていこうか、どんな服を着てくるだろうかなどと考えは尽きなかった。
 既に心には波音が響いていた。

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